第1話 知らないうちに異世界転生していた件

文字数 4,896文字

 そうだったのかと僕は気がついた。それは頭の中で突如として雷鳴のように閃いた事柄だった。それは正に天啓だと言ってよいのかもしれない。

 何ごとに対しても優秀であるはずの僕が、何故かいつも周りから駄目だと言われて今まで馬鹿にされ続けてきた。周りの奴らの方がどう考えても馬鹿だと言うのにもかかわらず。

 今日も始めて一か月しか経っていないコンビニバイトを客と揉めたからと言ってクビになった。加えて、棚への商品の置き方が乱雑だ。それも含めて仕事の全てが乱暴だ。しかも所々の作業が抜けているとまで言われてしまう始末だ。

 どう考えても客の方が馬鹿なのだから、揉めるのも当然だと僕は今でも思っている。

 仕事が乱暴? 生憎としてそんなつもりは一ミリもなかった。そう感じる店長の頭がきっとおかしいのだ。頭がおかしいのであれば優秀な僕に嫉妬をしてしまって、店長がそう言ってしまうのも仕方がないのことではあるのだが。

 小学校に入学した時には優秀で神童とまで言われていた僕だった。しかし、高学年辺りから周囲の様子が変わってきて、中学校に入学した頃からは万事がそのような感じだった。

 周囲の人たちが僕よりも絶対的な馬鹿で頭がおかしいと言うのに、その周囲の人たちは僕が馬鹿だと言い放つ。協調性がない、頭がおかしいと僕を非難する。最後には集団で僕を虐め始める始末だ。流石に優秀な僕だとしても、相手が集団では勝てるはずがない。

 そして、そのまま不登校になった僕は高校には行かずに引きこもり。二十一歳になった時にこのままでは駄目になると思い、勇気を出してバイトを始める。しかしこの一年、どのバイトも三か月も持たないでクビになってばかりだった。

 確かに僕は少しの期間だけ引きこもっていた。だとしても優秀な僕が何故、周囲の人たちから馬鹿にされ虐められてバイトすらも簡単にクビになってしまうのか。

 そう。今、はっきりと確信した。さっきも言ったが、これは間違いなく天啓なのだ。

 僕は知らないうちに異世界転生をしていたのだ。

 ……異世界転生。
 ここ数年、アニメなんかでよく耳にする言葉だ。因みにそれを扱ったアニメなら飽きるほどに観てきた僕が言うのだから間違いない。

 僕は知らないうちに異世界に転生していたのだ。

 だから優秀なのにも関わらず、異分子として周囲から拒絶され続けていたのだ。異分子は集団から弾かれるのが常なのだ。そのように異分子を弾いてしまうのは生物としての本能なのだ。加えて弾く側の集団が馬鹿で頭がおかしければ、尚更なのだろうと僕は思った。

 だが、もう安心だ。天啓を受けて今、その事実に僕は気がついたのだ。事実に気がつけばその対処もできるというものだ。

 そう。これは覚醒と言っていいのだろう。つまりは勇者覚醒なのだ。

 ……勇者覚醒。
 何だか胸が高鳴るぐらいに格好がいい響きの言葉だと僕は思う。

 ……あれ?
 生まれ変わったわけではないから転生ではないのかな?
 どうだったっけ?
 まあ、いいや。何でも。この世界が異世界だということに間違いはないのだから。

 僕は鼻息を荒げて、乱雑に物が積み上がっている四畳半の狭い自分の部屋で勢いよく立ち上がった。その勢いで突き出たお腹の肉が醜くいまでに揺れたのだけれど、僕はそれには気がつかないふりをする。

 異世界転生。そして勇者ということであれば、きっとこういうことなのだ。
 僕はそれを実行すべく、両手を宙に伸ばして声も高らかに叫んだ。

「ステータスオープン!」

 ……何も起こらない。
 そうか。ステータスという言葉が違うのかもしれない。

「オープン!」

 ……やはり何も起こらない。アニメなどで観たように、目の前にパソコンのモニターのようなものが浮かび上がってくるはずなのに。そしてレベルがMAXとか、攻撃力がカンストしているとか、とんでもないスキルを持っているといったような類いのことを知るはずなのに。

