第1話

文字数 2,424文字

岩波ホールが今年の7月29日に閉館してしまった。
ここは1968年の開館だけど、1974年から始まった「エキプ・ド・シネマ」(一般の映画館では上映されない、世界の名作映画を単館で上映する取組み)で一躍その名が知れ渡った。

私は1975年4月に大学進学のために上京したが、東京生活が始まるとすぐ岩波ホールに出かけた。
そのとき観たのはインドの巨匠サタジット・レイ監督の「大地のうた」3部作。
3作合計で6時間以上の上映時間で正直、疲労困憊した。
モノクロ画面の特長が活かされていて、感銘を受ける場面も多々あったが、まだ二十歳前の人生経験の乏しい若造には消化不良気味であった。
しかし、「これは観ておくべき映画なのだ。」という修行僧的義務感で、ヘロヘロになりながらもなんとか完走した。
これにはジョイスの「ユリシーズ」を読んだ時の感覚に近いものがあった。
その後も、「オール・ザ・キングス・メン」「フェリーニの道化師」「惑星ソラリス」などの作品を岩波ホールで観た記憶がある。(これらはとても面白かった)

1977年、大学三年生になると、教養課程の大学祭実行委員会がお役御免になって時間に余裕ができたので、アルバイトをしながらまず運転免許を取り、次いで秋から英会話学校に行くことにした。
選んだのは御茶ノ水の「アテネフランセ」。半年間コースで授業は毎週土曜日の午後であった。
当時住んでいた阿佐ヶ谷の近くにもいくつか英会話学校があったけれど、授業が終わった後に岩波ホールで映画を観ることができるということもあって、アテネフランセに決めた。

その年の12月、英会話の授業の後、岩波ホールで映画(当時の日記によると、ルイス・ブニュエル監督「自由の幻想」だった。)を観終わって出口に向かっていた時、英会話の同じクラスの女性が偶然そこにいた。
その場は挨拶だけで別れたが、次回の授業の後で映画の話で盛り上がり、近くの喫茶店に行った。それがきっかけで交際がスタート。
相手の女性は女子大の一年生で、清楚で透明感のある雰囲気も良かったが、特に魅力的だったのは声であった。
決して高すぎない透明で柔らかい彼女の声は心地よく、授業の時の英語の発音もとてもエレガントで、思わず聞き入ってしまうほどであった。

私と彼女は急速に仲良くなっていった。岩波ホールにも何度も一緒に行ったし、共に過ごした時間が信頼しあえるステディな関係を育んだ。

私が大学を卒業して就職した年の暮れ、大学3年生になっていた彼女から手編みのセーターをプレゼントされた。
その時、漠然とはしていたが、
「この人と結婚するのかなぁ。 そうなればいいけどなぁ。」と思った。

彼女が大学4年生になった翌年の7月の土曜日。
デートの後、いつものように彼女を家まで送って行ったときに、彼女の両親が出てきて、半ば強引に家に上がらされた。
彼女の父親は貿易関係の中堅企業のオーナー経営者で自信に満ちていて、仕事や実家のことなどを色々尋ねられた。
それからしばらくして、先方から婿養子の話が出た。
彼女は一人っ子なので、跡継ぎになってほしいとの事だった。
彼女からも「そういう風に考えてくれると嬉しいけど。」と言われた。

だけど、私には異存があった。
当時は社会人二年目で、まだ駆け出しのようなレベルであったが、何となく「仕事の重心」がわかり始めてきて、手応えも実感できるようになっていた。
また、会社の同期の仲間や職場や取引先の人たちとの人間関係も徐々に築いていた。
だから、この時点ですべてを手放して、将来を全面的に他人に委ねる気にはなれなかった。少し安易すぎるじゃないかとも思った。

自分の中で考えを纏めて、話を聞いた1週間後に彼女に伝えた。
併せて、婿養子として会社を継ぐのは無理だけど、彼女が卒業したら結婚したいという気持ちも伝えた。
彼女からは「これまで結婚なんてずっと先のことだと思ってきたけど、父に『好きな人ができた時は、現実も直視して、どうするかちゃんと考えないと。』と言われて考えたの。私は一人娘で、会社の経営は父で成り立っているのだから、いずれ私の結婚相手には婿養子として来てもらわなければならない宿命だと気がついたの。私が好きになる人を両親が気に入るとは限らないし、、、だから、考え直して。」と言われたが、
「どうして初めから「宿命」に従わなきゃいけないと考えるのかが、よくわからない。「本当にこの人となら」という人が現れたら、宿命を振り払ってもいいんじゃないか。」と私は言い、二人の会話は平行線を辿った。

楽しかったデートもその後はこのことを議論することが多くなり、二人の関係も少しずつ溝が拡がり、希薄化していった。

その年の暮れに彼女から別れを告げられた。
「養子の件も時間が経てば解決すると思っていたけれど、あなたは前みたいに心の底から笑うことがなくなったし、何かつらそうな感じがするの。
もう私たちの間には元に戻れないくらいの距離ができてしまったみたい。」
「ただ、あなたは自分から声をかけたという責任感みたいなものを背負っていて、決して自分からは切り出さない。ねえ、お互いのためにもう会うのはやめましょう。」
私はしばらく何も言えなかった。ものすごい喪失感にとらわれ、激しく後悔した。だけど彼女の言う通りだと思った。


彼女と別れてから私にとって岩波ホールは鬼門になってしまい、すっかり足が遠のいた。
また、しばらくの間、私の胸の中には氷のかけらが残っているようで、表面上はともかく、完全には立ち直りきれていなかったようにも思う。
私のなかの「氷河期」が終わったのは、それから2年半後に今の嫁さんと知り合ってからだった。

7月の中旬に40年ぶりで岩波ホールに行った。
館内には入らず周囲を巡っただけだったが、別れを告げるために大勢の人が足を運んでいた。
みんな遠くを見るような表情をしている。
きっと私とおなじように色々あった昔の出来事を懐かしんで封印をしているのだろうと思った。
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