第1話

文字数 3,757文字

邯鄲の夢〜欠けた太陽

 陸上自衛隊普通科連隊の小火器小隊長、渡部太郎三尉は、東富士演習場でのPKOの事前訓練に入る前、休暇をもらい博多の実家に里帰りをしていた。

 「お爺さんが満洲で戦死して、お父さんが落下傘の事故で習志野で亡くなったってのに、あんたまで兵隊になって、どうして九州の男は戦いが好きなのか母さんには理解できませんよ」
 渡部三尉の母は毎朝仏間の祖父と父の遺影にご飯と線香をあげるたびに愚痴るのが日課のようになっている。

 その度に渡部三尉は、いちいちしたくもない釈明をする。
 「自衛隊員は兵隊じゃないよ。今度の任務はね、南アフリカのモザンビークという所で、どういったらいいのかな、そうだ外人同士の喧嘩の仲裁に行くんだ。戦争とは違うんだ」
 
 「そうやって騙されて、泣くのはいつも女なんだからね」
 母はぷっーと中華まんじゅうのように膨れて、それから朝飯をテンコ盛りにして差し出すのであった。

 遺影の中の祖父寿太郎は、旧軍士官がもつ軍刀を持って映っている。まだ四十代の若さで大佐まで昇進してノモンハンで戦死したと祖母が言っていたが、どういう人柄だったのか、渡部三尉は思いを馳せることがある。

 「そりゃ、厳しい人だったさ。自分にも他人にもね。そうじゃなけゃ、つとまらなかったんだよ」
 祖父の話をする時、その口調とは裏腹に祖母は嬉しそうだった。

 「今日の昼ご飯は、お粥にしようか。お爺さんもお父さんも喉黒の出汁で炊いたお粥が好物だったからね。できたら仏壇に供えましょう」
 祖母は嬉々として母と台所に向かった。

 「喉黒も最近は高くなったわ」、「最近は、東京にまで出荷するもんだから品薄なんだろうね」

 祖母と母の世間話を遠くに聴き、仏間から漂う線香の煙りを嗅いでいる内に、渡部は居間でうつらうつらと眠りに誘われた。

Zzzzzzzzzzzzz

 「小隊長、上空を見てください。太陽が欠けています」
 現地偵察に出ていた、迷彩服を着た武器係の金子二曹が、空を指差して叫んだ。辺りは、薄暗くまるで日の暮れのようである。

 「こ、これは一体何だ、皆既日食だろうか」
小隊長の渡部だけでなく、小隊の全員が迷彩服姿で小銃を手に空を見上げて口を開けている。時計は、太陽電池のコンバットデジタルであるにもかかわらず、正午ジャストで止まったままである。

 「とにかくここは何処なんだ。現地偵察の結果を聴かなくては」 
 渡部は気を取り直し、ジープで偵察に出た金子の報告を受けることにした。

 それにしても辺りは一面広大な金の海原、麦畑なのだろうか、どうも季節は晩秋らしい。寂しげな涼風が吹いている。

 「まず、ここは日本ではありません。この辺りは中国東北地方で、辺り一面に見える麦畑のようなものは、高粱です」
 金子は、集まった隊員達が見つめる中、飯盒に入った玄米飯のようなものを見せた。

 渡部は数粒を口に入れた。
「ウワッ、鳥の餌だ。人の食うもんではないな。ところで君は中国語ができるのか」

 「私の母は、帰化した在日の朝鮮族ですから」
 金子が慄然としてカミングアウトした。

渡部は琴線に触れたようで、バツが悪くなり話題を変えた。
 「今日は、何年何月何日なんだろうか」

 「付近の農家で農歴を見ました所、1941年10月18日、新暦ですと12月6日に当たりましょう」
 金子が携帯で計算して割り出した。

 「あの、夕陽が沈んで行く方角に見える海みたいな河は何だ?」
 渡部が、高粱畑の遥か向こうを指した。

 「ああ、あれが牡丹江、東北地方の魂の河です」
 川面が眩しいのか、金子が目を細めた。
 
パシッ、パシッ!「敵襲!」
 突如の乾いた銃声とともにその場にいた隊員すべてが伏せた。

 遠ざかるエンジン音を聴きながら、渡部はゆっくりと頭をもたげた。サイドカーに乗った軍人二人が牡丹江の橋を渡って向こう側に去っていくのが見える。

 水缶が銃弾を受けて、トクトクと水を吐いている。
 「これは、私の見立てが間違えていなければ、旧日本陸軍の三八式歩兵銃の弾ですね」
 弾を拾った金子が、渡部を見て低く呟いた。

 「彼らは、何処から来たのだろうか」
 渡部が、訝った。

 「牡丹江を渡って、西に十里の所にシャオリーベン(小日本人)の宿営地があると付近の農民が言っていました」
 金子が高リャン畑を望んだ。

 「小日本人•••よし、まずはここに現地の宿営地を開設し、明日の朝挨拶に出向くとしよう」
 渡部が指示して隊員達が天幕を建て始めると、ようやく辺りに陽の光がさし始めた。

