第1話 背中合わせ鏡

文字数 14,606文字


インヴィズィブル・ファング参
背中合わせ鏡


         登場人物



         グラドム・シャルル四世

         リカント・ヴェアル

         ロイヤス・ミシェル

         シャトー

         石黒 友也



































 指をさして人を非難する前に、君のその手が汚れていないか確かめてくれ。

           ボブ・マーリー



































 第一牙【背中合わせ鏡】



























 全てを擲ってまで守るものなど、この世に存在するだろうか。

 もしあるとしたら、それは本当に守るだけの価値があるのだろうか。







 闇夜の生き血を啜り、薔薇色のワインを呑み干し、宵闇とともに堕ち、錆びた朝を唄い、狂楽に踊りだす。

 貴方の愛に齧り付き、骨の髄まで噛みついたら、一番美しい表情を見せる。

 満月、三日月、新月、いつの夜でも姿を見せるその姿は、まさしく蝙蝠。

 ただ蝙蝠と違うのは、その姿は妖艶に口元を歪めて笑い、二足歩行することが出来、蝙蝠よりも性質が悪いということだ。

 誰もその存在を認めないまま、時代は進み続けて行く。

 だが、時代が認めなくとも、存在が確実であり、進化しているのもまた、今から知る事実となり、現実離れした現実となる。







 月がその身を隠し始め、太陽がその存在を消す為に、神々しく光を放ち始める時間。

 森の奥、霧の道を通り抜けてさらに奥へと歩みを進めて行くと、そこに、薄らと姿を現したのは、茨に呑みこまれそうな城。

 蝙蝠が城へと向かって飛び、とある小窓から部屋の中へと入っていく。

 その部屋は、埃を被り蜘蛛の巣もはっている、錆び付いた豪華なシャンデリアがあり、大きな額縁の中には、この城の持ち主だろうか、こちらもすでに色褪せた肖像画が飾られていた。

 背もたれの長い椅子に座り、足を組んで優雅にワインを呑んでいる男が一人。

 「それにしても、今日は雲が厚くて、まったく月が見えん」

 朝から天気が悪かったため、今日はどんよりとしている。

 「明日もこんな天気だと、城の中が腐るから面倒だな」

 そう簡単には腐らないというのに、男はワインを飲み干すと、棺桶の中へ入って行った。

 男の名はシャルル。グラドム・シャルル四世という男だ。

 人間界でもこっちの世界でも、吸血鬼という、恐ろしいと言われている一族の末裔で、黒一色の服装に、黒いマントを背負っている。

 銀色の髪は無造作な癖っ毛となっており、最も特徴的なパーツとして、目は真っ赤に染まっている。

 「よし。ジキル、ハイド。明日はかくれんぼでもするか」

 何を思ったのか、シャルルはそんなことを近くにいる蝙蝠達に言った。

 しかし、その言葉に嬉しそうにはしゃいだ蝙蝠を見て、シャルルは、いつもなら見せないような優しい笑みを見せた。







 翌日、シャルルは宣言通り、ジキルとハイドとかくれんぼをすることになった。

 昨日とは打って変わり、今日はとても天気が良かった。

 「いいか。半径十キロの範囲までだからな。それ以上はダメだ。あと、知らない人には着いていかないこと。それから知らない人から食べ物を貰わないこと。それにむやみに懐かないこと。それから・・・」

