雪よりも確かな
文字数 1,997文字
それは雪よりも確かな重み。
私の足もとから膝、太もも、腰、おへそ、おなかの上に降ってくる。やがて肺あたりで落ち着いたらしく、ずっしりとした感覚に目を開ける。何度かまばたきをした。
顔を少しずらして視線の先、カーテンの隙間から覗く光はほんのりと明るい。
目覚まし時計のアラームが鳴る前に起きたやつだ。
今度は視線を落とす。私が呼吸する度に背中を向けた雪のように真っ白な猫が、規則正しく上下の動きを繰り返している。尻尾の先が一定のリズムを刻んでぴこぴこと、はねていた。
「……おはよう、マーちゃん」
マーチは白猫の雌。数年前、兄の友だちの家から我が家にやってきた。三月頃の話で、兄が勝手に名前をつけたのだ。初めは一緒に考えたかったとケンカしたが、いまでは私も気に入っている。
その彼女とはたまに夜中のキッチンに集まってこっそりとおやつを食べる仲だ。小腹が空いてキッチンに立つ音だけで、頬あたりに寝癖をつけたまま私の足もとに現れる。何故わたくしを誘ってくださらないの、と眠そうな目で見つめてくる表情が好きだ。
今回は朝ごはんの時間が待てなくて私の部屋の猫用ドアをくぐり、起こしにきたようだった。
日曜日ぐらいはもう少し寝ていたいものだ。
私はささやかな抵抗として体を揺らしてみた。微動だにしない。動かざること山の如し、である。次に布団から腕を出して背後から人差し指でつついてみる。毛の流れに逆らって小さな穴ができた。すると尻尾をぴしっ、と私の体に打ちつけ、軽くあしらわれてしまった。
肩口に爪を立ててみたり、ざらざらした舌で私の鼻頭にくっつけることもあるけれど、どうやら今日の気分は静かに訴えるスタイルのようだ。
尻尾の動きからして、何となく私とのやりとりを楽しんでいる気配さえあった。
「お願いだからもう少しだけ寝かせてよ」
さらに念を飛ばしていると思いが通じたのか、香箱座りをほどいてマーチはおもむろに立ち上がる。器用に私の上でくるりとこちらを向いて伸びを始めた。
私もつい、あくびが出てしまいそうな穏やかな光景ではあるが、おなかあたりに肉球が食い込んでいて地味に痛かったりする。
体勢を変えたマーチはそのまま退くのかと思えば、私と対面する形で再び香箱座りに収まった。
そこは退かないのか、と私は心のなかでツッコミを入れておく。
三角型のチョコのイチゴ味の部分みたいな鼻にちょん、と指先をつけてみる。
マーチは確認するように顔を近づけて、擦りつけてくる。
続けてあごあたりを人差し指でゆっくりとなでた。柔らかく温かくて、冬毛なのですぐに指が埋もれて見えなくなった。
少ししてマーチからごろごろとのどを鳴らす音が聞こえてきた。
調子にのって両手で彼女の頬あたりをやんわりと包み、こねこねするとマシュマロに見えてきた。
「ふふ」
私が笑うと、とろりとしたはちみつ色の目がうっすらと開いて見つめてくる。しょうがない子ね、と言われているようだった。
マーチに声をかけたり遊んでもらっていると意識がはっきりしてきた。もう少し寝たい気持ちもどこかにいって、このまま起きることにした。
「少し早いけど、朝ごはんの用意しようか」
いったんマーチをおろす。アラームが鳴る十五分前だった。目覚まし時計のスイッチをオフにしておく。
布団から抜け出し、鋭い冷たさも春の気配を帯びてやや柔らかくなっても寒いものは寒い。あちこち体を擦りながらカーテンを開ける。明るくなった外を眺めていると、マーチが窓枠にのぼってきた。
僅かに窓を開けてみる。すると鼻を近づけて、すぴすぴと冬と春が混ざる香りを堪能している。その横顔は尊く美しい。
だがマーチは気まぐれで、飽きてきたのか、目についたのか寒暖差でできた水の玉をつけた窓を見つめて小首をかしげている。やがて肉球を押しあて始めた。
「ああ、濡れるよ」
私は様子を見て彼女を抱き上げる。短い鳴き声で抗議されても、引き離して窓に鍵をかけた。
綿菓子のようにふわふわな子猫だったマーチも両手で抱えるほどの大きさに育った。私の上体の半分を占めて、尻尾を体に巻きつけてリラックスしていた。
いまのところ病にかかることなく、家族の愛情を受けてすこやかに、私たちよりも早く春の気配を感じて生きている。
何て幸せな重みなのだろう。
ときに姉になったり妹になったりする私たちの関係は、いずれ陽光にあてられた雪のように、時間をかけて少しずつ溶けて消えていくけれど、すべてがなくなるとは思っていない。
「誰か起きてるみたい」
部屋のドアを開けて気づく。一階では家族の誰かがキッチンで何かをしている音が聞こえる。
私はマーチをおろそうとして様子を窺う。高さが変わって見える景色に楽しんでいるようだった。
私はもう一度抱え直し、彼女の確かな重みと温もりをしっかりと感じながら、リビングに通じる階段をおりていくのだった。
