第1話

文字数 1,914文字

 「ふぅ」
木下麻衣はスーパー銭湯の浴場から出たあと、フロント近くの自動販売機で瓶入りのコーヒー牛乳を買い、そばにある椅子に座りながら飲んでいた。麻衣はスーパー銭湯に行くのが好きだった。わざわざ本格的な温泉地に行かなくても手軽に温泉感覚を楽しめる。それに湯あがりに飲む、コーヒー牛乳の味は格別だった。
(やっぱりおいしいなぁ……、湯あがりのコーヒー牛乳は)
そう思いながらコーヒー牛乳を飲んでいると、
「あれ?木下さん?」
と自分の名前を呼ぶ男の人の声が聞こえた。驚いて声がしたほうを向くと、同じ大学で同じ講義を受けている藤井悟が麻衣のすぐ近くにいた。
「藤井君!?どうしてここにいるの?」
麻衣はスーパー銭湯に行くのが趣味だったが、自分の年にしては渋い趣味だと思っていた。同学年で一緒に行ってくれる友達はいなかったので、いつも1人で来ていたのだ。来てみても、やはり自分と同じ年代の客は少なかった。だから、同学年の藤井悟とスーパー銭湯で会ったことにひどく驚いてしまった。
「俺ね、スーパー銭湯好きなの」
悟は言う。
「そうなんだ!私もだよ」
麻衣は悟に急に親近感を感じた。
「なんかジジくさいっていうヤツもいるけど、のんびりできるし体が温まっていいよね」
悟がそう言う。
「うんうん!」
麻衣はなんだか同じように感じている人がいることが嬉しくて思いきり相槌を打った。
「木下さんてさ、なんで石田先生が開く飲み会、毎回来ないの?」
悟が聞く。
 石田先生というのは、麻衣と悟が受けている英文学のシェイクスピアの講義をしている先生で、生徒達と一緒に飲むのが好きでよく飲み会を開いているのだ。
 でも麻衣はその飲み会に参加したことがない。麻衣はお酒が飲めないのだった。
「私、お酒飲めないの……」
麻衣は言った。
「酔いやすいの?」
「そんなこともないんだけど、味を美味しいと感じなくて。なんか苦いっていうか……」
「サワーもダメ?」
「うん、なんか苦い……。普通の炭酸飲料のほうがいい」
悟は麻衣が片手に持っているコーヒー牛乳をちらっと見る。そして、
「カルーアミルクって知ってる?」
と聞く。
「ううん、知らない……」
「コーヒー牛乳に似てるんだよ。ここの食事処にはないかな。ここ出て少し歩いたところに居酒屋あったよね。飲みに行ってみない?」
「うん……」
藤井悟とは麻衣はあまり話したことがない。こんなに話すのも今日が初めてだ。藤井悟は眼鏡をかけたどちらかと言うとおとなしめな印象の人だったので、結構話すことにも驚いたし、居酒屋に誘う積極性に、麻衣は少しドキドキした。
 スーパー銭湯を出て近くの居酒屋に、麻衣と悟は移動した。
 席につくと、悟はすぐに店員に、
「カルーアミルク2つ」
と注文した。店員はすぐにカルーアミルクを2つを持ってきて、麻衣と悟の前に置いていった。麻衣と悟はグラスを手に取る。
「乾杯」
と悟が言う。
「何の乾杯?」
麻衣が聞く。
「木下さんのカルーアミルクデビューに(笑)」
「そっか(笑)」
(藤井君て話しやすいな)
麻衣はそう思った。
 2人はグラスをカチンと軽く合わせて乾杯した。
 麻衣は一口、カルーアミルクを口に含む。今まで飲んできたお酒特有の苦味は感じず、コーヒー牛乳を濃く甘くしたような味で美味しい。
「美味しい……、お酒って感じがしなくて普通に飲めちゃう」
麻衣は言った。
「そうでしょ」
と悟は言う。
 麻衣はカルーアミルクをチビチビと飲んでいったけど、悟はゴクゴクと飲んでいく。悟のごつっと出っぱった喉仏がカルーアミルクを飲むたびに脈打つように動くのを見て、麻衣はドキッとした。悟の見かけより男らしい飲みっぷりと喉仏に、麻衣は少し心臓の鼓動が速まるのを感じた。
 悟はあっという間に飲んでしまうと、グラスをテーブルに置いて、
「あー、美味しかったぁ」
と満面の笑みを浮かべて言った。その笑顔にも麻衣は少しドキドキした。
「飲むの速いね」
麻衣は言った。
「俺、酒好きだし、結構強いんだよね。でも木下さんはあまり慣れてないならゆっくり飲んだら?」
と悟は言った。
「うん……」
麻衣は、おとなしそうな外見とは裏腹にお酒に強いという悟のギャップと、麻衣を気遣ってくれる優しさに、また鼓動が速まる。自分の心臓の音が聞こえるようだった。
「今度さ、石田先生が開く飲み会に、木下さんも来なよ。楽しいよ。お酒飲めないって言ってたけどカルーアミルクは美味しかったでしょ?」
悟が言う。
「うん」
麻衣は微笑みながら答える。
 麻衣は今から次に石田先生が開く飲み会が楽しみになった。その時に飲むカルーアミルクも。そして藤井悟にまた会うことも。
 湯あがりに飲んでいたコーヒー牛乳は、気付くと少し大人なカルーアミルクに変わっていた。




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