狭き門
文字数 2,064文字
あたしの中の神ーー? キヨラはヒヤリとしたものを感じた。
神の前に現れた、神。一気に緊張感に包まれる。
サヨラの決断は早かった。以心伝心、脇に控えているハウラが飾られていた刀を素早く抜いた。そして迷わずーー。
『やめなさい』
ハウラは身を硬らせて、ガシャンと刀を取り落とした。
決然とした声が、ミルの口から飛び出したのだ。声質がさっきまでとはまるで違う。教主様みたいだと、キヨラはますます混乱した。
ミルが不機嫌そうに息を吐く。
「ほんとがっかり。強くなんかねえじゃん」
ミルはつぶやくと同時に、後ろに手を回してキヨラをつかんだ。そしてそのまま引き回して教主の前へと突き飛ばした。
「きゃっ」
「キヨラにうつせ。その身体じゃ消されるぞ」
「教法師様?」
おろおろするキヨラに構わず、ミルは教主に悪魔のような微笑みで迫った。
「いい旦那をつかまえたな。美しさじゃそこの兄弟にはかなわねえが、キヨラは最適だ。あたしの中の神ーーいや、魔物に襲われて教主は力を失い、聖なる力を引き継いだ娘が仇を討つ。いいね、それでいこう。新たな救世主の誕生だ」
その時だった。教主が後ろに飛び去って、幕の後ろへと吸い込まれるように消えた。ハウラがそれに続き、テイラが立ちふさがって信徒へ号令をかけた。
「みんな逃げろ! この者は教主様が引き受ける。魔に当てられぬように逃げなさい!」
信徒たちは蜘蛛の子を散らすようにドタドタと部屋から出て行った。警戒していたテイラも、一向に追いかけるそぶりを見せないミルを訝りつつ、幕の裏にある通路へと退散していった。
なんともあっけない幕切れ。取り残されたキヨラが呆然としている。やれやれと帰ろうとするミルに驚いて、キヨラが裾に取り付いた。小刻みに揺れる瞳で、縋り付いている。
「教法師様も魔物に取り憑かれているのですか……?」
「魔物だなんて生やさしいもんじゃねえ。神だよ」
「ならばなぜ、追いかけないのですか? あなたの力ならーー」
「だったらなに?」
けだるげにミルは首を動かした。悔しさをにじませてキヨラは問い続けた。
「教義を守らせるのがあなたの仕事ではないのですか? 教主様は逸脱しています。魔物を祓うためではないのなら、いったいどうしてここへいらしたのですか」
ミルはキヨラの手をふりはらった。
「神を殺せるのが神だけだからだ。だが、教主に取り憑いている神は弱い。器が不完全だからだ。それならほっといて強くなるのを待つのが得策だろ?」
キヨラはよろよろと立ち上がった。
「なんてことを……。あなたは一心大助教教徒じゃない」
一心教は他人のため、世のためにあると信じていたのに。唇をかみしめるキヨラにミルは言い放った。
「神が取り憑くのは不信心なやつだ」
「そんな! お母様は決して不信心ではありませんでした」
「他人を拒絶できる人間でなければ神の力を伝えられない」
「お母様はずっとわたしを大切に育てて下しました!」
「大事な生贄だからな。教主はお前が生まれる前から神に操られてたんだよ。容姿が優れているってことは強力なディスプレイだ。あんたの父親は綺麗な顔をした不信心な人間だったんじゃないか?」
「どうしてそんなひどいことが言えるのですか」
動揺するキヨラにミルは遠慮なく告げた。
「知ってるからだよ。コミュニケーションは会話だけじゃねえ。このきつい香の匂いも、そこにあるお茶も、とっぷりと日の暮れた時間帯も、フェティッシュな祭壇も、すべて相手をコントロールするためのメッセージだ。全能情報伝達。それが神の力の正体だ。一心教が戒律を守らせるのは神の侵略をいち早く察知するための知恵だ」
「神の、侵略?」
「取り憑かれた人間は薬物に詳しくなるし、見た目や振る舞いにこだわるようになって演出過剰になる。人々を魅了する仕掛けに精通した詐欺師になるんだ。そうやって、自らのしもべを増やしていく。心当たりがあるだろ? 奇跡体験。ああ、あんたには見えないんだったな」
「それは……」
キヨラは言葉を濁した。今日までの教主を思えば返す言葉もない。
すると突然、ミルがひきつった顔を見せ、口を曲げた。
「ま、ひっこんでーー『キヨラ安心なさい』
モゴモゴともがくミルの口から、麗々しい言葉が溢れた。
『神のすべてが人々を支配しようと考えているわけではない』よ、よく、言う。『この者が必ずお前の母親を助けるだろう』勝手なことを言うな!」
ミルはキヨラに向かって両手を振った。
「待てよ、あたしは協力なんかしない。一銭の得にもならないことはしねえ。『この者もお前と同じ、神の声を聴く者なのだ』
なんて力強いお言葉。目を輝かせて、自分のやるべきことをやっと見つけたとばかりにキヨラは跪いた。
「神様! 教法師様! わたしにうつしてください! わたしも不信心なのですよね? ならばどうぞこの身体をお使いください!」
ミルが目を見開いた。
「それいいね! そうだ、そうすればいいんだ! 『それはならない。キヨラでは力不足だ』なんでだよ! 『次男がいる』ああ? 『強いと言っただろう』