 半径十キロのかくれんぼとは、なんというか、面倒な距離ではあるが、吸血鬼である彼にとっては、それほど面倒な距離ではないのだろう。

 まだまだ言いたい事があったようだが、ジキルとハイドはじーっとシャルルを見ていたため、注意事項はそこまでにして、シャルルたちはかくれんぼを始めた。

 シャルルが鬼となり、百を数え出す。

 いーち、とシャルルが数え始めると、ジキルとハイドはバサバサと羽根を動かして、出来るだけ遠くへと、見つからない場所を探して飛び立った。

 「ひゃーく。よし」

 どこから探して行こうかと思い、シャルルはマントを広げて飛ぶ。

 あちこち探してもなかなか見つからない。

 木の上、岩の後ろ、草むらの中、小屋の中、もっと高い空など。

 「まったく。どこに隠れたんだ」

 途中、がさっと何か物音がした。

 ジキルかハイドでもいるのだろうかと、シャルルは地面に下りて、音のした方へと歩いていく。

 「?なんだこれは」

 そこにいたのは、ジキルでもハイドでもなく、見たこともない、変な形の鏡だった。

 楕円形の形をしており、鎖が三本がっちりと鏡を囲っており、足がついていて、自分で動くことが出来るらしい。

 そこに映るシャルルは、上下左右逆さまで、不思議な感じだ。

 歩く姿が気持ち悪いな、と思っていると、鎖が少しだけ鏡から離れ、鏡の上の方に目玉が現れたぎょろっとシャルルを見る。

 「魔境か?」

 そう思ったのも束の間、シャルルは鏡の中へと吸い込まれてしまった。







 「・・・乱暴だな」

 吸い込まれてしまったシャルルは、地面に叩きつけられていた。

 辺りを見てみると、そこは何もなかった。

 というより、霧が深くて近くしか見えないのだが、何もなさそうに見える。

 シャルルは立ちあがり、とりあえず歩いてみることにした。

 歩いても歩いても、特に何があるわけでもなく、シャルルは退屈していた。

 ちなみに、飛べば楽じゃん、と思った人もいるかと思うが、ここではマントは無意味で飛ぶことが出来ないのは、もう実証済みらしい。

 「・・・誰だ?」

 ふと、何も見えなかった視界の先に、人影のようなものが浮かんだ。

 近づいてみると、そこには一人の少女が立っていた。

 シャルルの方を見ると、少女はシャルルに、船に乗るようにと言ってきた。

 良く見てみると、少女がいる先には湖のような場所があり、船といっても二人乗ればいっぱいなるくらいの小舟だ。

 ぎぎ、ぎぎ、と舟を漕いでいる少女に、シャルルは話しかける。

 「ここは鏡の中か?お前は誰だ?」

 「・・・・・・シャトー」

 ぽつりと呟かれた少女の名は、シャトーというようだ。

 身長は一五〇くらいだろうか、裸足で、全身を隠せるほどの長い髪はうねうねしている。

 「鏡の中に入ったのは初めてだ。こうもつまらんところとは思わなかった。それにしても、鏡の住人は貴様一人なのか?それとももっといるのか?この先には何があるんだ?」

 「・・・・・・」

 ぎし、と小舟が岸についたのか、シャトーは何も言わずに下りて行ったため、シャルルもその後をついていく。

 だが、やはりどこまで歩いても、何もない。

 「おい、貴様何をたくらんでいる?」

 「・・・・・・」

 何も答えないシャトーだったが、ふと足を止めると、シャルルの方を見る。

 「鏡の外は幸せそう。私の世界はこんなに不幸なのに」

 「?」

 「私に頂戴。あなたの世界」

 「何を言って・・・」

 急に風が吹いてきて、シャトーがこちらに来た気がしたが、目を開くと変化は見られなかった。

 気のせいかと思っていると、シャトーの姿が見えず、代わりに目の前にあったのは、巨大な鏡だった。

 その向こう側を見てみると、そこは今までシャルルが生きていた世界で、シャルルは思わず手を伸ばす。

 しかし、その鏡の向こうには、自分がいた。

 自分のはずなのに自分ではなく、深い霧の中でただそこに立っている自分を見て、シャルルは思わず舌打ちをする。

 「ちっ」

 何が起こったのかを理解したのか、シャルルは両手を鏡につけてシャトーに向かって言う。

 「これが貴様の狙いだったわけか。俺の身体で何をする心算だ?」

