第1話

文字数 2,000文字


 のうなし。ペラペラ。まっしろけ。
 罵る言葉なんていくらでも浮かんでくる。
「なんで、うまくいかないわけ!?」
「私が何かしたっていうの?」
 出来ることなら重いもので殴ってやりたい。
 しかしながらこいつに意思なんてものはないので、恨んでも恨みきれない。きっと悪いのは常に私なのだろう。
「許せない」
 だとしても、恨み言を言う権利くらいはあるはずだ。
 言いながら、手を握る。
 だんだん手が汗ばんでくる。
 呼吸を止めて、目の前のものに真剣に向き合った。
 右に左にと手を動かして、そいつの表面を撫でていく。
 時には荒く、時には優しく。
 けれど、今回もうまくいかない。
 いつもそうなんだ。
 こいつは私の言うことを聞かない。


 初めて会ったのはお正月の神社だった。
 人のひしめく境内で、親とはぐれないようにしっかりと手を繋ぎ背中を追いかける。それでも人にはぶつかって、ああもう家に帰りたいと少し不機嫌になりかけていた。
 開けたところにたどり着き、やっとしっかり息を吸えた。腰をかがめて親は「どう?」と神社の一角を指差した。
 簡易の白いテントの下に、長机を並べて白い布を敷いている。その上で何かをしているようだったが、私の目線では何をしているのか分からなかったし、やはり見たところで初めて見たそれが何だか分からなかっただろう。
 お父さんに抱き上げられて、台に乗せられ机へと向かう。
 まだ四歳だった私は、初めてそいつを目にした。
 まっさらなそれは、おろしたてのノートのように、胸を沸かせる。
 これから何をしよう。
 どうなるのだろう。
 何をえがこう。
 そいつは、ただそこにあるだけれで《未来》を予感させた。
 お父さんとお母さんに、言われるがままに長い棒を持たされる。
 そして私は手を動かした。



 次に出会ったのは、意外にもお正月から数ヶ月後のことだった。
 私はそいつに会ってしたことが楽しくて、その頃何度も何度もそのお正月の思い出を家で語っていたのだという。だから、お母さんが従兄弟に使ってないものをもらってきてくれたのだ。
 テーブルの上には白い布の代わりに新聞紙を敷いて、床の上にも新聞紙を敷く。
 膝で立ち、ウキウキしながら今度は自分で長い棒を手に取って、そいつと向かい合う。
 何度も何度も繰り返し、まっしろなそいつと向き合った。
 それをするだけで褒められた。
 うまくできると、尚も褒められた。
 それが本当に嬉しかった。



 今でもその気持ちは変わらなくて、そいつに向かい合うのは嫌いじゃない。うまく出来れば褒められるのも変わらないし、これをしていると言うだけで「えらいね」なんて言われたりもする。ダメ出しもされるけれど、悪いところを指摘されて、より良いものへしていくことや自分を高めていくことは好きだ。何より自分が楽しい。
 だからこそ、高校生になってもこうして家で手に棒を持ち持ち、そいつを前にしている。テーブルには昔と同じように新聞紙を敷いて、床にも新聞紙を敷く。その上にはもう出来上がったものが乾かしてある。しかし、納得はいってない。
 思わず手に力が入る。
 うまくいなくてイライラしてしまうのは仕方がないと思う。
 もう一度。何度やってもやることは同じ。けれど常に一番を目指して。今の自分に出来る最高をそいつに吐き出す。
「今度こそ、出来たんじゃない……?」
 手に持っていた筆を置き、そいつを光に翳して出来映えを見る。
 そいつには私の手で書かれた文字が書かれている。
《令和》
 めでたい!
 しかも完璧!
「最高じゃない!?」
 苦手なハライも、絶妙なバランスも、今まで書いてきた中で一番満足に出来た。
「私ってば、最高じゃん!」
 有頂天になって、そのまま立ち上がる。
 これを先生に提出しよう! そうだ、お母さんにも見てもらおう!
 そう思ったときのことだった。
「あ」
 パサリとペラペラのそいつが落ちてしまう。
 乾ききっていない黒い墨が、他の白い部分を汚していく。
「あーもう!最悪!私ってやつはなんてことを!」
 急いで広げたが、墨はいたるところについてしまい無惨なことになっていた。かろうじて文字は読めるが、とてもじゃないが提出はできない。
「もうやだ!」
 せっかく、せっかく書けたのに!
 のうなし。ペラペラ。まっしろけ。
 罵るけれど、こいつだけのせいではないだろう。
「すぐに調子に乗る私も許せん!!」
 時計を見て時間を確認する。日付が変わるまであと数時間。時代が《令和》になるまであと少し。せめて、新しい時代になるまでには書き終わりたい。
 私は決意を新たにし、もう一枚別のそいつ――白い半紙を下敷きに乗せ、文鎮で重しをする。
 頭を抱えつつ、私は再びペラペラの真っ白な半紙に向かうのだった。
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