第1話
文字数 1,864文字
まあーるい月夜
まさとくんとパパさんは近くの銭湯の帰り。ホカホカな体をモコモコのダウンが包んで、月に照らされた明るい小径を手をつないで歩いている。
「きれいだね」
「うん」
「ねえ。あの月何に見える?」
「えっとね。ドーナッツ」
帰り道にあるドーナッツ屋さんのことを言っているのかいないのか。
8歳のまさとくんの目はドーナッツ色に輝いていた。
「パパは何に見える?」
「そーだな。あつあつの大根かな」
帰り道にあるおでん屋さんのことをこれまた言っているのかいないのか。
おとなのパパは早く帰ってビールを飲みたい。
少し肌寒い今夜は人肌燗の日本酒なんてのもいい。
おひとつどうぞ♡なんてきれいなママに言われたい。(どこの?)
「寄ってく?」
「うん!」
まず、近いのはドーナッツ屋。
まさとくんはお店の手前から駆け出してドーナッツを6個、家族3人分で2つづ買った。
「えへ、楽しみ」
次におでん屋。
パパさんはちょっと気になっていたお店の暖簾をくぐり初めて中に入った。
「いらっしゃい」
そこには和服姿の小柄な女将が笑顔で菜箸を操っていた。年のころは同じくらいだろうか。なんだか甘ずっぱい懐かしさを感じた。
「あの、おでんを持ち帰りできますか」
「いいですよ。何にします?」
大根に、里芋、ちくわ、そしてスジ、おっと卵は欠かせない。よそってもらう間に店内を見回した。
客はドリフのギャグを連発する男と連れの若くて美しい男を手のひらにのせているのが丸わかりのお水っぽい女性(このあと自分のお店に同伴出勤に違いない)。 そして威圧感はあるが人情に熱そうな男性客がひとりで冷酒を呑んでいた。
あったかくて楽しそうでいい感じのお店だな、パパさんは心の中で呟いていると、ふと小学生のバスケットボールチームの写真が目に入った。そしてそこに写っていた優勝カップを手に万歳をしている女の子を見て思わず口に出た名前。
「公子ちゃん?」
女将は驚いた。
「その子私ですよ。どうして?」
ハア?まさとくんとパパさんは一緒に写真と見比べた。
(確かに写真の面影はある。イヤ。そんなはずがない)
パパさんは目の前のできごとを全部疑った。だって公子ちゃんは19才で死んだのだから。
戸惑うパパさんに女将は言った。
「もしかしてまことくん?」
びっくり眼のパパさんに女将の菜箸の里芋はおでん鍋にツルリと落ちた。
そこからは持ち帰りをやめてお店に座ることにした。子供が一緒だからほんの少しだけ。
「まさとゴメンね」
「いいよ。あったかいうちに食べられるから」
ビールをすすめられて一口呑んだ。カラカラの口の中をまあるい刺激がかけていく。夢じゃないことを確かめたパパさんは女将にたずねた。
「僕の知っている公子ちゃんは19才で亡くなってます。どうして僕のことを知ってるんですか」
しばらく沈黙が続き、まさとくんがジュースをおねだりしたことで女将は背を向けて栓を抜きながらコップに注ぎテーブルに差し出した。
「赤えんぴつちっちゃくなってない?」
まさとくんにそう尋ねた女将は、大切に使ってくれてありがとうと言った。
「パパがね。文房具たちはずっと長く僕と一緒にいたいんだよって教えてくれたんだ」
「そう」
まさとくんを見つめる女将のやさしいまなざしにパパさんはこれ以上聞くのをやめた。そしてあつあつの大根と人肌燗のお酒を注文した。
「おひとつどうぞ♡」
女将に注いでもらったお猪口に口を寄せて一息に飲み干すと胸の奥から体の芯にかけてほろ苦い想い出が染みわたっていく。カウンターの隅に掛けられた幾重にも祈りつづられた復興の千羽鶴。気が付くともう15年目の冬だった。
「パパどうしたの?泣いてる?」
「イヤイヤ、大根に辛子を付けすぎちゃったかな。つーんときた」
目と目の間をおしぼりでつまんで涙を拭いた。
「ああ、おいしい。よかったらそちらのお客さんも一杯いかがですか。僕のおごりです」
いぇーい。
「公子ちゃんもよかったらおひとつどうぞ」
「ありがとう。まことくん」
はたちをずいぶん過ぎちゃったね、そう言って二人は乾杯をした。
店をでて帰り道。
月は雲に隠れてオレンジ色の電灯がチカチカと点滅していた。まさとくんがうしろを振り返って手を振ろうしたらパパさんはもう振り返らないでいいよ、と言った。そして大きく息を吸ってほろ酔いの体をさますように腕をブンブン回した。
「遅くなっちゃったね。ママが心配してるぞお。家まで競走しよう」
「よーし。負けないよ」
よーい、ドン!
