誰かに導かれて
文字数 1,996文字
「名探偵、召喚に応じ馳せ参じました」
突然現れた真っ白いインバネスコートの長髪の男は、真っ白な山高帽を恭しく外し、頭を下げた。
談話室でたむろい誰が旦那様を殺したのかと探り合っていた我らは、不法侵入の男に揃って眉をひそめた。
「探偵なんて頼んでないわ」
奥様が鋭い眼光で周囲を見回す。
「俺じゃないぞ。そもそも探偵なんて胡散臭い」
旦那様の弟君も腕を組み、白い男を睨む。
「刑事さんはこの方をご存じですの?」
旦那様の従姉妹君が控えていた刑事に問いかける。刑事は首を横に振り、怪訝に顔を歪めた。ならば誰かと一同は騒ぎ出す。男は手持ち無沙汰にステッキをくるくると振り回している。
不躾な男の仕草を私は半眼で観察していると、私の視界の下に綺麗なブロンドの頭が入り込んだ。
「お待ちしていたわ、おじ様」
今年十二歳になったお嬢様は男のコートを引っ張り、見上げてそう言った。
男はお嬢様を認めると膝を折り、現れた時と同じように山高帽を脱ぎ胸に当て、柔らかく微笑んだ。
「お会いできて光栄です、レディ。よろしお願いしたい」
「こちらよ、おじ様」
お嬢様は男の手を取る。男は立ち上がり、お嬢様につられて談話室を出る。
見知らぬ男と大事なお嬢様を二人きりでいさせるわけにはいかない。けれど、刑事に目配せしても気付かずあくびをし、他の大人方も口論に夢中で、男がいなくなったことにも気付かない。
私は迷った挙句に談話室を出た。
二人は言葉を一切交わさず、黙々と歩く。どこに行くかと思っていたら、旦那様の遺体があった書斎の前で止まった。
「お入りになって」
男は部屋に入るや、扉の正面にある机へすぐに歩み寄る。
微かにコーヒーの香ばしい香りが私の鼻をくすぐった。コーヒーはすで下げられて久しく、残り香などあるはずもないのに。
「お父様はお手紙を書かれていた。お供はコーヒーだね」
「ええ、その通りよ」
男は机を指の腹でなぞる。その時、私が抑えている扉がコンコンコンッと鳴った。
ギョッとし悲鳴をあげそうになったが、お嬢様が唇に人差し指を当てて制す。
「書き終える間際、犯人が尋ねて来た。お父様は犯人を迎え入れ、お手紙を読ませた」
男は机から紙を引き寄せるような仕草をし、見えない紙を私とお嬢様に見せつける。
お嬢様からの相槌はない。私も口を閉ざす。コーヒーをお届けしてからの流れは、犯人以外、生きている人間は誰も知らない。
男が突然机の上に仰向けで倒れた。震える手を胸元に這わせ、服を握り込む。
「そして刺された」
男のよく通る声が響く。
お嬢様の細い方が震える。そっと手を乗せると、彼女の手は私の服に縋った。
閉まっていた片方の扉が一人でに、勢いよく開かれる。部屋から無人の足音が荒ただしく出て行く。
男はぐんと立ち上がり、
「そして犯人は逃げた」
ステッキを一回転させ、駆け足で足音を追う。私もお嬢様に引っ張られ追った。
足音はとある客室の扉前で止まりまたも一人でに、しかし今度は慎重に音を立てずに静かに開く。
「犯人は部屋に戻り」
暗かった部屋に明かりが灯る。
男が暖炉に近づいたので、私もお嬢様を連れて近寄る。
沈黙していた暖炉に火が熾る。
「暖炉の火に投げ入れた」
火が一瞬、燃え上がる。
男は火かき棒で燃え滓をいじり、どかして、ふいに笑った。
「お父様は妖精にとても愛されていたようです」
火からかき出されたものを見て、私は驚きを禁じえなかった。
「火が守ってくれたのでしょう」
男が振り返る。片手には血のついたナイフ、もう片手の指は焦げひとつない紙を摘んでいた。
それは、談話室にいる人物の汚職に関する告発文であった。
「ありがとう、おじ様。お礼はこちらでたりるかしら」
お嬢様はご自身の宝石箱を開き男に見せる。男は膝を折るとしばし宝石を眺め、一粒の宝石を取り上げた。
「これで十分です。それと、」
男は懐に宝石をしまい、金貨を二枚取り出して、お嬢様の手に握らせた。
「これでいつもより上等なミルクとチーズを、屋敷の妖精たちに与えておやりなさい」
お嬢様は頷く。
男も一度首を縦に振り、そしてお嬢様の頭に両手をそっと触れた。刹那に男の手から柔らかな光が溢れ目が眩む。
「そして、これは妖精の悲しみに心を寄せ、私を呼んでくれた、優しく勇敢なレディへ」
男が手をよける。お嬢様の頭には見事なバラな花冠が載せられていた。
「私にだって、まだこれくらいはできるのですよ」
男は微笑むと背筋を伸ばす。
「あなたのお名前を伺っても?」
私の問いに男は右手で山高帽を外し胸に当て、左手を横に伸ばし、
「私は人を助けるために自由を捨て大人になった、名もなき名探偵でごいますよ」
そう、私たちにこうべを垂れた。
お嬢様が片手でスカートの端をつまみ礼を返す。私も従い彼に頭を下げる。
その間際、彼の耳が長く見えたのは、きっと、ささやかな風のイタズラだと思うことにした。
