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 初日は、いろいろと考えさせられる一日だった。
 今日は気持ちを新たにして、まず室山博のところに行ってみる。室山は非常に理屈をこねる人物で、そういう性格のためか技巧的なロジックに走るところがあった。そのため彼が作ったプログラムは読み難く、保守性を阻害しているものが多かった。しかし、わかる人が見れば、美しくセンスの良いロジックが多いことも確かだった。

 室山は不在だった。30手前の娘さんが出てきて、「父は病院に行っています」と言った。娘さんが言っていた病院は、このあたりでは有名な総合病院だった。なんとなくまた、NGっぽい感じが頭をよぎる。しかしとりあえずはそこに行ってみることにした。

 室山は、60代の終わり。退職してそんなに年数がたっていないから印象は変わっていない。その姿を内科の待合ですぐに見つけることができた。やや顔色が悪い感じがするが、待合の間接照明のためかもしれない。我々だとわかった室山はこちらを見ている。

「こんなところにどうしたんだい?二人して身体でも悪くしたか?」と、室山。周りに気遣いしながら、ことのあらましを小声で話す。室山は、技巧的なロジックでもわかるとおりで、もともとプログラミングが好きだった。そこで、乗り気にはなったのだが、少し悲しい顔をして言った。
「本当におれでいいのかい? 今更、役に立つのかい? それに病院通いしているからなぁ。フルタイムじゃあキツイしなあ。難しいなあ」

 それを考えていなかった。我々はフルタイムでの勤務しか頭になかった。しかし上の年代は、フルタイム、週五日の勤務は身体に堪えるだろう。労働条件も考えなければならない。
「勤務の形態は考えてみます」と、言うしかなかった。
 室山にも集合場所を書いた紙を渡した。

 加畑浩子。候補者の中では唯一の女性。紅一点というところだが、70少し過ぎのバアさんである。彼女もプログラミングが好きな口だった。ただし技巧には走らず、気取らない普通のロジックを書く。そのため彼女のプログラムは読みやすかった。

 彼女には退職後に一度会ったことがあった。二年くらい前、知人の葬儀の席でバッタリと会ったのだ。あまり変わっていなかった印象がある。旦那は、同じ会社で計算機オペレーターをしていたので面識があった。確か彼女の三つくらい上だ。

 加畑の家を訪ねると、玄関にはスロープと手すり。その傍らに畳んだ車いすがあった。思わず伝田と顔を見合わせる。加畑がニコニコしながら出てきた。ちょっと白髪が増えた感じはしたが、雰囲気は変わっていなかったし、普通に歩いて出てきた。ということは、車いすは、と、思ったと同時に加畑が言った。
「旦那が去年、脳梗塞やってしまって。こうなのよ」と、車いすを指さした。

 我々は、加畑には難しいかな、と思ったが、一応は概要を話してみた。
いきなり「面白そう!」という意外な返事。
 その瞬間、若かったころの加畑を思い出した。旧姓は有馬。私が新人のころ、いつも楽しそうにコーディングをしていた彼女。そのスタイルから男たちの間では、今では死語となってしまった“ボイン”と呼ばれていた彼女。私よりも年上で成熟した大人の女性への淡い恋心。そのころのことを思い出していた。入社したてのころは、一歳年上なだけで遥かに大人に感じるものだ。まして五つ以上離れていると、大人の持つ魅力に圧倒されてしまっていた。それが歳を重ねて「高齢者」という呼ばれ方で一括りにされてしまうと、歳の差というものが、あまり気にならなくなってくるのは不思議だ。しかし淡い過去の記憶は、永遠にその年の差を縮めることはなかった。

 「私でよかったら」という言葉で、私は過去の妄想から引き戻される。
 しかし、「旦那の介護もあるから、フルフルはダメね。週三、四日くらいで、午前か午後のどっちか、という感じならいいんだけどな」と、ちょっとあきらめた感じの視線を向けてきた。
 ここでも考えてみます、ということしかできなかった。加畑にも、集合場所を書いた紙を渡した。

 昼食に繁華街の蕎麦屋に立ち寄ると、偶然にも高田明夫がいた。年齢は我々の一つ上、彼も先輩の一人だ。どこかの営業みたいな、やたらと頭を下げている若い男と一緒だった。
 高田は候補者には入れていなかった。というのも、彼はこの年代では珍しく、アセンブラ言語を知らなかったからだ。高田は、もともとはB社の総務畑の出身だった。その後、簿記一級を持っているということから経理財務系のシステム担当になった。この領域は、昔から親会社の事務管理チームというのが作ったCOBOLプログラムをそのまま利用していた。そのため、アセンブラ言語は知らなくてもよく、社内でも別の世界という感じだった。

 高田は定年ですぐに退職し、サプリメントの販売に手を出していた。そしてそれを新たな商売にしていた。それなりの収益を上げているようだったから、仮にアセンブラ言語を知っていたとしても声をかけようとは思わなかった。おそらくは我々の話には乗ってこないだろう。

 会社員時代、高田は私とは馬が合わなかった。しかし伝田とはよく話をしていた。そのためか、こちらに気が付くと、席を立って伝田のもとへとやってきた。
「退職後が楽しくないんじゃない?」と、皮肉を言った後、
「一緒にサプリメントの販売やらないか?」と、伝田に社交辞令なのか、本気なのか分からない感じで誘いをかける。
「いや、私は商売には向かないから」と、伝田は苦笑して顔の前で手を左右に振った。

 昼食後は候補者リストの最後、中村智弘の家に行く。加畑と同期で70少し過ぎ。独身なので親と同居している。結婚のチャンスが無かったわけではないが、気が付くと独身のまま定年を迎えていたという。

 この家にも、スロープと手すり、そして車いすがあった。それは、中村のためのものではなかった。中村は我々を居間に通してくれた。その奥にはベッドがあり、中村の父が寝ていた。中村の年齢から推定すると父親の年齢は少なくとも90は超えている、いやもっといっているはずだ。中村の母は既に他界しており、中村は一人で、この家で父の介護をしているらしい。

 今日は介護というパターンが多いな、と、思ってしまう。

むしろ介護の問題を抱えていない私の方が少数派なのかもしれない。

介護なもんで」と、中村は笑った。
「ずっと親に迷惑ばかりかけてきたから、その償いなんだ」と言って、ベッドの父親の方を向いた。その父は、今は口を半分開けてぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。

 中村は、会社では珍しくツッパッテいた。頭は、流行っていたころはリーゼントにし、当然のように車高を低くした車を乗り回していた。しかし、母親を交通事故で無くしたころから、それをきっぱりとやめた。なんでも、母親の葬式の席で親戚連中に寄って、たかって、お前がそういう生活をしているからこういうことになるんだ、と、理不尽に責められ、それを機にまじめな生活を送るようになったらしい。

 かつてはリーゼントだった頭は、40代からは薄くなりはじめ、今は、つるっ禿になっていた。そのためなのか、家の中でも鳥打帽を被っている。
 中村に概要を話すと、非常に興味を持った。
「面白そうな話だなぁ」と、加畑と同じような言い方をする。しかし加畑と同じように、
「介護をしながらだから、午前だけならなんとかなるかな。中抜けしてもいいならなんとかなるかな」と、宙を見ながら言った。中村にも、集合場所を書いた紙を渡した。
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