第1話
文字数 1,821文字
朝10時。
星ヶ丘歌劇団付属音楽学校最終試験の合格発表が行われる。
落ち着かないし、怖い。でも受験した生徒たちはもっとそうなはず。
私が支えないと。
ドキドキしながら歩未はホテルのロビーに向かった。
ロビーに出ると、程なくして見慣れた顔ぶれが現れた。
歩未は緊張した。表情を見てしまうと、結果を読んでしまう。だから少し目線を下げて素知らぬふりをした。
「先生」
来た。一年で一番、心臓が高鳴る瞬間である。
「駄目でした」
最初に来たのは、高3の菜々子だ。173cmの長身を活かし、男役として星ヶ丘で輝きたい、と四年間切磋琢磨を続けてきた子だ。これがラストチャンスだった。
辛い。
「そっか。よく頑張ったよ...」
歩未は泣いている菜々子を抱き寄せた。
「でも私、諦めません。別な舞台を探して、絶対役者になります」
「うん、わかった。応援してる」
いつの間にか他の生徒たちもロビーに下りてきており、歩未の周囲にはちょっとした人だかりができていた。
「先生、落ちちゃいました」
中3初受験組ながら、最終試験まで残った逸材である娘役志望の杏里だ。
「よし、また来年頑張ろう」
「はい」
杏里は笑顔だ。すでに次を見据えているのだろう。
「先生、受かりました」
高2で娘役志望のさつきが感涙しながら報告する。
「おめでとう。さつきちゃんなら素敵な娘役さんになれるよ」
「はい、頑張ります。ありがとうございました」
その後も、高1の娘役志望の静香、中3初受験組で男役志望の麻弥、高3ラストチャンス組で男役志望の沙織、と合格者が続いた。
また、高3で娘役志望の理央と、高2の娘役志望のみちるは残念な結果であった。理央は音楽学校より前に受験し、合格を得ていた音大に進学するという。みちるは来年も音楽学校に挑戦すると言った。
「それじゃ、合格の記念に一枚撮りますよ」
満開の桜が舞い散る中、歩未は音楽学校の正門に合格した四人を並べ、写真撮影をした。
思えば歩未の経営するお教室からは43人の受験生が一次試験に挑んだ。その中の約半数となる20人が二次試験に進出した。そして最終試験まで残れたのはそのうちの8人だけで、見事合格を勝ち取れたのはたったの4名だ。
厳しい現実である。
毎年この日のこの瞬間だけは、歩未は慣れることができない。慣れる必要もないのかもしれない。
30年前、自分があちら側にいた際に、支えてくれた恩師も同じ気分だったのだろうか。
今から思うと、自分が受験している時の方がはるかにラクだった気もする。
「先生、本当にお世話になり、ありがとうございました」
リーゼントで固めた頭を下げて沙織が礼を言う。他の三人もそれに続いた。
「これからいくつもの壁にぶつかると思う。でもみんななら、絶対乗り越えられるから。二年後に星ヶ丘の舞台で輝く姿を楽しみにしてるからね」
「はい」
歩未は四人の目を見て言った。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
四人は星ヶ丘音楽学校の門をくぐり、合格者説明会へと向かった。
四人の背中が見えなくなるまで歩未は手を振り続けた。
歩未夢緒の芸名で歩未は星ヶ丘歌劇団の舞台に立っていた。星ヶ丘歌劇団は女性だけの劇団。170cmの歩未は男役として活躍していた。
来る日も来る日も歌い、踊り、演じ、華麗な衣装を身に纏い、スポットライトを浴びて、観客の拍手喝采をもらった。夢のような日々だった。
この素晴らしい高揚感を後輩たちに受け継ぎたい。その一心で退団してからは受験スクールの講師に就任した。
それから十数年。何人もの受験生を合格に導いた。
教え子たちの舞台にも足を運んでいる。一緒にレッスンしていた頃とは比較にならないほど成長している姿を見ると、感慨深かった。
ピンクの花びらがシャワーのように降り注いでいる。
星ヶ丘ホテルから音楽学校までを一直線につなぐこの道は「桜の小路」と呼ばれている。この時期の儚なさと喜びがその名の由来とも言われている。
杏里とみちるをはじめ、今回はご縁がなかった生徒たちはすでに来年に向かって歩き出している。
感傷に浸っている場合ではないのだ。
自分には彼女たちに星ヶ丘歌劇団とのご縁を結ぶお手伝いをするという大仕事がまだまだあるのだ。
歩未は音楽学校を背に、一息ついた。
両サイドに立つ桜並木から差し込む春の陽光が眩しい。温かな風に巻かれ踊る桜の花びらが美しかった。
来年はもっとたくさんの子たちに吉報が届きますように。
そのためにももっと私が頑張らないと。
歩未はホテルに向かって「桜の小路」を駆け出した。
