文字数 1,091文字

 ぼくは映画の脚本や戯曲をよく読む。英語スクリプトのまま豊富に読んでいる。かといって盗作したことはない。
 が、いずれにせよ、それらは三幕構成を基本としている。
 映画の脚本などはそれこそわかりやすくEstablishment shotなどと冒頭に書き、まずセッティングをすることから物語りは始めなければならないことを平明に示している。
 どう話を展開しなければならないかはその効果性において明らかにされている。古代から変わらぬ造りがある。だからそれはしたほうがいいのだ。
 しかしぼくはそれをしないので余り読まれない。
 サイトごとに個性があるとはいえ、当サイトでぼくの作品で比較的読まれたのは最近では「ズズズ病」であり、他サイトでもやはり「ズズズ病」なのだ。
(ぼくのpv最高値は、ストラクチュアまったくなしのものではあるが、『邪悪なものがこちらに向かってくる』である。3,228pvにすぎないが、「(構造がないという意味で)書き流した」グリップ意志のないものをよくぞ読んでくださいました。感謝しています。ちなみに、どうでもいいことではあろうが、次点はどのサイトもpv半分ほどであるものの『15℃ そして雨』である。これにもあえて構造をいれなかった)
 
 それはぼくが構成を捨ててかかる書き手なので、短い作品ならその短所をのがれられるということを示している。
 しかしぼくも余命何年というふうに追い詰められているわけではなくとも、だれしも生まれたらそれは死へとむかっていることなのだから、そろそろ構成をいれていくつもりである。長めの作品を書いても読まれる、そういう物語づくりに挑戦してみたくなった。
 過去作品にも手を入れて改稿していく。人生の23:30にいるつもりで。

 蛇足。
 アマであるからこそプロに言及するが、今回のカンヌのプレス・カファレンスなどをみても、『Killers of the Flower Moon』がスコセッシの遺作になってもおかしくない映像だった。デ・ニーロについても同じである。
 撮った映画にではなく、彼らの肉体そのものに、老齢による疲労は明瞭過ぎるほど明白なことだ。
 遺作になるかもしれないと感じることは失礼なことではない。われわれは必ず死ぬ。彼らのような作品を遺して死ねるなら、ぼくたちアマにはけっしてめぐり会えぬ幸せがあったというべきだろう。 
 
 ディカプリオもきたるべき自身の終焉を意識しながら映画をつくっているはずだ。老齢にむかう中年の人間の世界は曇った世界だというかもしれないが、彼らは死を意識して生きるという、結局はさわやかさへと歩をふみだした年齢なのだ。
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