死んだんだ
文字数 5,926文字
いつもならもう少し寝ていたいと思う時間だったが、一度目が覚めると
蝉のせいではなく、渇きによって目を覚ましたのかも知れない。
エアコンをつけたまま寝たからかもしれない。
冷蔵庫から出した水をコップに
部屋に戻ると
ソレ
があった。夢ではなかったのだ。
床や壁に付いた汚れは全て
立ち尽くしたまま少し考えたが、結局いい考えは思い浮かばなかった。なのでソレから少し離れたところに座りスマホを
時刻はまだ正午前でお腹が空いたわけでもないのに、部屋から出て買い物に行こうと思った。
着替えるにも
それから少し軽く化粧して、そそくさと家を出た。エアコンはつけっ
涼しくした方がいいと思ったのだ。
部屋を出ると熱気に襲われた。着替えたばかりなのにもう汗まみれであった。
○ぬほど暑い。と思って反省した。
「○ぬ」なんて言葉を簡単に使っていい状況ではないだろう。
冷やし中華を買って戻った私の部屋にソレはまだ居た。
幻覚ではなかったのだ。
ソレはいつも私が座る位置にある。ソレを
自分の部屋でなぜこんな思いをしなければならないのかと思う。
こちらに足を向けて仰向けになっている。顔はよく見えない。
ソレの
少しこの状況に慣れたらしい私は、ソレの頭側に立った。
そして
しかしソレは重く。来ている服が少し
暑い。エアコンがついた部屋だというのに暑くて堪らなかった。
ソレから視線を外して一息ついた。
今度は、下側から脇に手を入れて持ち上げるようにして運ぼうとした。
先程よりも少し楽に運べたので、「んっ」と力を入れて動かした。
ベッドの横あたりまで移動させ、私が座るには十分なスペースを確保した。
そんなことをすると、ソレが動き出すような気がした。
だからやめたのだ。
2.
どういう訳かはわからないけれど、とにかくそう思うのだ。
仏壇にある「ちーん」と音のする鐘だ。
お寺のある「ごーん」という音のする方は、秋だろう。
私の住む二階建てのアパートから電車で30分で着く私の実家には、母と兄、姉が居た。
亡くなった祖母に手を合わせ終えた私は、コップに注がれた麦茶を飲んだ。
麦茶に線香の匂い。これも夏という感じだ。
エアコンがないこの部屋には、
ふと、部屋のエアコンをつけたままにしたか不安になった。
つけたままにしなくちゃいけない。
そうでないときっと
ドラマで見た程度の知識であったが、私にはそれが何よりも頼りになる有益な情報だった。
いや、消した訳がない。消すはずがない。昨日の夜から、つけたまましている。
エアコンのリモコンを見た記憶がないほどだ。
しかし、一度気になるとどうしても確認せずにはいられなかった。
実家の滞在時間はわずか30分ほどで、私は自宅に帰ることにした。
電車に
久しぶりに遊ぼうというものだった。
普段であれば、もちろんと返事をするところだが今は。
アレ
から目を離していることがこんなにも恐怖であるとは想像できなかった。むしろ近くある方に嫌悪感を感じていたはずが、今ではその逆なのだ。
とりあえず既読は付けずにそのままにしておいた。
扉を開けると、冷気に包まれ感覚があった。エアコンはやはりつけたままだったのだ。
良かったと思い部屋に入ると、ソレはそこに居た。
冗談ではなかったのだ。
顔をしかめるが何も変わらないので、私は座ってスマホを弄ってたりした。
気が付くと外は暗くなっていた。高校の友人には「いつにする?」と返事しておいた。
カーテンを閉めようとソレの横を通るとき、ガッと足を
3.