星ヶ丘歌劇団付属音楽学校最終試験の合格発表が行われる。
落ち着かないし、怖い。でも受験した生徒たちはもっとそうなはず。
私が支えないと。
ドキドキしながら歩未はホテルのロビーに向かった。
ロビーに出ると、程なくして見慣れた顔ぶれが現れた。
歩未は緊張した。表情を見てしまうと、結果を読んでしまう。だから少し目線を下げて素知らぬふりをした。
「先生」
来た。一年で一番、心臓が高鳴る瞬間である。
「駄目でした」
最初に来たのは、高3の菜々子だ。173cmの長身を活かし、男役として星ヶ丘で輝きたい、と四年間切磋琢磨を続けてきた子だ。これがラストチャンスだった。
辛い。
「そっか。よく頑張ったよ...」
歩未は泣いている菜々子を抱き寄せた。
「でも私、諦めません。別な舞台を探して、絶対役者になります」
「うん、わかった。応援してる」
いつの間にか他の生徒たちもロビーに下りてきており、歩未の周囲にはちょっとした人だかりができていた。
「先生、落ちちゃいました」
中3初受験組ながら、最終試験まで残った逸材である娘役志望の杏里だ。
「よし、また来年頑張ろう」
「はい」
杏里は笑顔だ。すでに次を見据えているのだろう。
「先生、受かりました」
高2で娘役志望のさつきが感涙しながら報告する。
「おめでとう。さつきちゃんなら素敵な娘役さんになれるよ」
「はい、頑張ります。ありがとうございました」
その後も、高1の娘役志望の静香、中3初受験組で男役志望の麻弥、高3ラストチャンス組で男役志望の沙織、と合格者が続いた。
また、高3で娘役志望の理央と、高2の娘役志望のみちるは残念な結果であった。理央は音楽学校より前に受験し、合格を得ていた音大に進学するという。みちるは来年も音楽学校に挑戦すると言った。
「それじゃ、合格の記念に一枚撮りますよ」
満開の桜が舞い散る中、歩未は音楽学校の正門に合格した四人を並べ、写真撮影をした。
思えば歩未の経営するお教室からは43人の受験生が一次試験に挑んだ。その中の約半数となる20人が二次試験に進出した。そして最終試験まで残れたのはそのうちの8人だけで、見事合格を勝ち取れたのはたったの4名だ。
厳しい現実である。
毎年この日のこの瞬間だけは、歩未は慣れることができない。慣れる必要もないのかもしれない。
30年前、自分があちら側にいた際に、支えてくれた恩師も同じ気分だったのだろうか。
今から思うと、自分が受験している時の方がはるかにラクだった気もする。
「先生、本当にお世話になり、ありがとうございました」
リーゼントで固めた頭を下げて沙織が礼を言う。他の三人もそれに続いた。
「これからいくつもの壁にぶつかると思う。でもみんななら、絶対乗り越えられるから。二年後に星ヶ丘の舞台で輝く姿を楽しみにしてるからね」
「はい」
歩未は四人の目を見て言った。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
四人は星ヶ丘音楽学校の門をくぐり、合格者説明会へと向かった。
四人の背中が見えなくなるまで歩未は手を振り続けた。
歩未夢緒の芸名で歩未は星ヶ丘歌劇団の舞台に立っていた。星ヶ丘歌劇団は女性だけの劇団。170cmの歩未は男役として活躍していた。
来る日も来る日も歌い、踊り、演じ、華麗な衣装を身に纏い、スポットライトを浴びて、観客の拍手喝采をもらった。夢のような日々だった。
この素晴らしい高揚感を後輩たちに受け継ぎたい。その一心で退団してからは受験スクールの講師に就任した。
それから十数年。何人もの受験生を合格に導いた。
教え子たちの舞台にも足を運んでいる。一緒にレッスンしていた頃とは比較にならないほど成長している姿を見ると、感慨深かった。
ピンクの花びらがシャワーのように降り注いでいる。
星ヶ丘ホテルから音楽学校までを一直線につなぐこの道は「桜の小路」と呼ばれている。この時期の儚なさと喜びがその名の由来とも言われている。
杏里とみちるをはじめ、今回はご縁がなかった生徒たちはすでに来年に向かって歩き出している。
感傷に浸っている場合ではないのだ。
自分には彼女たちに星ヶ丘歌劇団とのご縁を結ぶお手伝いをするという大仕事がまだまだあるのだ。
歩未は音楽学校を背に、一息ついた。
両サイドに立つ桜並木から差し込む春の陽光が眩しい。温かな風に巻かれ踊る桜の花びらが美しかった。
来年はもっとたくさんの子たちに吉報が届きますように。
そのためにももっと私が頑張らないと。
歩未はホテルに向かって「桜の小路」を駆け出した。