ローレンス・R・スペンサー

文字数 1,274文字

ローレンスさんという人が書いた『エイリアンインタビュー』と言う本を、読んで感じたことを話していこうと思います。

この本に書かれていることは本当だと思う。
まず地球が刑務所であること。
肉体が自由な精神である魂を拘束するために造られたものであること。
性というものが、魂をより肉体に依存させるための装置として、肉体に植え付けられたものであること。

『どのような人間も、自分自身が-個人的にも集合的にも-神である、という事実に関して個人的な責任を引き受けることはない。この事実のみがあらゆる魂が罠にかかる原因である』 
と、この本に書かれてあるのですが、全くその通りだなあと思いました。

人間は元々神だった。それはどれくらい昔かはわからない。人によって個人差があると思う。200、300兆年前の人もいれば、数万年前の人もいれば1000年前の人もいるかもしれない。

とにかく昔、人間は神だった。

神だったころに、この宇宙そのものを創り、地球を含む沢山の恒星、惑星を造った。そして色々あって、自分以外の神を攻撃したり、罠を掛けたり、逆に攻撃されたり、罠にかけられたりしながら、弱体化し衰弱し、記憶を喪失したり、記憶力が弱まったりして、全知と言えるほどの膨大な知識と記憶、英知を保持していた状態から、人間程度の記憶や知識しか維持できない状態にまで落ちぶれ堕落してしまった。

もともとこの宇宙もこの世界も、地球も地球上の様々な国々も自分自身が造ったのなら、それらの世界で起きていることに責任を持ち、自分が神として果たすべき責任を果たすべきだと思った。

今の自分に置き換えてみれば、人として当たり前に感じる良心や誠実さ、正義感というものに対して、忠実に正直であるということが身の丈に合った言葉であるように感じる。

地球上で過ごす人間が抱く神という概念には重大な弱点があると思う。
それは、自分が神であるという事実から目を逸らされるということだ。
それはある種の自己卑下であるようにも感じる。

神に祈ったり神に懺悔しているとき人間は、自分にはそんな力はないと、この物質宇宙に敗北を認めている。

自分の中に造った神という概念、あるいは自分を取り巻く宗教的環境から押し付けられた神という概念に、自分の罪や責任を擦り付けている。利己的な祈りや懺悔には、そう言った側面があるように感じる。

マッドサイエンティスト的、独裁者的な「私は神だ」、という感覚ではなく、もっと素直に純粋な気持ちで

『どのような人間も、自分自身が-個人的にも集合的にも-神である、という事実に関して個人的な責任を引き受けることはない。この事実のみがあらゆる魂が罠にかかる原因である』
という言葉を理解出来たら、人はもっと幸せになれるんじゃないだろうか。

そして、周りにいる人たちを幸せにする力を取り戻すこともできるかもしれない。

『エイリアン インタビュー』
著:Lawrence R Spencer
https://amzn.asia/d/59X7wCV

『エイリアンインタビュー解説動画』
https://youtu.be/BUYYYaavrjI
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