私の足もとから膝、太もも、腰、おへそ、おなかの上に降ってくる。やがて肺あたりで落ち着いたらしく、ずっしりとした感覚に目を開ける。何度かまばたきをした。
顔を少しずらして視線の先、カーテンの隙間から覗く光はほんのりと明るい。
目覚まし時計のアラームが鳴る前に起きたやつだ。
今度は視線を落とす。私が呼吸する度に背中を向けた雪のように真っ白な猫が、規則正しく上下の動きを繰り返している。尻尾の先が一定のリズムを刻んでぴこぴこと、はねていた。
「……おはよう、マーちゃん」
マーチは白猫の雌。数年前、兄の友だちの家から我が家にやってきた。三月頃の話で、兄が勝手に名前をつけたのだ。初めは一緒に考えたかったとケンカしたが、いまでは私も気に入っている。
その彼女とはたまに夜中のキッチンに集まってこっそりとおやつを食べる仲だ。小腹が空いてキッチンに立つ音だけで、頬あたりに寝癖をつけたまま私の足もとに現れる。何故わたくしを誘ってくださらないの、と眠そうな目で見つめてくる表情が好きだ。
今回は朝ごはんの時間が待てなくて私の部屋の猫用ドアをくぐり、起こしにきたようだった。
日曜日ぐらいはもう少し寝ていたいものだ。
私はささやかな抵抗として体を揺らしてみた。微動だにしない。動かざること山の如し、である。次に布団から腕を出して背後から人差し指でつついてみる。毛の流れに逆らって小さな穴ができた。すると尻尾をぴしっ、と私の体に打ちつけ、軽くあしらわれてしまった。
肩口に爪を立ててみたり、ざらざらした舌で私の鼻頭にくっつけることもあるけれど、どうやら今日の気分は静かに訴えるスタイルのようだ。
尻尾の動きからして、何となく私とのやりとりを楽しんでいる気配さえあった。
「お願いだからもう少しだけ寝かせてよ」
さらに念を飛ばしていると思いが通じたのか、香箱座りをほどいてマーチはおもむろに立ち上がる。器用に私の上でくるりとこちらを向いて伸びを始めた。
私もつい、あくびが出てしまいそうな穏やかな光景ではあるが、おなかあたりに肉球が食い込んでいて地味に痛かったりする。
体勢を変えたマーチはそのまま退くのかと思えば、私と対面する形で再び香箱座りに収まった。
そこは退かないのか、と私は心のなかでツッコミを入れておく。
三角型のチョコのイチゴ味の部分みたいな鼻にちょん、と指先をつけてみる。
マーチは確認するように顔を近づけて、擦りつけてくる。
続けてあごあたりを人差し指でゆっくりとなでた。柔らかく温かくて、冬毛なのですぐに指が埋もれて見えなくなった。
少ししてマーチからごろごろとのどを鳴らす音が聞こえてきた。
調子にのって両手で彼女の頬あたりをやんわりと包み、こねこねするとマシュマロに見えてきた。
「ふふ」
私が笑うと、とろりとしたはちみつ色の目がうっすらと開いて見つめてくる。しょうがない子ね、と言われているようだった。
マーチに声をかけたり遊んでもらっていると意識がはっきりしてきた。もう少し寝たい気持ちもどこかにいって、このまま起きることにした。
「少し早いけど、朝ごはんの用意しようか」
いったんマーチをおろす。アラームが鳴る十五分前だった。目覚まし時計のスイッチをオフにしておく。
布団から抜け出し、鋭い冷たさも春の気配を帯びてやや柔らかくなっても寒いものは寒い。あちこち体を擦りながらカーテンを開ける。明るくなった外を眺めていると、マーチが窓枠にのぼってきた。
僅かに窓を開けてみる。すると鼻を近づけて、すぴすぴと冬と春が混ざる香りを堪能している。その横顔は尊く美しい。
だがマーチは気まぐれで、飽きてきたのか、目についたのか寒暖差でできた水の玉をつけた窓を見つめて小首をかしげている。やがて肉球を押しあて始めた。
「ああ、濡れるよ」
私は様子を見て彼女を抱き上げる。短い鳴き声で抗議されても、引き離して窓に鍵をかけた。
綿菓子のようにふわふわな子猫だったマーチも両手で抱えるほどの大きさに育った。私の上体の半分を占めて、尻尾を体に巻きつけてリラックスしていた。
いまのところ病にかかることなく、家族の愛情を受けてすこやかに、私たちよりも早く春の気配を感じて生きている。
何て幸せな重みなのだろう。
ときに姉になったり妹になったりする私たちの関係は、いずれ陽光にあてられた雪のように、時間をかけて少しずつ溶けて消えていくけれど、すべてがなくなるとは思っていない。
「誰か起きてるみたい」
部屋のドアを開けて気づく。一階では家族の誰かがキッチンで何かをしている音が聞こえる。
私はマーチをおろそうとして様子を窺う。高さが変わって見える景色に楽しんでいるようだった。
私はもう一度抱え直し、彼女の確かな重みと温もりをしっかりと感じながら、リビングに通じる階段をおりていくのだった。