文字数 5,783文字

「えぇ!? 一二三(ひふみ)が死んだ!?」
「あいつが一番若かっただろ? 何があったんだ」
「心労……ストレスで人は死ぬの?」
「だからといって俺らのせいじゃない」

 山辺一二三。山辺スーパーの会長を務める男。享年53。死ぬにはあまりにも早く、突然のことだった。それに焦ったのは一二三の上の4人の兄弟たち。
 サラリーマン生活を終え、気ままな天下りをしていた春夫。独身のまま家を出て、小さなレディスファッションの店を経営する夏未。スーパーの事務を担当していた秋子に、常務だった冬二。
 上のふたり、春夫と夏未はスーパーの経営には携わっていなかった。それはなぜか。この先代から続いていた山辺商店……今は『スーパー山辺』は赤字で自転車操業をしていたからだ。

 事務を担当していた秋子は、大きなため息をついた。経営面で苦労していたのが会長で弟の一二三? いや、秋子の方が苦労をしていた。どこから借金をすればいいのか。金を貸してくれる銀行はあるのか。
 常務だった冬二は、その席に甘えていた。自分は絶対に会長にはならない。今の生ぬるい環境が一番いい。社会的地位もある。
 だが、金策に走るのは秋子だし、責任を取るのは弟である一二三だ。自分は一生常務でいい。

 市内にある葬祭場に、兄姉たちは集まっていた。目の前には弟である一二三の亡骸。
 死に顔はきれいにしてもらい、眠っているようだ――というのは嘘になる。まるで蝋人形。
そう思ってしまうのは、苦労を弟にかけてきたという自覚が少しでもあったからだ。

「どうするの? お店は」

 秋子が冬二にたずねる。会長であった一二三が亡くなれば、自然と冬二が跡を継ぐことになるはずだ。
 しかし、兄はそんなこと知ったこっちゃないといった風に怒声を上げた。

「一二三には息子と娘がいるだろう! あいつらが店を引き継ぐべきだ! 俺はただの常務! 一二三の財産を相続する人間がスーパーも継ぐべきだ!」

 春夫は死体の横でビールを飲み続ける。夏未も自分はもう店とは関係ないと思っている。

「まったく……親父が死んだのに、なんで息子たちは来ないんだ!」
「あの子たちはダメよ。だって、久留美さんの子どもよ?」

 久留美とは、一二三の妻の名前だ。彼女は自由な女性で、常識やそのほかの慣習、すべてにとらわれない自由人だった。一二三はそれで苦労もしていたようで、よく兄姉にこぼしていた。「うちの妻はとんでもないよ」と。

 その息子と娘は、父が死んでもいまだ葬祭場に顔を出さない。久留美はすでに亡くなった人だ。世界一周の旅の途中、テロに巻き込まれたと、一時はニュースに名前が流れていた。

 そのとき、葬祭場の親族控室をノックする音がした。

「ちーっす! おおっ、おじさんおばさん勢ぞろいって感じっすか! 初めまして~!」

 一同言葉を失う。目の前に現れたのは、茶髪で左耳にピアスをいくつも開けた、黒縁メガネのチャラくて若い男。誰だ、こいつは。葬儀の席に不似合いなこいつは。

「あ、あんた、もしかして」
「え~っ! かわいい甥っ子ですよ~! 親父の息子、一望っす!」

 愕然とした。一二三には確かに息子がいた。だが、話に聞いていたところ、ひどい息子だった。一二三からは話だけは聞いていた。
 なんでも高校を退学して、バックパッカーとして世界を回っていたとか。そういうところは母親の久留美と一緒だ。しかし、四人の兄姉たちは同じことを思っていた。

『こいつは使える』と。

 一二三に子どもがいるのは幸いだった。何故なら、赤字であるスーパー山辺を継ぐことになるのが、このチャラそうな男だからだ。
 子どもがいなかったら、自分たちにこの負の財産は均等に分けられていたかもしれない。
だったらこの葬儀の場面をうまく乗り切り、バカそうな息子を会長にのし上げればいいだけ。
 借金もこいつに押し付けられる。スーパー山辺を簡単に倒産させるわけにはいかない。何があっても経営再建。借金を背負いながら、従業員の生活を守らなくてはならない。しかし、そんなことは4人の兄弟たちにはどうでもいいことだ。

「あっれ~? 皆さんもっと飲んでるかと思ってたのに」
「はは、君が来るのを待っていたんだよ」

 春夫はグラスを傾けながら苦笑する。
 スーパー経営に携わってはいないといえ、もし自分の身の上に何かあったら。不安で酔えないと思っていたのだ。夏未も同じで、売れないショップをたたんでスーパーの重役につけと言われるのが怖かった。

「お子さんたちが来なければ、一二三は悲しむでしょ?」
「そっすかね~?」

 パーカーに茶髪、ピアスはあり得ない。しかもノリは軽すぎる。だが、バカそうだ。こいつをうまく乗せてしまえば……。

「兄さん、邪魔」

「おう、希。悪ぃ悪ぃ。あ、こいつが俺の妹で、親父の娘っす! 希はおじさんやおばさんたちにあったことないんだよな~」

 希と呼ばれた20代前半くらいの女の子は、こくんとうなずく。

 一望(いちる)と希は、早速父親の死体と面会する。

「あはは! 親父のやつ、変顔して死にやがったなぁ!」
「…………」

 全員一抹の不安を感じる。一応喪主は、一望がすることになっていた。息子が行うことが常識的だからだ。それなのにこんな軽くて大丈夫なのか。葬儀にはスーパーの株主も来るだろう。こんな軽い男に、喪主が務まるのか?

