文字数 2,065文字



 とても清々しい。海なんていつぶりだろう。思い切って遠くまで来て良かった。
 よく晴れた天気の月曜日、海を眺めながら、私はこれ以上ないくらいに自由を謳歌していた。平日の昼間ということもあり人はまばら。その風景がまた飛び切りの贅沢を味わっているように感じさせてくれる。
 今朝、行き先も決めずに電車に飛び乗った。とりあえず、海。そう決めていたから、トンネルを抜けた車窓からこの海が目に飛び込んできた時は感動すら覚えた。
 夏はもうすぐ終わろうとしていたけど、せっかくだから楽しめなかった夏を取り戻したい気分だった。人生の夏休み。
「あのう……」
 歩道でひとり遠くの海を眺めている私に、男の子が声をかけてくる。見るところ大学生くらいで、なかなかのイケメン。
「おひとりですか?」
 そう続けて私に話しかける男の子のうしろにはもうひとり、彼と同い年くらいの男の子、大学の同期生だろうか。どちらかと言えば、うしろの彼の方が私の好みの顔をしている。
「そうですけど……」
 わざと控え目に返す私を見て焦ったのか、声をかけてきた彼がわずかに距離を詰める。
「そうなんだ。このあと何か予定とかあるの?」
 少し強引な気もするけど、そんなところも楽しい。私が答えにつまっていると、うしろの男の子がたまらず援護射撃に入ってくる。
「旅行? 僕ら地元なんだけど、よければ案内するよ」
 やっぱり好み。想像より少し声は高いけど、そこも可愛らしい。
「じゃあ……」
 私がそう言うと、ふたりはお構いなしにガッツポーズをして喜び合っている。若いっていいなあ。
「あの……」
 はじめに声をかけてきた男の子が何かに気づいたように訊いてくる。
「同い年くらいだよね? 俺たち二一なんだけど」
「ううん、二四」
「本当に? 年下だと思ってたよ!」
 彼の反応に、その誤算が彼らに取って嬉しいものなのかもしれないと思える。
 こんな風に声をかけられて、私の反応に一喜一憂している彼らを見ていると、私という存在が求められているような気がしてくる。「どうする?」なんて楽しそうに話し合っている彼らを見ていると、顔がにやけてしまいそうになるのを隠すのが大変。

 そのままふたりと地元民ご用達の定食屋さんで、想像よりも大盛りの定食を食べ、それほど旅自体に興味がなかった私は、ふたりとカラオケに行くことになった。
 思い切り歌うと、ふたりも思い切り盛り上げてくれた。ルームサービスにお酒も頼んで、昼間から酒に酔う背徳感が私をさらに大胆にさせる。こんなに楽しいの久しぶり。

 はじめに声をかけてきた男の子がトイレに席を立ち、部屋には私の好みの男の子とふたりきり。
 彼の入れた曲は始まっているのに、彼は一向に歌わない。どうしたのかと彼の様子を伺うと、彼は無言で私の顔を物憂げな表情で見つめると、顔を近づけてくる。飛び上がりたい気持ちを抑えて、私も彼に近づくと唇を重ねた。
 彼はもうひとりの男の子が戻る前にと焦るようにすぐに私の口の中に舌を滑り込ませる。私は性急な彼に少し驚いたが、すぐに自分の舌を絡ませた。彼はそのまま服の上から私の胸を揉みしだき、私は彼から顔を離した。
「ちょっと」
「ダメ?」
「帰ってきちゃうから……」
 彼は少し残念そうに「そっか」と身を引くが、決して受け入れていないわけじゃないと示すために、私の方から彼に軽くキスをした。すると、彼は照れ臭そうにはにかんだ。可愛い。

 カラオケの受付で会計をする彼らの背中を見ながら、私はロビーのベンチに座っていた。ふたりは会計をしながら、終始お互いに何かを耳打ちしている。今夜、私をどうするか作戦を練っているのかな。別に逃げたりしないのに。



 ロビーにある一台の公衆電話に目が止まった。楽しすぎて携帯電話を見る暇がなかったから、今、何時なのかわからない。連絡をしなくちゃと一瞬でも思った自分に嫌気が差す。もう私は自由だというのに。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
 私は笑顔で立ち上がると、ふたりのあいだに割って入り、ふたりと腕を組んだ。ふたりはわずかに戸惑いながらも今夜の期待に顔を綻ばせていた。

 ゆうちゃん、雄太郎くん。ママは凄く楽しんでるよ。雄太郎くんと過ごしていたどんな時よりも、今凄く充実してる。だって悔しいじゃない。雄太郎くんのパパは一番大変な時に家を出ていって、今頃ママみたいに、ほかの女の人と楽しんでるんだよ。ママだって楽しんでいいよね? 許してくれるよね?
 雄太郎くんだって、いつもうるさく怒鳴ってるママなんていなくたっていいでしょ? ママが作ったご飯だって、いつも美味しそうに食べてくれなかったもんね。誰かもっと優しい人が雄太郎くんを引き取ってくれて、毎日美味しいご飯を用意してくれるよ。
 雄太郎くんは四歳だから、もうひとりでなんでもできるよね? 大きくなったらママのことも、きっとわかってくれると思う。
 いい加減なママでごめんね。でもママ、ママの人生を生きるって決めたんだ。雄太郎くんのママじゃない人生。だから、悲しいけど、じゃあね、ゆうちゃん。大好きだよ。



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