お店の外に付けられた風鈴が鳴ったらしい。周りにには
そういうこともあるのだろう。
高校の友人は
興味がないわけではないが、少し眠かった私は
アレ
はいつ頃から臭くなるのだろう。二日目、大丈夫だろうか。まぁ、一週間くらいは
エアコンはつけたままであることを何度も確認した。それから入念に体を洗い家を出た。
「どうなの?最近彼氏とは」
と話題を振られたので少し驚いた。
「まぁ、いい感じだよ」
二日もお泊まりに来ているのだ。
まぁ、彼氏だった人なわけだが。
いや、彼氏だった人だったモノか。
もう彼氏でも、
ヒト
でもない。なんでこうなったんだっけ。私が刺したからか。
どうして刺したんだっけ。
理由なんて、あってないようなものか。
理由なんてものは、後付けなんだそうだ。
どんなに論理的であっても、情熱的であっても結局は納得するための言い訳だ。と彼氏だった人は言っていた。
よく分からなかったけど、その話を聞いていたときの私はうっとりとした表情をして彼の瞳を見つめていたと思う。
人を刺すなんていう経験。誰しもが通る道ではないだろう。
だから周りから見たら非難の対象になってしまう。当然だ。法律でもダメってなってる。
でも刺してしまった事実は変わらない。事実は後から変えられない。
だから、刺した理由を変えるのだろう。
刺した理由が正当で、被害者を気取ることができるならそうしたい。
今になって、彼氏だった人だったモノの話が理解できた気がした。
家に帰り、鍵をいつもの場所に置く。ついでに定期を同じところに置く。
イヤホンを外して、それはテーブルに置いた。腕時計もその横に。ズルズルっと肩にかけていた鞄が落ちてきたので、そのまま床に置いた。
ベッドを
洗面所に向かい化粧を落とした。
部屋が
そういえばソレは居た。
あぁそうだった。
ベッドから少し離れたところにソレはある。
昨夜、真横で眠るのは嫌だったので、少し角度をつけるようにベッドから遠ざけたのだった。
まぁもうどうだって良い。とか思いながら顔がベッドの方を向いていたので、ゆっくり反対を向かせた。
首を動かす途中、急に噛み付いてくるのではないかと恐かった。
じっとソレを見てたが、動き出すことなんてなかった。
4.
コップに
テーブルの上にはコップが二つ置かれている。
1つはもちろん私の。もう一つは私の姉の分である。
部屋には私と姉の他はいない。
アレ
は今はお風呂場にいる。姉が突然来ると言い出してから、急いで移動させたのだ。足を持って引っ張っても、重い頭を持ち上げても思うように運べなかった。
結局、毛布の上に転げて乗せその毛布をズリズリと引きずって運んだ。
浴室までは冷房の冷気は届かない。きっと。そう思うとため息が出た。
それからため息なんてして良い状況じゃないことを思い出した。
「気持ちはわかるけど、私たちみんなの問題だと思うの。」
と姉は言った。姉の言う問題とは父の病気のことで、私の気持ちを微塵も理解していない。
父はずいぶん前から病気で、治るかわからない病と闘い続けていた。
兄や姉は就職し結婚してからも、収入の一部を父の治療費やなんかに
今年で私も就職して3年。
まぁ、別に構わない。というのが本音だが、ここは「喜んで出します」みたいなリアクションが吉だろう。
姉たちは結婚して家庭があるというのに、何もない私が出さないというのは的外れなのかも知れない。
ましてため息なんかしたら、
「わかってる。もちろん私も協力するよ。お姉ちゃんたちだけに任せてたらダメだって思っていたとこなんだ。二人と違って
「本当?ありがとうね」と言い、それから今度お見舞いに行こうねと続けた。
それから仕事の話を聞かれた「まぁ、順調かな」と応えた。
彼氏とはどうなの?という質問には正直に「もう別れた」と応えた。
姉が帰り際に「明日、お見舞いに行こうと思ってるけど」と言うので、一緒に行く約束をして別れた。
テーブルの上には空のコップが二つ置かれていた。
お腹が空いていたので着替えて出かけた。外はまだまだ暑かった。
家に戻ると冷房の効いた部屋が私を迎えてくれた。
部屋にソレはいなかった。そうだったと思い出し浴室を開けようと、浴室の戸に手をかけた。
ガチャと開けた
そんな想像をして怖くった。
恐る恐る開けると、毛布に包まったソレはあった。
そういえばそうだった。
浴室に置いておくと邪魔なので、部屋に引きずり出した。
毛布から出すか迷った。そのままだと動き出しそうで、でも毛布から出した瞬間に噛み付かれそうな気がしたからだ。
迷った
思ったよりも、というよりも全く臭いはしなかった。3日目。こんなものか。
前と同じように足をこちらに向けて、顔はベッドと反対側に向けた。
その顔を見つめた。彼氏だった人だったモノの顔を見つめて、それからもう一度毛布を
5.