「ねぇ、一望くん。ちょっと喪主の挨拶をしてみてくれない? ほら、私たち今まで付き合いがなかったでしょう?」

「あ、いっすよ~!」

 軽い。すべてにおいて軽い。本当にこいつを喪主にしていいのだろうか。
 春夫はすでにスーパーの経営には関係ないが、世間体が気になった。夏未もそうだ。秋子と冬二に関しては、今後の経営にも支障が出るかもしれない。このバカ息子を表に出していいのか。

「えっとぉ、親父は生前、めっちゃ仕事に力をいれてる人でした! そういうところ俺はすっげー尊敬しててぇ、『親父みてぇになりてぇ!』って少し思ってて……」

「ま、待った!」

 声を変えたのは長男・春夫だった。

「もう少し、その……形式的に話してくれないかな?」
「けいしきてき? え~っと、意味わかんねぇんすけど」
「だ、だからね、君……」

 春夫が一望に指導している間、兄姉間ではひそひそと会議が行われていた。会議というか、一望と希についての話だ。

「彼、大丈夫なの? 高校退学でバックパッカーだったんでしょ? 常識もなさそうだし、学歴もないわ」

 夏未がささやくと、春夫が返す。

「じゃあ、希ちゃんならできるっていうのか!?」

 兄姉一同、希を見つめる。
 彼女は父が亡くなったというのに、表情ひとつ変えず、その場に正座している。普通だったら泣いたり、今後のことを心配したりするだろうに。

「でも、一望くんよりはマシかもしれない」

 冬二が希に話しかける。

「希ちゃん、君はお父さんに何か最後に伝えたいことはないのかい?」

「ありません。父は父の人生を全うしただけですから。私の親ではありますが、彼を語るほどの付き合いはありませんので」

 父のことを『父』とは言わず『彼』と呼ぶ。他人事だ。兄姉たちは肩を落とした。

 一二三の子どもたちはどちらもダメだ。完璧な対外的な葬儀は諦めよう。でも、ダメでもいい。負の遺産を相続してくれるバカどもだ。ダメで結構。自分たちが助かれば問題ない。

 通夜を仕切っていた冬二は特にそう思っていた。だが、葬儀は一望が仕切る。ここで思いもよらないことが起きるとは思わずに――。

 翌日。
 葬儀は12:00から行われる。

 希はずっと四人のおじ・おばと一緒にいたが、一望は一旦外へ出ていた。なんでも『パチンコ、今日新台入るんっすよね~!』とのこと。父親が死んで、パチンコも何もあったものか。そう思っていたのに……彼こそが、本当の裏切り者であったのだ。

「伯父さん、伯母さん、お待たせしました」

 目の前に現れたのは、黒い髪を七三分けにした銀縁メガネの青年。全員が誰かと思った。希以外は。彼こそが本当の『山辺一望』の姿。希はそれを待ちわびていたようだった。

 4人の伯父・伯母はいでたちが変わった甥っ子を見て、度肝を抜かれていた。

「ちょっと! あれは何よ! どういうこと!?」

 声を荒げたのは夏未。それに対して秋子も首をかしげる。

「お父さんのお葬式だから、さすがにあの格好はまずいと思ったのかしら? でも……ピアスホールもふさがってる? あれはフェイクピアスだったの?」

会場の様子をこっそりのぞいていた冬二は、急いでふたりのところに来て首を振った。

「違う、あれは……マスコミに対してのアピールだ」

「マスコミ? いや、確かにスーパー山辺は関東……というかこの県には多く出店している。だけど、マスコミが騒ぐほどか?」

「……みなさん、そろそろ席におつきいただけますか」

 告げたのは冷めた顔をした娘の希。4人はぞっとした。なぜ父の葬儀でそこまで冷静でいられるのか。ましてや娘だ。父親から可愛がられて育てられた、と考えるのが普通だ。
 しかし、希は父の兄姉を冷たい視線でとらえていた。

 自分たちが何をしたというんだ……?恐怖を覚えながら、親類席の2列目に4人は座る。
 前の席には空きがある。
 喪主である一望と、希が座る席。その横にはあとふたり座れるはずなのに、4人は誰もそこに座ることはしなかった。

