第1章 雑草 第2節

文字数 3,129文字

始業式から一週間余り、裕次は登校中、学校の南側の林の様子が、いつもとちがうのに気がついた。トラックや工事用の車がたくさんとまっていて、土砂を運ぶ音のようなものも聞こえてきた。裕次は上からよく見ようと思って、四階の教室へ急いだ。
窓際は、もうたくさんの友達で埋まっていた。
「ねえねえ何なのあれ」
「テニスコートができるんだってさ」
裕次と仲の良い光輝(みつてる)が答えた。裕次は、
「ふうん」
と言うと、その現場に目の位置をかえた。登校中にはわからなかったが、現場はもうコートの一面分ぐらい、木が切られていて、赤茶っぽい地肌をむき出しにしていた。裕次は、とうとうやってきたかと思った。彼はこの赤茶色の部分が、左右にどんどん広がっていって、しまいには学校の周りにある林が、全てこうなってしまうのではないかと思った。裕次にそう思わせるものがこの世の中にあり、また地域にあったのだった。
心配しているのは、裕次だけではなかった。おそらくこの地域に住んでいる人みんなが、緑の保護に不安を感じ始めていた。緑は、最近目に見えて減ってきていた。地域の人は緑をいっしょうけんめいに守っているのに、いったいだれが、緑を崩していくのだろう。裕次は不思議でしょうがなかった。
窓に集まっている児童も、みな決して明るい顔をしていなかった。その中でも、特に心配そうな顔をしているのは、この地域に古くから住んでいる村瀬家の信之(のぶゆき)だった。
信之は、多本(たもと)で生まれ、多本で育ってきた。多本というのは、この地域の地名で、杉小の児童はみな多本に住み、もちろん杉小も多本にあった。
「あっちの方には桑畑があって、その向こうにはネギ畑があったんだよ。この辺からそっちの方は杉の森で、カブトがいっぱいいたんだ。そうだよ、杉の森だから杉ノ森っていったんだ」
裕次は、信之がまるでそのことが自分には見えるかのように、そう話しているのを聞いたことがあった。
ところが、信之が四歳の誕生日をむかえたころから、大きな車がひんぱんに通るようになった。そして林には「立入禁止」の鋼が張られ、信之が砂糖水を持って近づくと、
「だめだめ」
と言って追い払われた。信之は二、三ヶ月家の中ばかりで遊んでいたが、久しぶりに林の方へ行ってみると、いつの間にか立入禁止の鋼は、畑の所まで近づいていた。それから約二年後、家は次々に完成し、あちこちから人が移り住んできた。裕次やカノン達も、この時ここへ越してきた。信之は、そびえたつ家々を見て、そのうち自分達の家も、この住宅の下に埋もれてしまうのではないか、と思ったそうだ。
「杉ノ森」という地名は、「多本」にかわり、「町」だったのも、「市」にかわった。しかし信之達は、「多本」や「市」と引き替えに、畑や杉の森を失った。
「緑の杉小なんて聞いて呆れるぜ。緑を殺して建てたくせに」
そう言った時の信之は、だれかをにらむようで、またうったえるような目をしていた。裕次は、信之が次に何を言いだすかがこわかった。
その信之は、現場をつらそうな顔で見ていた。信之は、また友を失ったと思った。幼い頃いっしょに遊んだ良き友たち。数少なくなったその友が、また減っていく。信之は、学校の周りどころか、そのうち多本じゅうの木が、切り出されていくのではないかと思った。しかし、いったいだれがこんなに緑を奪っていくのかは、信之にもわからなかった。
裕次は席に戻った。いつまでも見ていたからといって、何も始まらない、裕次はそう思ったのだ。
彼は考えた。結局人間は、「自然保護」というものを、全くしていなかった。なぜ人間は、自然を保護する必要があるのか。それは、人間の「自然破壊」から、自然を守るためであった。これは、理屈にあわないことだった。人間がいう「自然保護」というものは、少しでも人間の「自然破壊」を弱めようという、一つの手段にすぎなかった。差し引いてみると、結局人間は、「自然破壊」しかしていないのだ。
裕次のとなりには、カノンが座っていた。裕次は席がえの時、カノンを少し希望的な気持ちでむかえた。あの始業式以来、何となく関心をよせていたのだ。そんな裕次の気持ちに、気付いているのか気付いていないのか、カノンは裕次を見ると、
「あ、柏木(かしわぎ)君だ」
と言って、また例によってしゃべりだした。
そんなカノンだが、今日はめずらしく、裕次に何も話しかけてこなかった。この間の始業式のように、カノンは床を見て、何やら考えているようだった。その目もこの間のように、いやこの間よりも、悲しくてやりきれないようだった。
裕次は、そんなカノンを見ながら、ぼうっとしていた。するとカノンがそれに気が付き、
「あら、どうしたの?」
と言った。裕次は、突然カノンがしゃべったので、ちょっとあわてて、
「あ、な、なんでもない」
と言ったが、カノンは、
「そう」
と言うと、裕次にはそれ以上構わず、再び沈黙に入った。
裕次はそんなカノンを見て、なんとなく彼女をしゃべらせてみたくなった。
「もしもし水岡(みずおか)。今日は元気がないよ。ほら、いつもの迫力はどうした」
裕次はこの言葉で、相手が張り合ってくることを期待した。しかし、そのあとに言ったカノンの言葉は、全く意外なものだった。
「わたし、自然みたいになりたいな」
「・・・」
「自然って、理想の人間像ね」
「そうかなあ」
「だって、まず自然は強いわ。ちょっとやそっとのことでは、びくともしない。人間みたいに、自分から自分を滅ぼすようなこともしない。みんな生きる信念があるわ。魂を有効に使っているのよ」
「ふうん」
「それに、自然は優しいわ。みんなが協力しあって、決して自分だけよければいいなんて、思わない。人間がいやがらせをしたからって、しかえしをしない。自然が人間を見放したら、人間は生きていけないもんね。思いやりがあるのよ、きっと。それなのに、人間はいい気になって、ますます自然をいじめる。おかしいね」
裕次は、この間の始業式にカノンが言った、
「人間っておかしいね」
という言葉と、今の、
「おかしいね」
が、同じ意味の言葉に思えた。カノンは続けた。
「しかも、自然は平和的だわ。そりゃあ自然の世界にだって争いはある。でも、それはみな生きるための争いよ。人間みたいに、死ぬために争ったりはしない。人間は、人間だけがもっている〝考える力〝を、平和的につかっていないのよ。だから〝自然の世界〝と〝人間の世界〝に、分かれちゃったんだと思う。人間が考える力を平和的に利用すれば、人間はもう一度、自然の世界への仲間入りができるんじゃないかしら」
「それで、考える力の平和利用って、どういうこと?」
「それは、もっと人間らしく生きるっていうこと」
「ふうん」
裕次は、確かにカノンの言う通りだと思った。ぼくたちが本来の人間になれば、「天然」と「人工」などと、いちいちこだわらなくていい時代が、戻ってきてくれるだろう。人間が自然の一員に戻れる時が、きっと来てくれるだろう。裕次は、その時が楽しみだった。
放課後、裕次は林を見ながら歩いた。行きとは世界が全くちがって見えた。裕次は、木々が自分に何かをうったえているのではないかと思った。しかし、裕次は何もしてあげることが出来なかった。そんな自分を、裕次は情けなく思った。
裕次はカノンを思い出した。カノンは、自分とちがう何かを持っている。個性的だった。今日が、これからの自分にとって、記念すべき日になるであろうか。
裕次は、春がきたと思った。
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