 ……ま、きっとこんなこともあるのだろう。そんな日だってあるのだろう。僕はそんな些細なことなど気にしないことにする。

 僕は部屋の扉を勢いよく開けると、ドタドタと音を立てて一階へと降りた。

 何事かと母親がキッチンから覗いてきたが、僕と目が合うとたちまちキッチンに引っ込んでしまう。また殴られたらたまったものではないと思ったのかもしれない。

 そうだ。それでいいと僕は思う。小言ばかりを言う低脳で頭のおかしい母親は、今や勇者である僕の視界に入ることなどは許されないのだ。

 僕はその勢いのままで外へと飛び出す。ここが異世界だと自覚すると不思議なことに視界に入る全ての物が、ここは異世界なのだと僕に訴えかけてきている気がする。

 馬鹿だな、僕は。何でこんな簡単なことに今まで気がつかなかったのだろうか。

 異世界だということに気がついて高鳴る胸の鼓動を感じながら、僕は左右を見渡した。僕は勇者なのだから勇者が持つに相応しい武器はないかと思ったのだ。

 ……あった。
 玄関に立てかけてあった折れたモップの柄。

 やはり誰も気がつかないのだなと思って、僕は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。これは単に折れた棒などではない。勇者が持つに相応しい勇者の折れた棒なのだ。

 もっとも、これに気がつくなんて流石は勇者の僕だ。僕はそんな自画自賛をしながらモップの折れた柄を握る。

 さて、これからどうしようかと僕は考える。やはり異世界ということであれば、取り敢えずは探索だ。世界がどうなっているのか。まずは知ることから。それから始めなくてはいけないだろう。

 時刻は日も落ちかかる十七時を回っていたが、僕は意気揚々と勇者の折れた棒を片手に駅へと向かったのだった。




 地元の駅から山手線に乗り込んだ僕は、気がつくと新宿駅で帰宅時の人並みに押されるようにして降りていた。

 新宿に来るなんて何年ぶりだろうかと僕は思う。新宿には怖いイメージがあって基本的には近づかない。

 ……怖い?
 ……違うのか。ここは僕が知っている新宿ではなくて、異世界の新宿なのだ。ややこしいけど、そういうことなのだ。だから怖いはずがないのだ。それに何といっても僕は勇者なのだから。

 駅を出た僕は人波に流されるままに、押されるままに歩みを進めた。決して人の多さに圧倒されていたわけではない。基本的にここは知らない異世界だし、流れに身を任せるのもいいのではと思っただけだ。

 気がついたら僕は行き交う人に流されるまま歌舞伎町に辿り着いたようだった。

 歌舞伎町なんて初めて来たから正直、この場所が本当に歌舞伎町なのかは分からない。だけれども、周囲のあちらこちらに歌舞伎町の文字がある。だから、きっとここはあの有名な歌舞伎町だろうと思った次第だ。

 あれ? ここは異世界だから僕が知っているはずの歌舞伎町とは違うのだろうか。
 ……まあ何でもいいや。もう面倒くさい。

 夕闇が訪れている空を嘲笑うかのようにして、周囲には下品な看板やネオンが立ち並んでいた。人の通りも凄い数だ。いかにもヤンチャそうな若い男や、やたらと肌の露出が多い派手な格好をした若い女性などがたくさんいる。

 僕はそれらに圧倒されたかのように道の真ん中で立ち尽くしている。

 圧倒?
 いや、違うのだと僕は考え直す。

 僕は異世界転生をした勇者なのだ。圧倒されることなどがあっていいわけがない。僕は歌舞伎町の道の真ん中で、勇者の折れた棒を握って仁王立ちとなって胸を張ってみた。

 やがて、周囲の人々が道の真ん中にいる僕を避けて歩いていることに気がついた。

 ……なるほど。なるほど。
 その様子を見て僕は内心で頷く。

 誰もが僕が勇者であると気づいているのだ。だから皆が畏敬の念を持って僕を避けるように歩いているのだ。

 ふふん。
 僕が盛大に鼻から息を吐き出した時だった。目の前に二人の男が立っていることに僕は気がついた。

 一人はヤクザのような格好をした三十歳半ばぐらいの男。一人はテレビなどで見かけるホストのような格好をした二十歳前半に見える若い男だった。

「ハジメ、こいつは……邪魔だな。しかし、何だってんだ? この前といい、最近はこういうデブが湧いて出てくる不思議な場所でも新宿にあるのか? やたらと続けて目にするじゃねえか」

