第1話

文字数 1,059文字

中古のCB750Fは風を切って走る。待ち合わせの公園脇でエンジンを切った。根太い4気筒空冷エンジンが止まり、静かにチン、チンと音を立てる。今日は楽しく過ごすことができるだろうか。最近の僕はどこか気まずい思いをしていた。就活の面接は一次でことごとく落とされ、先が見通せない日々が続いていた。反面、ヨウコは既に内定を二つもらっている。

彼女の家の前まで迎えに行けばいいのだろうけれど、今の自分には、まだ彼女の母に会うだけの器量も度量もない。僕は彼女にふさわしい男ではないのかもしれない、そんなことを考えるようになっていた。一方でもしも彼女が僕から離れて、誰か他の男と付き合うことになったらと想像するだけで胸ははち切れそうに苦しくなった。

公園のプラタナスの葉のほとんどが枯れ落ち、枝が青空に向かって広がっている。このままではいけない。けれど僕は自分がスーツを着てサラリーマンをしている姿すら想像できなかった。

やがて、小さな交差点からヨウコが小走りに走って来るのを僕はほっとして見つめた。
「待った。」ヨウコの白い歯と口の形を僕は好きだった。彼女の笑顔を見ているだけで、僕のモヤモヤした気分は晴れやかなものに変わるのだ。僕はヨウコの笑顔の為にも、もっと頑張らなければいけないんだろう、そんなことを考えた。

「さあ、行こう。今日は少し寒いけれど。しっかりつかまって。」ヘルメットを彼女に渡した。CBにまたがるとヨウコが後から僕の腰に両腕を回すのを待ってセルを回す。CBは4気筒の低音を静かに響かせ、やがて唸るように走り出した。

国道129号はやがて高浜台の交差点に差し掛かり、晩秋の海が日差しを浴びて輝いていた。信号待ちで「海、きれいだね。」とヨウコが言い「これからずっと海岸を走るよ。」と僕は言った。信号が青に変わるとCBと相模湾が傾き小田原に進路を向ける。ヨウコは僕と同じように背中で重心を移動しCBは綺麗な流線を描きながら風を切った。

僕たちは大磯東から西湘バイパスに入り、スピードを上げる。ヨウコの両腕がグッと力を込めた。彼女の体の温もりを背中で感じ、僕は幸せに包まれた。海は宝石をちりばめたように遠くまで輝き、海岸線には真っ白な波が打ち寄せている。

こうしてヨウコと一緒にこれからも同じ時を過ごしたい。僕の願いは、確かにこの一点に尽きると確信した。その為にも僕は精一杯、戦わなければいけない。それがどんなに強い相手でも逃げ出すべきではない。そう確信しCBのアクセルを少しだけ開け気味にして西湘バイパスを伊豆に向かって走るのだった。





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