がんばりま宣言

文字数 3,816文字

暗い人間です。
多分常人の数十倍は暗くて、歩くネガティブと言ってもいいと思います。
生まれてこの方死にたくて仕方なくて、園児のときからいじめられていて、小学校の頃には既に友人や先生に止められるくらい自殺願望を表に出していて、中二にもなればカッターを持ち歩き、高校は退学しそうになりました。大学だけ唯一、楽しかった思い出のほうが若干多いので、お金もないのに私大の意味不明な学科への入学を許してくれた両親には頭が上がりません。
ずっと死にたかったのに、痛いのも苦しいのも嫌なので全然死ねなくて、試しもしなくて、遺書だけたくさん書きました。匿名掲示板で、原稿用紙で、Twitterで、テキストエディタで。それは、絵だったり詩だったり小説だったり脚本だったりエッセイだったり、作品とも呼べない作文だったりしました。
死ねないので生きるしかない。今耐えれば。大人になれば。いつかいいことがある。学校が大嫌いだったので、早く大人になりたいと思っていました。社会人という地位で、自由にお金を使えて、自立できれば、親の悲しむ顔も先生の怒号も周囲の冷たい目もヤンキーの暴言もいじめっ子の悪口も全部シャットアウトできる。生きていける。勝ちたい。見返したい。
作文の成績がめちゃくちゃ悪かったくせに、根拠もなく自分には文才があると信じ込んで、作家になるんだと言い続けてきました。才能で黙らせる。私には才能がある。大丈夫。勝てる。見返せる。文芸科に一年、文芸サークルに数ヶ月、ふと、私には無理なのかと気づきました。そもそも作品を仕上げたことがなかったのです。
愚かですね。
よって方向を転換しました。誰にも文句が言えないくらい一般的な、まっとうな人間になろう。そこそこ名の知れた大学から、売り手市場の恵まれた環境で就活をして、上場企業に内定をもらって、勝ったと思いました。これで見返せる。出世して、たくさん稼いで、好きなことにたくさんお金を使おう。お金と時間がなくてやれなかったたくさんのことを、これからやろう。
当時は異性の恋人がいたので、結婚なんかするかもしれない等と皮算用をしていました。子どもができたらたくさんお金がいる。私は予備校にも行けなかったし、大学時代はバイトばかりしていたし、海外へ卒業旅行にも行けなかった。たくさんたくさんお金を稼いで楽させてあげなきゃ。好きなことさせてあげたいな。できれば関東に住みたいな。就職して、結婚して、これで一般的な、まっとうな、普通の人間になれる。追いついた。やっと追いつけた。いじめられていて、どこに行っても鼻つまみ者で、学校全然行けてなくて、行けても遅刻早退ばかりで、勉強も運動も全然できなくて、それでもここまで来られた。ずっと人間になりたかった。やっと人間になれる!
配属されて、仕事が始まってから、考えは一変します。研修中でこそ的を射たことを言えていて、頭のよさそうな期待の新卒だった私は、いざ手を動かさせると全く使い物になりませんでした。ひとつやるとひとつ忘れる、優先順位を無視して目の前のことから取りかかり始める、予想外のことが起きるとパニックを起こしてフリーズする、そもそも作業が異常に遅い。
長時間労働が常態化した部署だったのですが、十二時間働くには片道二時間の通勤はちょっと過酷で、騙し騙し一年働いたところで、生まれて初めて実家を出ることを決めました。これが最悪の選択で、心身が弱い人間に、働きながら自分の世話なんてできるはずもない。あっという間に生活が破綻して、余裕がなくなり、心身をズタボロに壊し、おまけに恋人にフラれました。
全然人間になれませんでした。
愚かですね。
あるいは、人を見下し続けた罰かもしれません。
上司と元恋人の遠回しな勧めがあり、仕事をサボって発達障害外来の門戸を叩くと、あれよあれよとADHDの診断がつきました。大体平均的なIQなのに、処理速度のIQだけべこっと凹んでおり、なるほど仕事のできなさの方向性とぴったり一致しています。思えば、中学の先生も高校の先生も大学の教授も、私を叱るときに病院に行けと言っていたような。才能のある人間は破天荒なものなんだよ放っておけ、と無視をし続けていましたが。
何はともあれ薬を飲み始めましたが、これがすこぶる合わない。不整脈だからなのか、低血圧だからなのか、インチュニブを服用すれば仕事に支障が出るほど眠く、ストラテラを服用すれば食欲減退吐き気胸焼け目眩動悸息切れ、それでもこれしかないのだと思い飲み続け、気がついたら一年で七キロ痩せていました。何を食べても吐き気がするから食べない、仕事忙しいし食欲もないし何より面倒くさいから食べない、そういう生活が祟ってのことでした。
元々ややぽっちゃりしていたので、痩せたいなあと思っていましたし、実際痩せた自分の体を見ると、どんな服でも似合う気がして少し嬉しいのですが、それはそれとして月経が極めて不順になり、お酒に弱くなり、ちょっと動いただけでふらつき、食べられるものが限られてきて、案外そんなに楽しくないものです。
仕事ができるようになりたくて薬を飲み始めたのに、副作用からなる体調不良の日々が続き、仕事量や仕事の内容を配慮してもらうようになり、最後には休職と相成りました。
二ヶ月、貯金をすり減らしながら、狭いけど気に入っているワンルームでひとり悩み続けました。休んでいる間に、コンサータを出してもらうために転院して、追加でアンケートみたいな検査をして、そのスコアを見て驚きました。いくつかある項目のすべてがハイスコアで、百人に一人程度、と記載があります。百人に一人かけることの五項目、それはつまり……? 数字に弱いのでよく分かりませんが、どうやらとびきり重度なADHDであるようなのです。
もうよくない?