先回りする文房具たちもよーい、ドン!コロコロ、コロロ。
まさとくんとパパさんは近くの銭湯の帰り。ホカホカな体をモコモコのダウンが包んで、月に照らされた明るい小径を手をつないで歩いている。
「きれいだね」
「うん」
「ねえ。あの月何に見える?」
「えっとね。ドーナッツ」
帰り道にあるドーナッツ屋さんのことを言っているのかいないのか。
8歳のまさとくんの目はドーナッツ色に輝いていた。
「パパは何に見える?」
「そーだな。あつあつの大根かな」
帰り道にあるおでん屋さんのことをこれまた言っているのかいないのか。
おとなのパパは早く帰ってビールを飲みたい。
少し肌寒い今夜は人肌燗の日本酒なんてのもいい。
おひとつどうぞ♡なんてきれいなママに言われたい。(どこの?)
「寄ってく?」
「うん!」
まず、近いのはドーナッツ屋。
まさとくんはお店の手前から駆け出してドーナッツを6個、家族3人分で2つづ買った。
「えへ、楽しみ」
次におでん屋。
パパさんはちょっと気になっていたお店の暖簾をくぐり初めて中に入った。
「いらっしゃい」
そこには和服姿の小柄な女将が笑顔で菜箸を操っていた。年のころは同じくらいだろうか。なんだか甘ずっぱい懐かしさを感じた。
「あの、おでんを持ち帰りできますか」
「いいですよ。何にします?」
大根に、里芋、ちくわ、そしてスジ、おっと卵は欠かせない。よそってもらう間に店内を見回した。
客はドリフのギャグを連発する男と連れの若くて美しい男を手のひらにのせているのが丸わかりのお水っぽい女性(このあと自分のお店に同伴出勤に違いない)。 そして威圧感はあるが人情に熱そうな男性客がひとりで冷酒を呑んでいた。
あったかくて楽しそうでいい感じのお店だな、パパさんは心の中で呟いていると、ふと小学生のバスケットボールチームの写真が目に入った。そしてそこに写っていた優勝カップを手に万歳をしている女の子を見て思わず口に出た名前。
「公子ちゃん?」
女将は驚いた。
「その子私ですよ。どうして?」
ハア?まさとくんとパパさんは一緒に写真と見比べた。
(確かに写真の面影はある。イヤ。そんなはずがない)
パパさんは目の前のできごとを全部疑った。だって公子ちゃんは19才で死んだのだから。
戸惑うパパさんに女将は言った。
「もしかしてまことくん?」
びっくり眼のパパさんに女将の菜箸の里芋はおでん鍋にツルリと落ちた。
そこからは持ち帰りをやめてお店に座ることにした。子供が一緒だからほんの少しだけ。
「まさとゴメンね」
「いいよ。あったかいうちに食べられるから」
ビールをすすめられて一口呑んだ。カラカラの口の中をまあるい刺激がかけていく。夢じゃないことを確かめたパパさんは女将にたずねた。
「僕の知っている公子ちゃんは19才で亡くなってます。どうして僕のことを知ってるんですか」
しばらく沈黙が続き、まさとくんがジュースをおねだりしたことで女将は背を向けて栓を抜きながらコップに注ぎテーブルに差し出した。
「赤えんぴつちっちゃくなってない?」
まさとくんにそう尋ねた女将は、大切に使ってくれてありがとうと言った。
「パパがね。文房具たちはずっと長く僕と一緒にいたいんだよって教えてくれたんだ」
「そう」
まさとくんを見つめる女将のやさしいまなざしにパパさんはこれ以上聞くのをやめた。そしてあつあつの大根と人肌燗のお酒を注文した。
「おひとつどうぞ♡」
女将に注いでもらったお猪口に口を寄せて一息に飲み干すと胸の奥から体の芯にかけてほろ苦い想い出が染みわたっていく。カウンターの隅に掛けられた幾重にも祈りつづられた復興の千羽鶴。気が付くともう15年目の冬だった。
「パパどうしたの?泣いてる?」
「イヤイヤ、大根に辛子を付けすぎちゃったかな。つーんときた」
目と目の間をおしぼりでつまんで涙を拭いた。
「ああ、おいしい。よかったらそちらのお客さんも一杯いかがですか。僕のおごりです」
いぇーい。
「公子ちゃんもよかったらおひとつどうぞ」
「ありがとう。まことくん」
はたちをずいぶん過ぎちゃったね、そう言って二人は乾杯をした。
店をでて帰り道。
月は雲に隠れてオレンジ色の電灯がチカチカと点滅していた。まさとくんがうしろを振り返って手を振ろうしたらパパさんはもう振り返らないでいいよ、と言った。そして大きく息を吸ってほろ酔いの体をさますように腕をブンブン回した。
「遅くなっちゃったね。ママが心配してるぞお。家まで競走しよう」
「よーし。負けないよ」
よーい、ドン!
先回りする文房具たちもよーい、ドン!コロコロ、コロロ。