悪役にハッピーエンドを

文字数 1,956文字

 私、ミスティラート・カーネリアンは一年後の十八歳の誕生日、十二歳から婚約していたアクロアイト・スピリュアから婚約破棄を言い渡され、専属執事であるミーアシャム・フロヴィルに暗殺される。
 これは私が半年前に思い出した《この世界の記憶》だ。
 三十路を目前に駅の階段から転落し、結婚を前提に付き合っていた恋人に別れを想う暇もないほど呆気なくその一生を終えた。
 そして半年前まで貴族という立場を堪能しながらそれなりに愛されて過ごしていたわけだが、腹違いの妹がやってきて思い出したのだ。この世界は、前世の私が繰り返し何度も読んでいた少女漫画の世界で、私はその漫画の悪役であったことを。

「ミスティお姉様!」
 ブロンドの髪をふわりと揺らし、花のように笑う彼女が義妹のマリーシャ・カーネリアン、ヒロインだ。幼き頃に一度出会い、たったその一度で惹かれ合ったマリーシャとアクロアイト。しかし、再開したアクロアイトは義姉の婚約者。二人は気持ちを抑えるものの、やはりどうしても意識してしまう。そんな彼らに嫉妬した私がひどくマリーシャをいじめるのだ。それがアクロアイトにまで伝わり、密かにマリーシャに想いを寄せていたミーアシャムに暗殺される。
 もちろん、前世を思い出してそんな嫉妬に駆られるはずがない。そのせいか……──
「ミスティお姉様ったらぁ」
「なぁに、マリー」
「次はその……いつアクロアイト様がいらっしゃるの?」
 頬を染め、その可愛いらしさと恋心を私に突きつけてくる。アクロは立場上控えめではあるが、漫画で読んでいた頃よりは明け透けな気がする。まあ、今は気にしていない。もともと貴族の結婚なんて親が決めるものだし、恋心があったわけではない。記憶が戻ってからというもの、私はかつての恋人に会いたくてたまらないのだ。あの強気で悪戯な笑顔が恋しい。
「四日後、また来てくださるそうよ。マリーは本当にアクロ様が好きね」
「あ、いえ、そんな‼︎」
「隠さなくていいわ、もう少し待ってね。そしたらアクロ様と婚約解消して、マリーとの婚約話が進むはずよ」
 もう手筈は整っている。カーネリアン家としても、スピリュア家としても繋がりが持てたら誰と誰が結婚しようがどうでもいいのだから、アクロが望めば快諾する。その承諾待ちで公にはなっていないだけで、もう本当にあと少しなのだ。
 真っ赤な紅茶を飲んでいると、視界の端でマリーが涙ぐむのが見えた。
「あら、どうして泣くの? 喜ばしいことでしょう?」
 本当に疑問だった。あんなに明け透けに愛し合っているのに、なぜ悲しそうなのか。
「あなたは何も悪くないわ。愛し合わない婚約より、愛し合って尚且つ家の為になる婚約よ。それに、私の幸せはマリーがなんの障害もなく幸せになることだもの」
 そういうわけにはいかないだろうが、この願いに嘘はない。彼女が私に邪魔されず幸せになれば私は生きていける。それ以上にこの世界で幸せなことは悪役の私にはない。
 思っていると、静かなノックが部屋に響く。ミーアシャムだろう。マリーは溢れそうな涙を慌てて拭い、淑やかに礼をして部屋を出て行った。入れ替わりでミーアが入ってくる。マリーもこの半年で随分貴族らしい動きをするようになった。相当努力したのだろう。
「ミスティラート様……」
「マリーなら泣いていたわ。行っていいわよ」
「いえ、私はミスティラート様に仕える身ですので」
「気にしなくていいのよ、あなたにとっても彼女との時間は残り僅かなはずだから」
 瞳を閉じて、出来る限りの冷たい声を出す。
「言い方を変えます。泣いていたマリーシャ様より泣くのを堪えているミスティラート様をひとりにはできません」
 閉じているはずの瞳に涙が滲むのを感じ、唇を噛み締める。
 アクロもマリーもこの半年で何も変わらない。全く漫画通りではないが、ごく自然に二人は結ばれようとしているし、誰もそこに疑問を抱かない。そんな中で彼だけが違った。
「マリーを慕っているんじゃないの」
「また馬鹿なことを」
 半年前まで忠実な執事だったのに、今みたいなことを平然と言い放つようになった。私も何故だか、それが妙に心地よかった。今だって、もう涙が堪えきれそうもない。
「ミーア、もし私が本当はミスティラート・カーネリアンじゃないって言ったらどうする? ここにいちゃいけない人間だとしたら」
 涙を誤魔化すように口が勝手に動いた。
「奇遇ですね、私も訊いてみたかった」
 瞼を持ち上げると、揺れる視界でミーアが強気で悪戯な笑顔を浮かべるのが見えた。
「ミスティラート様はどうされますか? 俺が本当はミーアシャム・フロヴィルじゃないって言ったら」
 顔がくしゃくしゃに歪んでいくのを自覚した。令嬢らしくないと思いながら、もうすでにそんなことはどうでもよくなって、泣いた。
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