 「・・・あなたの代わりに幸せになる」

 「そんなこと出来はしない。貴様は俺には成り得ない」

 「わからない。私はあなた。もう鏡の中には戻りたくない」

 「戻りたくないなど、そんな貴様の我儘に付き合っている暇はないんだ。さっさと俺をここから出せ」

 「嫌。私は手に入れる」

 そう言うと、シャトーは椅子を持ちあげ、こちらに向かって投げ着けてきた。

 実際にシャルルに当たることはなかったが、目の前の鏡には罅が入り、欠片は地面に向かって落ちて行く。

 「!!!」

 もう一度椅子を持ちあげると、シャトーは何度も何度も、鏡に椅子を打ちつけた。

 きっと向こう側では、大きな音がしたことだろうが、こちらに音が聞こえてこなかった。

 最後に、シャトーは鏡を持ちあげたのか、シャルルが見ている景色が一変し、目の前には空が見えた。

 そして、そのまま思い切り地面に叩きつけられる。

 思わず目を瞑ってしまったシャルルだが、次に目を開けたときには、鏡の向こう側は何も見えなくなっており、まるで闇に包まれているかのように、真っ暗になっていた。

 きっと、シャルルを吸い込んだあの魔境を壊したのだろう。

 これで、簡単に元の世界には戻れなくなってしまった。

 「ちっ」







 その頃、ジキルとハイドは、なかなか見つけに来ないシャルルが心配になり、ヴェアルを呼びにいった。

 「あれ、どうした。ジキルとハイド」

 ジキルとハイドの言葉は分からないが、なんとなく慌てているのは理解出来たため、ヴェアルはシャルルを探そうとした。

 城に戻ってみると、そこにはシャルルがいた。

 「シャルル、何かあったのか?」

 「・・・・・・」

 「?ジキルとハイドが何か慌ててたけど、喧嘩でもしたのか?」

 「・・・ああ」

 「なんだ、そっか。ジキル、ハイド、吃驚させるなよ。何かあったのかと思っただろ?」

 ヴェアルは明日また来るからと言って、ジキルとハイドを置いて帰って行った。

 今から、ストラシスと一緒に狩り行くとかなんとか言っていた。

 ご主人がいたことで安心したジキルとハイドだが、近寄っていつものように肩に止まろうとすると、シャルルに思い切り睨まれた。

 何か怒らせるようなことをしてしまったかとか、色々考えてみたが、どんなに悪さをしても、シャルルはいつも赦してくれる。

 どうして今日に限ってこんなに不機嫌なのか、それが分からなかった。

 『僕たち、何かしちゃったかな?』

 『わからないけど、いつもの御主人様となんか違うよね』

 『どうしたんだろうね?』

 わけがわからないまま、ジキルとハイドはその日、シャルルに近づくことなく、寝床に着いた。

 ―誰も気づかない。

 ―そんなものよね。

 ―これで、この身体は私のもの。







 翌日になっても、シャルルの態度は変わらなかった。

 というよりも、なんか変だった。

 ヴェアルとミシェルがおとずれて、シャルルをからかったり、おちょくったりするが、特に何も言ってこない。

 「ねえヴェアル、なんかシャルルおかしくない?いつもならもうとっくに私のこと罵倒しててもおかしくないのに・・・!!どうしたんだろう!!具合でも悪いんじゃ!」

 「落ち着けミシェル。もしかしたら、シャルルもいい加減お前に優しく接しようと思ってるのかもしれない。有り得ないけど。万が一ってこともある」

 「にゃー」

 「モルダン、どうしたの?お腹でも空いたの?」

 シャルルはいつものように椅子に座っているが、足を組みもせず、ワインやトマトジュースをせがむこともなく、ただそこに座っていた。

 それだけでもおかしいのだが、ジキルとハイドを見ても、これといった反応がないのだ。

 「変よ!絶対に変よ!シャルルがジキルとハイドのことを無視するなんて、天地がひっくり返ったって絶対にないと思ってたのに!それが思ったよりも早く訪れるなんて!!」

 「やっぱり熱でもあるのかな?それとも、とんでもなく怒らせたかな?」

 「そんなわけないでしょ!今までだって、自分で言うのもなんだけど、相当シャルルを怒らせてきたけど、あんなになることなかったもん!!!」

 「まあ、確かに」