「危険ではありませんか」
金子は、先程の兵士達に殺気を見ていた。

「同じ日本人だぞ。少人数の丸腰で大勢のなかに行けば通じないことがあるか」
 渡部は、牡丹江の方角に広がる地平線を望んだ。

 翌朝、レトルトで軽い食事を済ませた渡部は、金子をドライバーに川向こうの旧軍宿営地を目指した。

 途中、付近の農家に路を聴きながら、それらしき幕舎を見つけた時には既に昼近くになっていた。幕舎の付近では、大勢の兵士が塹壕を掘っているのが見え、所々から水煙が上がっている。

 「陸上自衛隊、〇〇連隊〇〇普通科中隊、渡部三尉である。司令官に御目通り願いたい」
 幕舎の前で渡部が身分を明かすと幕舎の衛兵は国際慣例にならって銃礼して中に促した。

 幕舎の中には、中国全土の地図を背にして机に司令官らしき将校が座っている。立て掛けた軍刀がいかにも厳かである。渡部が前に進み出で敬礼するとその将校も起立して静かに答礼した。
 「関東軍牡丹江守備隊隊長 陸軍少佐 渡部寿太郎である。初めてお目にかかり光栄だ」

 渡部三尉は、瞬間「あっ」と小さく叫んだ。遺影の中の祖父が目の前にいるのである。無理もない。

 「君たちの素性も目的も昨日の斥候で明白である。であるので、結論を先に言おう。速やかに宿営地から引き揚げ本国に還りたまえ。どうせ、大型の輸送機を隠しているんだろう」  
 渡部少佐は、何かを断じているようだった。

 「われわれは、日本人です。還帰るとしたら、昭和の日本ではなく、令和の日本です。そ、そしてあなたは私の祖父なんです」
 渡部三尉は、思わずカミングアウトしてしまった。してから、含羞の思いに駆られた。

 「君たちの素性はもうバレているのだ。ハワイの日系人で編成された米国の情報部隊なんだろう。どういう想いなんだろうね、祖先の国に弓を弾くというのは」
 渡部少佐は、運び込まれた昼食を渡部三尉にも勧めた。
 「マントウ(万頭)とスイチャオ(水餃子)、それにコーリャン飯だ。君たち、アメリカ人の口に合うかどうか、まあよかったらどうぞ」

 渡部三尉が口にすると、それは祖父の味、満州の味、粗野であるが温かみのある味であった。

 「君はさっき私の孫だと言ったね。私は四十そこそこ、君はみたところ二十代だ。私も御国のアメリカンジョークというものは大概に理解しているつもりだ。しかし、わが皇軍内ではそれは無礼にあたるよ」
 渡部三尉が慌てて弁明しようとすると渡部少佐は手で遮った。
 「間違っても満州内で陛下を揶揄するような謀略のビラを散布しないことだな。不敬罪にあたるような事があれば、皇軍としても行動せざるを得なくなる。君たちは一個小隊。われわれは一個中隊、さらに後方には一個大隊が控えている。撤退するなら今のうちに、今ならまだ米国は皇軍の攻撃対象ではない。今ならば」
 渡部少佐は、何かを予見しているかのように幕舎の天井を見つめた。

 渡部三尉は、話が決裂したようで蕭然の想いで幕舎を後にした。

 翌日12月8日の朝、渡部三尉は宿営地において銃声とともに目が覚めた。
 「銃声の方角は?敵の勢力は?」

 「川向こうからです。敵勢力は一個中隊、いや二個、後からあとから、三八式による歩兵の突撃です。もう支えきれません。迫撃砲の射撃許可をお願いします」

 「撃ってはならん、彼らはわれわれの祖先だ」 

 ドーンという乾いた音が川向こうから聞こえてくるとヒューと空気を切り裂いて、旧軍野戦砲の弾が宿営地の幕舎付近に着弾した。

 宿営地が轟音とともに爆震で揺れ、渡部三尉は爆風の衝撃で失神した。

Uuuuuuhuuuuuuuuum

「太郎、起きなさい。粥が炊けたよ」

「うーむ、ここはどこ?あの世かな」

「何、寝ぼけてるのかしら。博多の実家でしょ」

 粥椀に粥をよそりながら、祖母が訊いた。
「太郎、随分とうなされていたけど悪い夢でも見ていたのかい?」

 「ああ。お祖父さんと闘う夢さ」
喉黒の粥椀は、どこか懐かしい玄界灘の味だ。

 「まあ、また闘い?それで、どっちが勝ったんだい」
 祖母が悪戯っぽい目で笑いながら訊いた。

 「お祖父さんの方さ、全く敵わなかったよ」
 太郎が、手を振って答えた。

 「そりゃそうだ。昔の人は、根性が違うから。抜け目もないしね」
 祖母は真顔になると、粥の薬味と辛子明太子を差し出し、それきり寡黙になった。


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