第1話

文字数 1,995文字

 馬車の中から村をいくつか見るようになった。街が近いのかもしれない。

「フェリペ、もうすぐ街に着くのだが、その前に君の実の父親に会ってはどうかと提案したいのだが・・・」
「父さんに会うのですか?」
「この近くに住んでいる。会うだけでも・・・」
「わかりました」

 ニコラス先生が馬車を止めるように御者に言った。馬車は大きな道を離れて細い道に入り、小さな村に着いた。僕とニコラス先生は馬車を下り、石造りの小さな家の前に来た。

「ここが君のお父さんの家だ」
「ここですか?」

 7歳で家族と別れた時、僕の家は街の中心にありかなり金持ちだった。大きな家で家具も立派で使用人が何人もいた。ニコラス先生が声をかけると、すぐに家の中から男の人が出て来た。

「父さん・・・」

 記憶の中の父さんとはかなり違っていた。予想していたよりずっと年を取り、やつれている感じだった。

「フェリペ、お前はフェリペなのか?」
「修道院で医者をしているニコラスです。手紙に書いたようにフェリペは医者の家に引き取られることが決まりましたが、実の家族とも会った方がいいと思い連れてきました」
「今はあのころとは違う」
「何か事情があるようですね。もしよかったら、フェリペはこちらに一晩泊まり、親子でゆっくり話をされたらいかがですか。私たちは街の宿に泊まり明日の朝迎えに来ます」
「大したもてなしはできないが、それでもよい」

 ニコラス先生は馬車に戻った。僕と父さんだけが家の前に残された。

「こんなところで立ち話をするのもなんだから、中に入りなさい」

 家の中も僕の昔の記憶とはかなり違う。食堂があって他に2つくらい部屋があるだけだ。1つの部屋から男の子が出て来た。

「弟のマルティンだ。今年8歳になる。マルティン、お前の兄のフェリペだ」
「はじめまして・・・」
「フェリペは修道院でずっと勉強していた。優秀な成績で今度医者の家に引き取られることが決まった」
「すごいな。僕は勉強が苦手だから、父さんに教えてもらったこともすぐに忘れてしまう」

 無邪気に話しかけてくるマルティンを僕は複雑な表情で見た。父さんは僕が家族と一緒に住んでいないのは勉強のために修道院へ入れたと説明したらしい。でも僕は孤児と同じ扱いで最初はかなり惨めな思いをした。ニコラス先生に勉強を教えてもらうようになったのは10歳を過ぎてからだ。

「大した物は出せないが、夕食にしよう」

 父さんはテーブルにパンやハム、チーズなどを並べていた。

「ワインは飲めるのか?」
「は、はい。お祭りや行事の時にはご馳走が出てワインも飲みました」
「そうか。久しぶりに会う息子をもてなしたいのだが、今はこれぐらいしか出せない。さあ2人とも席に着きなさい」

 父さんは僕のグラスに赤ワインを入れてくれ、自分もグラスに入ったワインを一息に飲んでいた。なくなるとすぐに自分でワインをついでいた。

「ワインを飲むのも久しぶりだ。フェリペ、お前はなぜ父さんが落ちぶれたか知りたいか?」
「え、ええ、まあ・・・」

 僕は曖昧に返事をした。記憶に残っている昔の生活と差があり過ぎて混乱している。

「5年ぐらい前のことだ。ヴェネツィアに買い付けに行ったが、その帰りの船が沈没した。命は助かったが、借金をして購入した高価な商品を全て失った。その後はもう何をやってもうまくいかず、家も手放してここで細々と暮らしている。そしてつい最近妻、マルティンの母親も亡くなり、家族でヴェネツィアに行ってやり直すことを考えた」
「そうだったの・・・」

 僕はずっと家族はみんな昔のように贅沢な生活をしていたと信じていた。僕1人を邪魔者にして追い出して、家族3人で幸せに暮らしていた、でもそうではないようだ。食事を食べ終わり、すぐに寝る時間になった。

「フェリペ、お前は今夜はマルティンの部屋を使いなさい」
「はい」





 夜中に目が覚めた。隣の部屋から話声が聞こえる。

「兄さんが修道院に入れられたのは勉強のためではないよね。僕の母さんが意地悪したから」
「どうしてそれを知っている?」
「家に働いていた人がみんな言っていたよ。僕の母さんは酷い人で、フェリペ兄さんは修道院に入れられてかわいそうだって」
「そう思われてもしかたがない。だが、悪いのはお前の母さんではない。父さんが母さんに頼んでいた。わざと意地悪をしてつらく当たるようにと」
「どうしてそんな・・・」
「我々ユダヤ人は何も悪いことをしていなくても、突然捕らえられて殺されることがある。家族が一緒に仲良く暮らしていれば家族全員殺される。だが1人でも家族から離れ、キリスト教徒の修道院で育てられれば生き残る可能性が高くなる。キリスト教徒の中で、どう生きればよいか常に考えながら育つことになる。それは決して父さんからは教えられないことだ」
「それならば僕も・・・」
「ああ、お前もいつか父さんとは離れて暮らす日が来る。今すぐではないが・・・」
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