 シャルルを見ながらぶつぶつと話していたヴェアルとミシェルだが、ミシェルはハンヌの健康診断があることを思い出した。

 いや、そもそも烏に健康診断って、と思うかもしれないが、ミシェルに限らず、ヴェアルのストラシスもシャルルのジキルとハイドだって、検討診断を毎年行っているのだ。

 それもこれも、家族のように愛しているからこその行動だろう。

 まあ、それはどうでもいいとして、ミシェルはモルダンを抱っこし、ハンヌにも声をかけて、天井近くにある窓から出る為、階段を駆け上がって行った。

 その時だ。

 「ミシェル!!!」

 バランスを崩してしまい、ミシェルは階段の上の方から落ちてしまった。

 冷静な魔女であれば、なんとか自分で助かることが出来るのかもしれないが、とにかく急な出来事で、ミシェルの頭の中は真っ白になっていた。

 ―あ、やばい。

 モルダンはミシェルの腕から手すりにジャンプし、ハンヌも飛べるため避難出来たが、ミシェルだけが回避出来ない状態だった。

 ヴェアルは急いでミシェルを助けに行こうとしたのだが・・・。

 「え?」

 「え?」

 ヴェアルもミシェルも、みんな揃って目を見開いてしまった。

 どうしてかって。なぜなら簡単な話。

 あの、あのシャルルが、もう一度言うが、あのシャルルが、ミシェルを助けていたからだ。

 状況を説明すると、今シャルルはミシェルをお姫様抱っこしていて、しかもとても顔が近い。

 ミシェルを助けたという事実だけでも驚きなのだが、猫のように首根っこを掴むわけでもなく、蹴飛ばして助けるわけでもなく、お姫様抱っこだ。

 幾ら頼んでも、きっとジキルとハイドを人質に取ったとしても、なんとしてでも回避するであろうお姫様抱っこをしたのだ。

 しかも顔が近いためか、ミシェルの顔はぐんぐんと赤くなっていく。

 「しゃ、シャルルるるるるるる・・!!どどどどどどうしたの・・・!?おおおお下ろしてよおおおお!!!!!」

 「・・・・・・」

 こんなにもドアップでシャルルの顔を見ることはほとんどない。

 さらに言うなれば、シャルルは口は悪いがはっきり言って顔は整っている。

 性格さえ直せば良い男だと言ってあげるのに、と思っているミシェルだが、今のシャルルは心臓に悪いくらい良い男になってしまっている。

 自分でも分かるほど、ミシェルの心臓はバクバクと鼓動が激しく鳴り、まだ抱っこされたままの身体は緊張で硬直している。

 「しゃ、シャルル・・・」

 「・・・・・・」

 「そろそろ下ろしてやらないと、多分、ミシェルが壊れる、かな?」

 ヴェアルにそう言われ、シャルルはふとミシェルの方を見ると、ミシェルの目はぐるぐると回っていた。

 そこへ、ハンヌが飛んできて、これじゃ帰れないわと言うと、シャルルはミシェルをお姫様抱っこのまま送って行こうとした。

 「え?もしかしてシャルル、ミシェルを送る心算?」

 いやまさか、そんな奇跡が起こるはずないと、ヴェアルも驚いて口をぽかんと開けていると、シャルルは何も言わずに頷いた。

 ハンヌに誘導してもらい、ミシェルはシャルルに抱っこされたまま、家へと帰って行ったのだが、モルダンはシャルルの城に残っていた。

 「モルダン、いいのか?シャルルが行っちゃったぞ?」

 「・・・にゃあ」

 いつもなら、何があってもシャルルの方へと行くモルダンが、なぜかシャルルの棺桶に入ると、出て来ようとしなかった。

 夜中、ミシェルを送り届けてきたシャルルは、寝ることもなく、朝を迎えた。

 「今日もシャルルは変わらず変、だな」

 「にゃあ」

 ヴェアルは、物影からモルダンと共にシャルルのことを見ていた。

 シャルルにはこれといった日課はないが、毎日同じようなことをしている。

 例えば、ジキルとハイドと触れあったり、例えば、ワインを飲みながら世の中のことを嘆いたり、例えば、蜘蛛の巣の張ってる場所を見つめて、ヴェアルに掃除をさせたり。

 とにかく、そういったシャルルらしいことを何もしないままの日々が続いていた。

 「そういえばモルダン、なんでシャルルのところに行かないんだ?昨日もだったよな?やっぱりシャルル不機嫌なのか?いや、不機嫌だとしても、モルダンはいつもシャルルのところに行ってるか・・・」