突然現れた真っ白いインバネスコートの長髪の男は、真っ白な山高帽を恭しく外し、頭を下げた。
談話室でたむろい誰が旦那様を殺したのかと探り合っていた我らは、不法侵入の男に揃って眉をひそめた。
「探偵なんて頼んでないわ」
奥様が鋭い眼光で周囲を見回す。
「俺じゃないぞ。そもそも探偵なんて胡散臭い」
旦那様の弟君も腕を組み、白い男を睨む。
「刑事さんはこの方をご存じですの?」
旦那様の従姉妹君が控えていた刑事に問いかける。刑事は首を横に振り、怪訝に顔を歪めた。ならば誰かと一同は騒ぎ出す。男は手持ち無沙汰にステッキをくるくると振り回している。
不躾な男の仕草を私は半眼で観察していると、私の視界の下に綺麗なブロンドの頭が入り込んだ。
「お待ちしていたわ、おじ様」
今年十二歳になったお嬢様は男のコートを引っ張り、見上げてそう言った。
男はお嬢様を認めると膝を折り、現れた時と同じように山高帽を脱ぎ胸に当て、柔らかく微笑んだ。
「お会いできて光栄です、レディ。よろしお願いしたい」
「こちらよ、おじ様」
お嬢様は男の手を取る。男は立ち上がり、お嬢様につられて談話室を出る。
見知らぬ男と大事なお嬢様を二人きりでいさせるわけにはいかない。けれど、刑事に目配せしても気付かずあくびをし、他の大人方も口論に夢中で、男がいなくなったことにも気付かない。
私は迷った挙句に談話室を出た。
二人は言葉を一切交わさず、黙々と歩く。どこに行くかと思っていたら、旦那様の遺体があった書斎の前で止まった。
「お入りになって」
男は部屋に入るや、扉の正面にある机へすぐに歩み寄る。
微かにコーヒーの香ばしい香りが私の鼻をくすぐった。コーヒーはすで下げられて久しく、残り香などあるはずもないのに。
「お父様はお手紙を書かれていた。お供はコーヒーだね」
「ええ、その通りよ」
男は机を指の腹でなぞる。その時、私が抑えている扉がコンコンコンッと鳴った。
ギョッとし悲鳴をあげそうになったが、お嬢様が唇に人差し指を当てて制す。
「書き終える間際、犯人が尋ねて来た。お父様は犯人を迎え入れ、お手紙を読ませた」
男は机から紙を引き寄せるような仕草をし、見えない紙を私とお嬢様に見せつける。
お嬢様からの相槌はない。私も口を閉ざす。コーヒーをお届けしてからの流れは、犯人以外、生きている人間は誰も知らない。
男が突然机の上に仰向けで倒れた。震える手を胸元に這わせ、服を握り込む。
「そして刺された」
男のよく通る声が響く。
お嬢様の細い方が震える。そっと手を乗せると、彼女の手は私の服に縋った。
閉まっていた片方の扉が一人でに、勢いよく開かれる。部屋から無人の足音が荒ただしく出て行く。
男はぐんと立ち上がり、
「そして犯人は逃げた」
ステッキを一回転させ、駆け足で足音を追う。私もお嬢様に引っ張られ追った。
足音はとある客室の扉前で止まりまたも一人でに、しかし今度は慎重に音を立てずに静かに開く。
「犯人は部屋に戻り」
暗かった部屋に明かりが灯る。
男が暖炉に近づいたので、私もお嬢様を連れて近寄る。
沈黙していた暖炉に火が熾る。
「暖炉の火に投げ入れた」
火が一瞬、燃え上がる。
男は火かき棒で燃え滓をいじり、どかして、ふいに笑った。
「お父様は妖精にとても愛されていたようです」
火からかき出されたものを見て、私は驚きを禁じえなかった。
「火が守ってくれたのでしょう」
男が振り返る。片手には血のついたナイフ、もう片手の指は焦げひとつない紙を摘んでいた。
それは、談話室にいる人物の汚職に関する告発文であった。
「ありがとう、おじ様。お礼はこちらでたりるかしら」
お嬢様はご自身の宝石箱を開き男に見せる。男は膝を折るとしばし宝石を眺め、一粒の宝石を取り上げた。
「これで十分です。それと、」
男は懐に宝石をしまい、金貨を二枚取り出して、お嬢様の手に握らせた。
「これでいつもより上等なミルクとチーズを、屋敷の妖精たちに与えておやりなさい」
お嬢様は頷く。
男も一度首を縦に振り、そしてお嬢様の頭に両手をそっと触れた。刹那に男の手から柔らかな光が溢れ目が眩む。
「そして、これは妖精の悲しみに心を寄せ、私を呼んでくれた、優しく勇敢なレディへ」
男が手をよける。お嬢様の頭には見事なバラな花冠が載せられていた。
「私にだって、まだこれくらいはできるのですよ」
男は微笑むと背筋を伸ばす。
「あなたのお名前を伺っても?」
私の問いに男は右手で山高帽を外し胸に当て、左手を横に伸ばし、
「私は人を助けるために自由を捨て大人になった、名もなき名探偵でごいますよ」
そう、私たちにこうべを垂れた。
お嬢様が片手でスカートの端をつまみ礼を返す。私も従い彼に頭を下げる。
その間際、彼の耳が長く見えたのは、きっと、ささやかな風のイタズラだと思うことにした。