生きるの、もうよくないか?
十分頑張った、というか、頑張りすぎた気がします。追いつきたくて、要らぬ苦労をしすぎました。追いつけるわけもないのに。一週間ほど、今度こそは本当にもう死のうと考えました。
幸い私は血縁者との関係が良好なため、どん底の中からとりあえず家族に連絡を取りまして、死ぬな、帰ってこい、と連絡をもらい、コロナ禍で恐縮ですが、実家に帰ったり母と旅行をしたりしました。理解のある家族。運がよくて、幸せ。仕事を休んで、綺麗な海を見て、美味しいものを食べて、足りないものなど何もないように思いました。なのに。
昨晩、母の料理を食べながら、突然涙が止まらなくなりました。どうして泣いているの? 分からない。どうして生きているの? 分からない。こんな状況では仕事に戻れない。死ぬしかないんだよ。この先もこんな苦痛が続くのが耐えられない。疲れた。生きるために働くことすらままならない。死ぬしかないんだ。殺してくれ。どこで間違えたのか。産まれたのが間違いだったのか。昔はよく癇癪を爆発させていまして、両親も慣れっこで、面倒、疲れる、と適当にあしらっていたのですが、ゆうべばかりは、ただ淡々と泣いてそのようなことを口走る私に、しばし黙り込んでしまいました。
母が温かい茶を淹れてくれました。父は言いました。「とりあえず、仕事辞めてアパートを引き払おう。呼吸して飯食ってクソして寝るだけでいいから、生きろ」
両親は、私を産んだことがエゴだと自覚しています。そのうえで、責任を取る、少なくとも自分たちが生きている間は死ぬな、と言いました。
抵抗がありました。私はここまで人間の形になることだけを目指して生きてきたのです。正社員でいたかったし、都会のアパートの、お気に入りの部屋を手放したくなかった。でも、一晩寝て起きて思いました。死ぬ気なら別にそんなもの、どうでもいい。未来なんてどうせないのだから、備える必要もない。仕事なんてやめてしまって、その日暮らせるくらい稼いで、詩や小説を書いたり、歌を歌ったりして過ごそう。貯金が尽きたら、親が死んだら、本当にどうにもならなくなったら、そのときこそ自殺しよう。
人間は、と主語を大きくしましたが、少なくとも私は、自分の居る立場が苦しければ苦しいほど、正当化したくて他を貶める癖があります。私の思う幻想の普通に囚われて、今まで、多く配慮に欠けることを言ってしまいました。傷つけてきた皆々様、大変申し訳ございませんでした。そいつは死にました。昨晩殺しました。この先もそのような視野狭窄な発言をする度に殺してください。脱皮するかのごとく、生まれ変われるよう、努力します。
今後は頑張らず、適当に生きて適当に死のうと思います。好きなことだけをして、やりたいことだけをやって、詰んだらリセットします。二回とないのなら尚更、こんな苦痛をリスタートしなくてもよいことは大変幸甚なことですね。拘らず、諦めて、改めて目を開けてみれば、あれもこれもやってみたいと思い始めました。片っ端から手をつけて、無理だったらとっとと諦めて、いよいよ身動きが取れなくなったら翡翠色の海に沈んで、白い砂浜に混ざります。
指差して笑ってください。下を見ればいつでも私がいます。人を見下したくなったら、私のところに来てください。運のよさだけで生きてきた、何者でもない、愚かな暗い人間。
最新の遺書を読んでくださりありがとうございました。またアップデートすることがあれば、読んでいただけますと嬉しいです。そのときまでどうかお元気で。
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