 ――できないと本能が告げていたのだ。

「本日は亡き父、山辺一二三の葬儀へお越しいただき、感謝いたします」

 昨日とはうって変わった一望の言葉。後ろには予想以上の報道陣。いちスーパー、しかも地元密着型の会長の葬儀だ。それなのに、なんでこんなにマスコミがいるんだ?
 しかも葬儀は動画サイトでも生放送しているとのこと。それもカメラを入れたのは一望だ。

 4人はびくびくしていた。何が起こるかまったくわからない――。

 喪主・一望は、挨拶でとんでもない言葉を発した。

『会長・一二三の意向により、今後スーパー山辺は外資系スーパー『ウィルマート』と合併、
提携していく予定です』

 4人の兄姉たちは、思わず立ち上がる。それを前に座っていた希は、予想通りといった感じで、背中で息を飲む音を聞いていた。

「どういうことよ! 聞いていないわよ!? ウィルマートと合併なんて!」

 一二三の身体が焼かれている途中――。親族の待合室で大声をあげたのが秋子だった。

「ええ、父は誰にも言っていませんでしたから。私たち以外には」

 昨日まではチャラかった男の一人称が変わった。『私』って……就職面接でもないのに?

「だからってお前らみたいに学がない人間に、外資系とうまくやって行けるわけがない!」

 そう言ったのは冬二。それを鼻で笑ったのが、希だった。

「冬二伯父さん。あなたは何もわかっていない。言葉にしたこと以外、信じないんですか?」
「ど、どういう意味だ!?」
「私の学歴ですが……」

 こほん、と小さく咳払いをすると、一望は話し始めた。

「私は中卒です。ですが、そのあとに大検を受けました」
「だけど、バックパッカーだったんだろ!?」
「ふふっ、確かに海外にはいましたよ。ハーバードのほうにね」
「は、ハーバード!?」

 夏未と秋子が驚いたような声を上げる。

「バックパッカーだったときの写真は、私の友人のものです。私はずっとハーバードで勉強して……日本に帰ってからは父と付き合いがあった経営学の教授に師事しています。これでも『学がない』と仰るなら、それでも結構。確かに完璧な人間はおりませんから」

「くっ!」

 冬二は悔しそうに口を曲げる。

「だ、だったら、希ちゃんはどうだ!」

 春夫が今度は妹にも攻撃を仕掛けてくる。だが、ふたりはある意味『完璧』だった。

「私は確かに有名な大学の出身ではありません。二岡大学という学校を卒業しております。でも、その様子じゃご存知じゃなさそうですね。この大学はいわゆるFランクですが、『秘書科』だけは一流だと」

「秘書科……?」
「父が勧めてくれたんです。将来、海外と提携して大きなスーパーを経営する兄を支えるために、完璧に秘書になれと、ね」

 希は初めてにやりと笑う。まさか、一二三がここまで計算通りだったとは。兄姉は誰もが信じられなかった。
 あの、のんびりしていて、いつもはずれクジを引いていた弟が、子どもたちをこんな風に育てていたなんて。

「父はあなたたちを責めてはいません。むしろ感謝していた。逆境に追いやってくれたあなた方をね」

 一望がそう言うと、希は首を振った。

「兄さん、わざわざ優しい言い方をしなくてもいいわよ。スーパーが赤字になるとわかって、逃げた春夫伯父さん。家族を助けようとしなかった夏未伯母さん。事務をしていたのにどうすれば黒字にすることができるのかすら考えなかった秋子叔母さんに、甘い蜜ばかり吸っていた冬二伯父さん。あなたたちに父さんは殺されたのよ。だから、私たちは『スーパー山辺』をもっと大きくすることで、復讐を果たす。それが父さんの願いだから」

「……すみません。希が勝手なことを言いまして。だが、これが父の本音だ。あなたたちは知らなかったでしょうが、私たちは父の臨終のとき、その場にいたんですよ。そして言われたんだ。あなたがたに復讐するようにと。この復讐は、続いていきます。スーパーを大きくすればするほど、あなたたちの罪悪感は……」

「ああ、あいつは本当に腹黒いなぁ」

 そうつぶやいたのは冬二だった。

「そうね、一番物分かりがいいようで、深く考えていたのが一二三よ」

 夏未も同じようにこぼす。

「一二三だけじゃない。あなたたちにも食らわせられたわ。一二三ったら……子どもも駒にするのね」

 秋子も頭を抱えながらため息をつく。

「我々は完敗だよ。末弟にね」

 最後に笑ったのは、春夫だった。

「我々は一二三に恨まれて当然だったんだ。だから……その分、君たちに成功してもらいたいな」

「言われなくても」

 一望が頭を下げる。希もだ。

 これからスーパー山辺は、新生する。山辺家の末弟、一二三の血族が繁栄させていくのだ。

 一二三の身体は焼けていく。それを親族たちは、待っている。会話はない。ただ、彼の思いを引き継ぐものがいる。
 ようやく4人の兄姉は、『山辺』の枷を解くことができた。そして、新たにふたりの若者が、その枷を引き継ぐのだ。そこに見えるのは未来――そう信じて。
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