 理由はわからないが、とにかく、モルダンはシャルルに近づこうとしなかった。

 それだけではなく、ジキルとハイドも、シャルルとは一定の距離を取っていた。

 どうしたのかと思っても、モルダンの言葉もジキルとハイドの言葉も分からない。

 ストラシスの言葉も理解しているわけではなく、単にヴェアルが都合よく解釈しているのだが。

 「あ」

 折角隠れていたというのに、ヴェアルはシャルルの傍まで寄ると、笑いかけた。

 「そういや、腹減ったな?なんか食べる?」

 「・・・・・・」

 「あ、今日は天気が良いから、ジキルとハイドでも連れて、散歩行ってきたらどうだ?」

 「・・・・・・」

 「・・・えっと、そうだ!ミシェルが、御礼言ってたぜ!なんかあいつ柄にもなく照れててさ、シャルルの顔見れないから代わりに御礼言っておいてって。ははは、なんだよまったくなあ!そういう間柄じゃねえっつーのに!!」

 「・・・・・・」

 「うう、ストラシス、俺を慰めて」

 何を言っても返答も反応もないシャルルにヴェアルは打ちのめされていた。

 会話さえしてくれないシャルルが、今までいただろうか、いや、いない。

 「心が折れそう」







 「くそっ・・・!」

 その頃、鏡の中に閉じ込められているシャルルは、中から鏡を割ろうとしていた。

 ここではマントさえ使えないため、移動手段は徒歩しかなく、シャルルは歩き続けていた。

 そこで知ったのは、ここには先程の鏡以外にも幾つかの鏡が存在していて、それら全てが外の世界と繋がっている。

 どの鏡がどこに繋がっているかは不明だが、魔境はそんなに多く存在しているわけではないから、検討はつけられるかもしれない。

 だが、今のシャルルにとって、可能性が高いとか、そういうことは必要なくて、ただただ自分の身体を乗っ取られたことに腹を立てていた。

 「やはり割れんか」

 これで何度舌打ちをしたことだろう。

 外からは簡単に割れる鏡なのに、内側からはこうも割れないとは思っていなかった。

 だが、こうしていると分かる。

 シャトーが毎日、時間の感覚さえ無いこの空間で独り、鏡の外を眺めていた気持ち。

 朝もなく夜もなく、ただただそこに自分がいるということだけが支えであって、それが苦でもあって。

 「んー・・・」

 疲れたのか飽きたのか、シャルルはその場に胡坐をかいて座った。

 そして、魔境の鏡についての文献か何かを読んだときのことを思い出そうとしていた。

 何千年、それよりも前から存在していたのかもしれないが、それが確認されたのは何千年か前のこと。

 海の底で見つかったという記述もあれば、樹海の中で発掘されたという記述もあった。

 綺麗な鏡だと思って持ち帰った発見者は、汚れていた鏡を綺麗に拭いて、家に飾っていた。

 だがある日、その家から住人は消えてしまったという。

 手紙もなにも残されておらず、家具はそのまま、料理中だったのか鍋も火にかけっぱなしだったという。

 質素な家には似つかわしいその鏡は、知人の家へと受け継がれたのだが、その知人もまた、すぐに姿を消してしまったという。

 あれはきっと悪魔の鏡だ。

 呪いがかけられていんだ。

 そんなことを言われ、その鏡は封印されることになった。

 教会の地下であったり、古城の天井裏であったりと、一時、鏡は世界からその存在を消されてしまった。

 ならば、どうして今になってまた魔境は姿を見せたのか。

 それはきっと、誰かの強い気持ちによって、この世に存在することを望まれたからだ。

 「となると、あの女は住人であると同時に、鏡を世に放った張本人ということか。なら俺を閉じ込める必要はないだろう」

 シャルルが最もいらついているのは、なぜ自分なのか、ということだ。

 鏡の中にいるのは魂だけで、本体でもある身体は明らかに外にあるのだ。

 シャルルは自分の身体を気に入っているし、自分以外の身体など、頼まれても金を積まれても絶対に断るだろう。

 魂を乗っ取られるのも嫌だが、身体を乗っ取られるのも、しかもこうして見てしまったものだから、余計に嫌な気分だ。