花火の光から少し遅れて音がやって来る。
病室の窓から花火が見える。父は夏が近づくと毎年のように言っていたが、実際にここで花火を見たのは小学生の時以来かも知れない。
前に父を見た時よりも、少し痩せているように見える。
姉は私が来る少し前に帰ってしまったらしい。病室には父と二人きりだった。
「元気だったのか」「まぁ」
と言う会話以降は花火の音以外に何も聴こえなかった。
父とは昔から
それは私のせいなのだろうと思う。事実、兄や姉とは普通に会話をしているのに、私は上手く会話が続かなかった。
父の細い腕を見る。見ただけでは分からないが、この細い腕に浮き出ている青緑色した血管は今日も必死に父を生かしている。いや血管も父の一部なのか。
アレ
はどうだろう。私の部屋にいたアレはもう動かないのだろう。あんなに一緒に過ごしていた。くだらないことで笑いあった。なのにもう。
いつだかの彼の顔を思い出す。いつだったろう。彼はよく笑った。
嫌なことがあっても、怒るほどのことじゃないと笑った。
だからって笑わなくても良いじゃない。馬鹿みたいよ。と言っても笑った。
私はあなたに、時には怒って泣いて欲しかったかも知れない。なのに彼は笑っていた。
それにつられて笑っちゃうのが悔しくて、わざと怒ったふりしてたの気が付いてたでしょ。
あなたが言う「
お父さん。元気でね。と帰り際に言って私は病室を出た。
家に戻り、鍵をいつもの場所に置く。ついでに定期も同じ場所に置く
鞄から中身を取り出して、元あった位置に綺麗に戻した。それから腕時計を外しテーブルに置いた。
カーテンを閉めて、エアコンをつけた。まだまだ暑いのだ。
洗面所に向かって化粧を落とした。
部屋に戻るとアレはもう居ない。
居ないのだ。
昨夜、もう一度アレを毛布に包み外に運び出したのだ。
最初はどこかに埋めようと考えたが、道具がないのであきらめた。
それに埋めてしまうと動き出しそうな気がして怖かった。
ズリズリと引きずってどこか適当なところに置いてきた。
なんとなく見つかりにくそうな、そんな気がするところにした。今日はまだ発見されていないのか、警察とかから連絡はなかった。
とはいえ時間の問題だろう。最後に見た彼の顔を思い出す。
生きていた頃ではなく。
死んでしまってから最後に見た。
死ぬ。
彼は長生きがしたいと言っていた。特別やりたいことがあるわけではないのに、長生きだけはしたかったらしい。
死んでしまったら、好きな音楽も聴けなくなると言っていた。ソレは退屈だろうと言った。
死んでしまったら、退屈も何もないだろうと思うが、私は共感をした振りでもしていたように思う。
死んだんだ。
「今なら死んでも良い」そう言ったのだ。私といるこの瞬間ならと。
着けたままのイヤホンからは彼が気に入って効いていた音楽が流れていた。
生きていた彼は最後に一つ
私は彼を殺したのだ。
(了)