第1話

文字数 1,120文字

夏が近づき暑くなってくると、たまに思い出す。
アイツの存在を。
(害虫の話ではありません)

アイツと出会ったのは、大学1年のころだった。
前期のテストが終わり、家に帰るべく電車に乗っていた。
JR東海道線。外はカンカン照り。
テストからの解放感と長い夏休みに入るワクワク。

それにしても、大学4年間の長期休みはもっと有意義に過ごすべきだったと、今更ながら思う。
勉強でも遊びでもいいから、もっと熱中しておけと。
そう言えば、日射病はいつから熱中症と呼ばれるようになった?

閑話休題。
東京方面行きの東海道線。車内はそれほど混んでいなかったが、扉の前で背を預けて立っていた。
途中の駅で扉が開閉した後、私の向かいに50歳くらいのおじさんが立つ。

明るい日差しのもと、オレンジ色の電車が走りだす。
「いや~、今日はホントに暑いね~」
向かいに立ったおじさんが言った。

独り言ではなく、向かいにいる私に言っているようだった。
無視するか、車両を変えるか、応対するか。
そのときの私は夏休み前で浮かれていた。

「そうですね。ホント暑いですよね」
私が応じたのが嬉しかったのか、おじさんは続けて話しだした。

私が学生かどうか。
暑いときのビールの旨さ。
学生の頃に戻りたいこと。
私に彼女がいるのか。

おじさんはよっぽど誰かと話をしたかったのか。
面倒くさいが、相づちを打ったり、何となく応対していた。

「夏休み入ったら、兄ちゃんマスかき放題だね~。いいね~」
おじさんの身なりはきちんとしているが、話の内容が少しずつ下品になってきた。

「兄ちゃん、どこの駅で降りるんだい?」
早くおじさんとのやり取りを終わらせたい――しかも同じ駅で降りるとしたらより面倒くさそうなので、私は答えない。
「おじさん、次の駅で降りるんだよな~。兄ちゃんはどこだい?」

「……次の次の駅です」
「そっかぁ~。残念だな~」
おどけて悔しそうにした後、おじさんが急に真顔になる。
「おじさんと同じ駅だったら、トイレで兄ちゃんに気持ちいいこと、してあげようと思ったんだけどな~」
真顔のおじさんが口をチュパチュパしだした。
背中に悪寒を感じるのとほぼ同時に駅に到着。

「次に会ったときは、絶対におじさんとイイコトしようねっ!」
そう言葉を残し、おじさんは駅のホームに消えていった。

ヤバい奴だった。
朗らかな話しぶりで、見た目は清潔だったが、おかしな人間だった。
もしかしたら、暇な電車内で若者をからかっただけかもしれないが、当時18歳の私にとっては十分な恐怖だった。

電車等のトラブルの一つに「痴漢」による行為がある。
アダルトビデオのジャンルにもあるが、それが女性の場合「痴女」と言う。

私はあの夏に出会った変態おじさんのことを、心の中でこう呼んでいる。
「痴男」
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