 ふと立ちあがると、今度はその場でうろうろとくるくる円を描くようにして歩き始めたシャルルは、親指の爪をかりかり噛んでいる。

 「それにしても、本当に嫌な奴だ」







 「ジキル、ハイド、俺と散歩でも行くか?」

 シャルルが一向に動かないため、ヴェアルがジキルとハイドに声をかけると、ジキルとハイドは嬉しそうにヴェアルの肩に止まった。

 「よしよし。シャルル、俺ちょっとこいつら連れて散歩行ってくるからな」

 「・・・・・・」

 どうにもこうにも返事をしない。

 「まったく。本当にどうしたんだか。ジキルとハイドの散歩にも行かないなんて」

 しかし、ジキルとハイドさえも近づけさせないなんて、今のシャルルはそれだけ近寄りがたいということだろうか。

 だからといって、怒られるようなことをした覚えなどないヴェアルは、うーん、と腕組をして考えるのだった。

 その頃、散歩に行かないで棺桶にいるモルダンと、そんなモルダンが何処かへ行かないようにと見張っているハンヌ。

 『シャルル、何処?』

 『何処って言われても、一応ここにいるにはいるけど』

 『だってシャルルじゃない』

 『それは分かってるわ。けど、御主人様もヴェアル氏も、気付いてないわよ』

 にゃあにゃあ、と何度もモルダンが鳴いていると、シャルルがこちらに視線を向けた。

 思わずびくっと身体を震わせると、シャルルは椅子から立ち上がり、モルダンの方へ近づいてきた。

 しゃー、と威嚇するが、シャルルは手を伸ばしてきた。

 思わず、シャルルに爪を突き立ててしまった。

 だが、シャルルはモルダンにつけられた爪痕を眺めたかと思うと、そこをべろりと舌で舐めとり、モルダンの首を掴んだ。

 『モルダン!』

 首根っこを掴むとかではなく、まるで人間で言うところの首を絞めるかのように、ぐぐ、と力を込めている。

 モルダンは何とか逃げ出そうと必死に足を動かすが、リーチが短いせいか、シャルルの腕から逃れられずにいた。

 その時、ハンヌがばさばさっと羽根をシャルルの目元にぶつけた。

 すると、モルダンを掴んでいた腕の力が弱まり、モルダンは一瞬の隙をついて逃げ出すことが出来た。

 『モルダン、大丈夫!?』

 『あいつ、嫌い』

 しゃー、とまだシャルルに威嚇を続けていたモルダンをしばらく見た後、シャルルは椅子へと戻った。

 そして、モルダンに噛まれたところをじーっと見つめていた。

 噛まれたのが初めてなのか、それとも傷を作ったこと自体が初めてなのか、とにかく、シャルルはしばらく観察をしていた。

 するとヴェアルも帰ってきて、ジキルとハイドはシャルルの方に近寄ろうともせず、すぐに天井へとぶら下がった。

 「まったく。あいつらどうしたんだよ。シャルル、お前嫌われるようなことでもしたのか?」

 「・・・・・・」

 「まあいいや。そういや、ミシェルって、ハンヌの健康診断で帰ったんだよな?なんでハンヌいるんだ?あれ?いつからいた?いつ帰ってきてた?」

 健康診断が終わってすぐ、こちらが心配になって戻ってきたハンヌ。

 それは正解だったかもしれない。

 きっと、ミシェルもヴェアルもシャルルがシャルルでないと気付いてないと分かっていた。

 しかし、それを伝える術はなく、モルダンはシャルルに威嚇を続けている。

 「さ、ストラシス。身体を綺麗にしような」

 そう言いながら、ヴェアルはウェットティッシュを取り出し、ストラシスの身体を綺麗に拭き始めた。

 ルンルンと鼻歌交じりのヴェアルだが、その間、ストラシスはシャルルの方をじーっと見ている。

 『ねえジキル』

 『なにハイド』

 『シャルル様の臭いがしない』

 『うん。なんでかな』

 『けどシャルル様だよね。この前、かくれんぼしてた時は、絶対に普通のシャルル様だったよね』

 『私達を探してる間に、あんなになっちゃってたね。何かあったのかな』

 『分からないけど、すごく嫌な感じ』

 『うん。嫌な感じ』

 当然のことながら、ジキルとハイドも、シャルルがシャルルでないことは分かっていた。

 しかし、ミラーのときのように、誰かが成りすましている感じもなく、身体はシャルルであるのは確かだ。