神の前に現れた、神。一気に緊張感に包まれる。
サヨラの決断は早かった。以心伝心、脇に控えているハウラが飾られていた刀を素早く抜いた。そして迷わずーー。
『やめなさい』
ハウラは身を硬らせて、ガシャンと刀を取り落とした。
決然とした声が、ミルの口から飛び出したのだ。声質がさっきまでとはまるで違う。教主様みたいだと、キヨラはますます混乱した。
ミルが不機嫌そうに息を吐く。
「ほんとがっかり。強くなんかねえじゃん」
ミルはつぶやくと同時に、後ろに手を回してキヨラをつかんだ。そしてそのまま引き回して教主の前へと突き飛ばした。
「きゃっ」
「キヨラにうつせ。その身体じゃ消されるぞ」
「教法師様?」
おろおろするキヨラに構わず、ミルは教主に悪魔のような微笑みで迫った。
「いい旦那をつかまえたな。美しさじゃそこの兄弟にはかなわねえが、キヨラは最適だ。あたしの中の神ーーいや、魔物に襲われて教主は力を失い、聖なる力を引き継いだ娘が仇を討つ。いいね、それでいこう。新たな救世主の誕生だ」
その時だった。教主が後ろに飛び去って、幕の後ろへと吸い込まれるように消えた。ハウラがそれに続き、テイラが立ちふさがって信徒へ号令をかけた。
「みんな逃げろ! この者は教主様が引き受ける。魔に当てられぬように逃げなさい!」
信徒たちは蜘蛛の子を散らすようにドタドタと部屋から出て行った。警戒していたテイラも、一向に追いかけるそぶりを見せないミルを訝りつつ、幕の裏にある通路へと退散していった。
なんともあっけない幕切れ。取り残されたキヨラが呆然としている。やれやれと帰ろうとするミルに驚いて、キヨラが裾に取り付いた。小刻みに揺れる瞳で、縋り付いている。
「教法師様も魔物に取り憑かれているのですか……?」
「魔物だなんて生やさしいもんじゃねえ。神だよ」
「ならばなぜ、追いかけないのですか? あなたの力ならーー」
「だったらなに?」
けだるげにミルは首を動かした。悔しさをにじませてキヨラは問い続けた。
「教義を守らせるのがあなたの仕事ではないのですか? 教主様は逸脱しています。魔物を祓うためではないのなら、いったいどうしてここへいらしたのですか」
ミルはキヨラの手をふりはらった。
「神を殺せるのが神だけだからだ。だが、教主に取り憑いている神は弱い。器が不完全だからだ。それならほっといて強くなるのを待つのが得策だろ?」
キヨラはよろよろと立ち上がった。
「なんてことを……。あなたは一心大助教教徒じゃない」
一心教は他人のため、世のためにあると信じていたのに。唇をかみしめるキヨラにミルは言い放った。
「神が取り憑くのは不信心なやつだ」
「そんな! お母様は決して不信心ではありませんでした」
「他人を拒絶できる人間でなければ神の力を伝えられない」
「お母様はずっとわたしを大切に育てて下しました!」
「大事な生贄だからな。教主はお前が生まれる前から神に操られてたんだよ。容姿が優れているってことは強力なディスプレイだ。あんたの父親は綺麗な顔をした不信心な人間だったんじゃないか?」
「どうしてそんなひどいことが言えるのですか」
動揺するキヨラにミルは遠慮なく告げた。
「知ってるからだよ。コミュニケーションは会話だけじゃねえ。このきつい香の匂いも、そこにあるお茶も、とっぷりと日の暮れた時間帯も、フェティッシュな祭壇も、すべて相手をコントロールするためのメッセージだ。全能情報伝達。それが神の力の正体だ。一心教が戒律を守らせるのは神の侵略をいち早く察知するための知恵だ」
「神の、侵略?」
「取り憑かれた人間は薬物に詳しくなるし、見た目や振る舞いにこだわるようになって演出過剰になる。人々を魅了する仕掛けに精通した詐欺師になるんだ。そうやって、自らのしもべを増やしていく。心当たりがあるだろ? 奇跡体験。ああ、あんたには見えないんだったな」
「それは……」
キヨラは言葉を濁した。今日までの教主を思えば返す言葉もない。
すると突然、ミルがひきつった顔を見せ、口を曲げた。
「ま、ひっこんでーー『キヨラ安心なさい』
モゴモゴともがくミルの口から、麗々しい言葉が溢れた。
『神のすべてが人々を支配しようと考えているわけではない』よ、よく、言う。『この者が必ずお前の母親を助けるだろう』勝手なことを言うな!」
ミルはキヨラに向かって両手を振った。
「待てよ、あたしは協力なんかしない。一銭の得にもならないことはしねえ。『この者もお前と同じ、神の声を聴く者なのだ』
なんて力強いお言葉。目を輝かせて、自分のやるべきことをやっと見つけたとばかりにキヨラは跪いた。
「神様! 教法師様! わたしにうつしてください! わたしも不信心なのですよね? ならばどうぞこの身体をお使いください!」
ミルが目を見開いた。
「それいいね! そうだ、そうすればいいんだ! 『それはならない。キヨラでは力不足だ』なんでだよ! 『次男がいる』ああ? 『強いと言っただろう』