種から生まれた物語

文字数 2,480文字

 昔むかしの、お話です。
 この「日乃本(ひのもと)」という国の、ある地方を支配している、横暴な殿さまがおりました。
 その言動の乱暴なこと、そこいらの民をつかまえて「雄牛に乳を出させよ」だの「枯れ木に花を咲かせよ」だの、「竜宮に行って、行ったという証拠の宝珠(ほうじゅ)を持ってこい」だの無理難題の言い放題。
 しかも命令を聞けない者は、「このわしに逆らった」とて残らず投獄。たまらずに殿さまの横暴を注意する家臣は残らず免職、心優しい一人娘の「華姫(はなひめ)」さまは、ひそかに心を痛めていました。
 そんなある日に、お城の前に一人(いちにん)の旅の物売りがやって来ました。
「さあさ、綺麗な花の種。
 不思議なふしぎな花の種。
 それは世にも良い香り、娘の血を吸う花の種!」
 何とも妖しい売り文句を、たまたま殿さまが聞きつけました。殿さまは城内のお庭を散歩なされていたのです。さあ、珍しい物好きの殿さまのこと、こんな売り声を聞いて放っておくはずがありません。
「何じゃと? 『不思議な花の種』?
『何とも良い香りがする』じゃと? しかも『娘の血を吸う』と?
 どういうことじゃ、お前の売るのはどんな妖しの種なのじゃ?」
「これは殿さま、恐れながら申し上げます。
 この種は魔性の者から仔細あってゆずり受けました花の種。
 (けが)れなき処女(おとめ)の胸を裂き、心の臓を裂き切って、そこに植えます花の種。
 そうしなければ芽吹きません。そうしなければ咲きません。
 しかして咲き出た魔性の花の、美しいこと香りの良いこと! これはそういう種なのです!」
 殿さまは売り人の口上(こうじょう)にうっとりとなり、その種を一袋買い入れました。
 それが地獄の始まりでした。
 殿さまは自分の領土から「美しい処女」をさらうように召し上げて、ひそかにその胸を裂き、心の臓を裂き切って、そこに種を植え出しました。お城の地下室の、白い絹の敷物は、日ごと夜ごとに血に染まり、黒いほど真紅になっていきました。
 しかし、種は芽吹きません。そのうちどこから()れ出たものか、「殿さまは召し上げた処女を殺している」とのうわさが(ちまた)にあふれました。
 それでも、殿さまは凶行を止めません。物売りの言った「妖しの花」を見たいとの思いに、もうすっかり()りつかれていたのです。
 とうとう殿さまはお触れを出して、
「この種を芽吹かせて咲かせた者に、一人娘の華姫を与える」
と公言したのです。もちろん種を借り受けると申し出た者には「芽吹かせ方」をこっそり伝えることも決して忘れませんでした。
 そんな父にとうとう嫌気がさしたのか、華姫はそっと姿を隠しました。お城のどこにもいなくなってしまったのです。花も咲かない、娘の華もいなくなる。
 殿さまは半狂乱になって、こんどは「華姫を見つけた者は自分の側近(そっきん)に取り立てる」とまた無茶なお触れを出しました。
 そんなある日、一人の若者が「良い知らせがあります」と、殿さまにお目通りを願いました。若者は殿さまの御前(ごぜん)に参じ、くるんでいた布を取り去り、一輪の美しい花を(けん)じました。それは鮮血のように生々しく赤く、深く甘く、腐りかけの天上の果実のような匂いがしました。
「お殿さま、それはお望みの妖しの花です。
 穢れなき処女の胸を裂き、心の臓を裂き切って種を植え、そうして咲かした花ですよ。
 あなたのたった一人の娘、華姫をたぶらかして殺し、そうして咲かした花ですよ……!」
 その時の殿さまの心中は、どのようなものであったでしょう。
 今やっと殿さまは知ったのです。自分の一番大事なものを奪われて、今さらになって知ったのです。自分が手にかけた娘の親は、兄弟は、恋人は、夫は、友だちは……どのような思いを味わったのか、今身に染みて分かったのです。
 殿さまは自分が何をしているのかもよく分からず、すらりと刀を抜きました。若者の細く白い首すじ目がけて、思いきり振り下ろしました。
「お父上! おやめになってくださいまし!!」
 ばっと赤い着物が(おど)って、華姫が部屋に駆け込みました。その姿を目に捕えても、一度動いた刀はそううまく止まれませんでした。若者の首は綺麗に落ちて、敷物の上にも大輪の赤い花が咲きました。
 華姫は落ちた首に取りすがって、声を立てて泣き出しました。何も分からない殿さまが、なかば呆然(ぼうぜん)と問いかけました。
「……華……お前は……死んだのでは? ……」
「いいえ、違います、違います!
 この方は城を出た私に親切にしてくれて、『あなたさまのお父上の目を覚まさせましょう』と、この計画を立てたんです!
『自分の娘が同じ目に()ったと思ったら、殿さまはきっと改心するだろう。この俺に万事任せてください』と、汚れ役をひとりで買って出たんです!
 父上、もうおやめになって? ……父上の所業のために、どれだけの民が同じ絶望を味わったか、もうお分かりになったでしょう? ……」
 そう言ってまた泣き崩れる姫を、殿さまは何も言えずに見ていました。
 ふと気がついて手の中の花をよくよく見ると、それは良く出来た絹細工に、香りをつけたものでした。若者は腕の良い「かざり花職人」だったのです。
 ――それから後、殿さまは絵に描いたように「良い君主」になりました。もう無茶な命令やお触れは、一つも出さなくなりました。年貢もなるべく少なくして、飢饉(ききん)の年には城の蔵に貯めておいた米や麦を、代も取らずに配りました。「魔性の花」の先と後では別人だと、人々はうわさし合いました。
 そうして華姫は、たまゆらに恋人になった「かざり花職人」の面影をしのんで、一生を(ひと)り身で通しました。
 さて、これほどの大事を巻き起こした花の種を売った者とは、一体何者だったのでしょう?
 それは一人の忍びでした。とある忍びの変装した姿でした。
「馬鹿な殿さまの乱心を引き起こし、内政ががたがたになったところでこの地方を乗っ取ろう」とした他国の武将……その武将から命令を受けた、忍びだったそうですよ。
 そうして妖しの花の種とは、石くれを削ってうまく作った、単なる偽物(にせもの)だったそうです。
 それは百年、二百年……。
 気の遠くなるほど、遠い昔にあったそうです。昔むかしのお話です。
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