第1話

文字数 1,986文字

「古今東西あらゆる宗教を研究した結果、わたしは生まれ変わりの概念を欠いた宗教は存在しないと確信するにいたったのであります」
 今回の演説のためだけに借り切られた音楽ホールには満杯の聴衆が詰めかけている。彼らは全員が熱心な仏教徒であり、壇上で一席ぶっている肥満気味の男に心酔している狂人たちでもあった。
「キリスト教の千年王国しかり、ヒンドゥー教しかり、チベットにいたっては指導者が毎度生まれ変わってさえいる。それだけじゃない、世界各地には前世があったとしか思えない子どもたちが日夜生まれ、親御さんを仰天させている始末なのだ」肥満気味の男こと槇村啓一郎は劇的な効果を狙ってためを作った。「つまり、生まれ変わりは確かに存在する!」
 会衆から送られる大喝采。槇村氏は鳴りやまぬ拍手を薄く目を閉じて堪能している。
「われわれはもはや迫りくる死に怯えて暮らす必要はない。何度でもチャンスはめぐってくるし、前世の記憶をそっくり持ち越せさえすれば生まれてすぐに〈天上天下唯我独尊〉とのたまうのも夢じゃない。遺伝子は個体間を渡り歩くことによって不死性を獲得してるわけだが、連中にできてわれわれにできない理由はない」演壇に両手を突いて身を乗り出す。「ぜひともいまこの場で誓っていただきたい。輪廻転生研究会に所属するみなさんは今日限り煩悩を捨て、来世を人間で――そう、取るに足りない虫けらや殺されるのを待つだけの畜生ではなしに、人間で――始められるようおさ怠りなく努力すると!」

 会員たちはおさ怠りなく努力はしたけれども、即身成仏を目指す修行は半端な覚悟の人間にはとてもついていけないハードな内容であった。平均的な修行メニューの一部を以下に列挙する。
・財産はすべて浄財として槇村氏に寄付する(彼の名誉のために付言しておくと、それらの使いみちは山籠もり用の低山一帯の購入と修行道場建設に充てられた)。
・身にまとうのは季節に関わりなく作務衣のみ。
・食事はすべて自給自足、肉食妻帯(あるいは

帯)は厳禁、自慰もむろん禁止。
・滝行、座禅、読経、写経、不眠などなど、あらゆる宗教から拝借してきた苦行の強制。
・生命はいかなる理由があろうとも殺めるなかれ。細菌の生死にかかわるため、呼吸ですら最小限に抑えるべし。
 当然脱落者が続出し、彼らはトースターからパンが飛び出すように修行場から出奔していった。槇村氏は彼らの敗走する背中を見ながら吐き捨てたものだ。「愚か者どもめ。これで連中の来世は決まったようなもんだ。せいぜいカマドウマとして

生をまっとうするんだな」

 十年後、会員は三人にまで激減していた。これはリーダーを含めての数である。二百五十人の転生希望者を擁していた当時とは隔世の感がある。
 槇村氏はすっかり痩せ衰えて栄養失調の境界領域をふらついており、一日七時間ぶっ続けで行う座禅のせいで骨盤は変形し、一日四時間の睡眠は常時真っ赤に充血した不気味な瞳を彼に与えていた。それらしい棺に入って寝ていれば、横蔵寺あたりのミイラと言い張っても十分通用するほどの容貌である。
 三人が一日の行を終えて極度の空腹に耐えながら炊事をこなしていると、だしぬけに会員甲が土間に座り込んだ。「もう無理です。あたしにはとても耐えられません」
 彼女は死の恐怖に魅入られた哀れな女性で、夫も子どもも捨てて入会した筋金入りの狂信者であった。その彼女ですら限界に達したのである。
「こんなところでへたばってどうする」槇村氏は会員甲を揺さぶって激励した。「これからさらに修業は厳しくなるんだぞ」
「い、いまなんて言いました」会員乙が顔をひきつらせ、後ずさった。「これ以上厳しくなるなんて嘘ですよね」
「きみらはこんな程度の修業で本当に即身成仏できると思ってるのか。転生はそんな生易しいもんじゃない。われわれの目標は最終的に修行で死ぬことなんだぞ」
「冗談じゃない。付き合ってられないね」会員乙は薪を放り出して逃げ出した。
 竹馬の友があっさり投了したのを呆然と眺めているリーダーを尻目に、会員甲は不確かな足取りでそのあとを追った。
 幹部たちによる相次ぐ離反のショックからようやくのことで立ち直ったあと、彼は決意も新たに宣言した。「わたしは……やり抜くぞ」

 二十年後の真冬、発足当時の修業メニューを何倍も厳しくしたしろものを実行中、槇村啓一郎は結跏趺坐の体勢のまま息を引き取った。享年七十四歳、修業期間は実に三十年にもおよんだ末の鬼籍入りである。まこと堂に入った、けちのつけようのない大往生であった。
 目覚めた彼はようすがおかしいことに気づく。どう見ても産婦人科の処置室にいるとは思えない。眼前には糸のように目を細めたパンチパーマの男が黙して座禅を組んでいるのみ。
「なんとね」槇村氏は苦笑しながら額をぴしゃりと叩いた。「煩悩を払いすぎたらしいね、どうも」
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