 ヤクザのような男が渋い顔で若い男にそう言った。

「……ヤバいですよ、斉藤さん。このデブ、この前のデブと同じ雰囲気ですよ? デブなのも同じだし……」

 若い男がそう言うと、斉藤さんと呼ばれたヤクザ男が嬉しそうな顔をする。

「お前もヤバい奴が分かるようになったか。流石に殺されかかっただけのことはあるな」

 ヤクザ男の言葉に若い男は引き攣ったような笑顔を浮かべる。ヤクザ男は更に言葉を続けた。

「ハジメ、あの棒で殴られてこい。そしたら俺が仇をとってやる」

「嫌ですよ。下手すりゃ怪我だけじゃ済まないですよ。前だって包丁で斬られかかったんですよ?」

「うるせえよ。仕方ねえだろう。相手の頭がおかしいとはいえ、こいつは一般人だ。こっちからは手を出せねえ。手をだしたらパクられて終わりだ。おら、行け」

 ヤクザ男はそう言って若い男を前に押し出そうとしたのか、若い男の背中を蹴ろうとする。しかし、若い男はそれを巧みによけたようだった。

「ハジメ、ぶち殺すぞ! 避けてんじゃねえぞ!」

 ヤクザ男の怒声が飛ぶ。怒声を受けた若い男は、イヤイヤをするかのように青い顔で首を左右に振っていた。

「勘弁して下さいよ、斉藤さん。棒だけならまだしも、また包丁でも持ち出されたらどうするんですか?」

 ……何をしているんだろう、この人たちは?
 ……暇なのだろうか?

 まあいいと僕は思う。こんな頭のおかしな単なるモブでしかないような連中に、勇者の僕が相手をしている暇などないのた。

 僕は頭のおかしな連中に踵を返してゆっくりと歩き出す。右手には勇者の折れた棒。僕はそれをさらに強く握る。そして何度か振り回してみる。周囲から悲鳴のような感嘆の声が上がる。

 僕はその人たちから発せられた感嘆の声を聞いて、少しだけ得意げになりながらふと考える。

 ……でも、いつからこんなことになってしまったのだろうか。
 ……いつから現実がこんなにも自分の思いと異なるようになってしまったのだろうか。

 そんな言葉が僕の脳裏に浮かぶ。
 ……それを初めて自覚したのは小学校高学年の頃、クラスメイトの女の子が僕に冷たい目で言った時からだった気がする。

「……くんって、自分が失敗すると、いつも周りにいる誰かのせいにするよね。そして、その人の悪口を凄く言うよね」

 きっとその時からだった。自分の思いと現実とがゆっくりと、それでいて確実に乖離していってることを自覚したのは。

 それはまるで自分が、僕だけが他の人たちと違って現実とは異なる道を進んで行ってしまっているかのようだった。そして僕が進むその道は現実と再び交わるどころか、現実との距離がゆっくりと確実に離れていくだけのようだった。

 しかし、そんな思いが浮かんだのも一瞬だった。そんな自覚や疑問のような思いの類いは、瞬く間にいつも頭の中で発生するミルクのように白くて濃い霧の中に溶け込んでいってしまう。もう何も見えやしない……。

 僕は頭の中を白い霧で満たしたまま勇者の折れた棒をいま一度、強く握りしめた。まるでこれだけが僕にとっての真実で頼りになる物であるかのように。

 ……さあ、これから始まるのだ。
 異世界転生だと気がついた今、これから僕の勇者としての大冒険が始まるのだ。もしかしたら皆が羨むようなハーレム的な展開だってあるかもしれない。そう考えると胸が更に高鳴る。

 視界に派手な赤色のサイレンが見える。それに急かされるようにしてガードマンみたいな格好の人たちが数人、僕の方に向かってくる。

 何だろう?
 この辺りで何かあったのだろうか?

 困ったことがあれば、勇者の僕が解決してやってもいいのだが。

 まあ、いいやと僕は思う。きっと僕にはまるで関係のない話なのだから。
 そう考えながら、僕はこれから始まるであろう冒険に胸を高鳴らせるのだった。
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