 問題なのは、これまでずっと接してきたシャルルとは、反応も行動も違うということだ。

 夜中に寝ている様子もなく、朝になっても寝ている気配がない。

 棺桶も置きっぱなしで、水分も取っているのを見ていない。

 『どうしよう。本当にシャルル様どこに行っちゃったんだろう』

 『探しに行く?』

 『探しに行こう。きっとどこかにいるよ』

 『けど、その間にヴェアルたちに何かあったらどうする?』

 『・・・大丈夫じゃない?だって、これまでだって攻撃してくることはなかったよね?』

 『そうかな。心配だよ』

 『心配だね』

 結局どうすることも出来ず、ジキルとハイドは夜になるまでぐっすり寝るのだった。

 シャルルの棺桶を陣取っているモルダンは、徐々に薄れて行くシャルルの匂いに頬を擦り寄せながら、ハンヌに見守られて寝る。

 その頃、ミシェルはどうしていたかというと、未だにシャルルにお姫様抱っこされたことが信じられず、ベッドに入りながらも、目はギンギンに開いたまま、寝られない夜を過ごしていた。

 「よし」

 シャルルの城から少し離れた樹海の森の中で、ヴェアルは夜な夜な鍛錬をしていた。

 サウンドバッグを木に吊るし、それに向かって素手でシュッシュッ、とボクシングのように腕を動かしていた。

 ヴェアルは狼男として産まれ育ってきた。

 だが、満月になってようやく本領を発揮できるくらいで、通常に日には姿は狼男になるものの、それほど戦力にはなれていなかった。

 それはヴェアル自身も分かっていて、だからこそ、こうして努力をしてきた。

 その成果なのか、最近では、満月でない日にも、それなりに力を出せるようになってきた。

 シャルルのように、生まれながらに強く、機転も利くタイプではないし、ミシェルのようにシャルルにも出来ないことが出来るわけでもない。

 それがネックというか、コンプレックスでもあったようなのだが、ヴェアルはそのことを誰にも言わなかった。

 「ふう・・・」

 気付けば汗だくになっていて、タオルを探してみるが、そういえば持っていてなかったと、服の袖で汗を拭おうとした。

 だがそのとき、ばさばさと音がして、ストラシスがタオルを持って飛んできた。

 「すっ・・・ストラシス!!!お前って奴は!!なんて健気なんだ!!!」

 感動したのは、ヴェアルはストラシスをぎゅっと抱きしめようとしたが、間一髪のところでストラシスが避けたため、自分自身を抱きしめるという悲しい結末となった。

 拗ねながらも、ストラシスが持ってきてくれたタオルで一生懸命、肌の皮が破けるんじゃと思うくらいに強く、ごしごしと拭く。

 「っはぁ・・・。それにしても、シャルルに何かあったのかな?」

 ふとタオルを見ると、自分の狼男としての毛が多数抜けていて、思わずタオルを丸めたヴェアルだった。

 「ストラシス、帰ろう」







 「それにしも、本当に朝も夜もないのか。いつ寝れば良いのか分からん」

 鏡の中に魂が入ったままのシャルルは、床にごろんと寝ていた。

 両手を後頭部に置き、足は広げている。

 普通ならば朝が苦手な吸血鬼だが、シャルルは夜の方が苦手だ。

 それは太陽の陽を浴びても平気だからという理由もあるし、人間の生活をしていた時、その時間に合わせていたからか、どうも夜になると寝るという思考になっているようだ。

 「ジキルとハイドはちゃんと散歩をしてるのか。ご飯は食べてるか?ミシェルの奴にいじめられていないか?俺の偽物に何かされていなければ良いが、ちっ。あの馬鹿共のことだから、きっと俺じゃないと気付いてないだろう。まったく、本当に役に立たん連中だ」

 ヴェアルとミシェルが気付いてないことくらい、シャルルにも分かっていた。

 身体がシャルルのものなのだから、通常に嗅覚では、それが本物か偽物か、区別をつけることは難しい。

 だが、きっとジキルとハイドたちなら気付いているという確信もあった。

 動物だから、とかそういう理由ではなく、これはシャルルの勘でもあった。

 そもそも、肉体が本物であれ偽物であれ、自分の御主人を間違えるはずがない。

 しかし、ジキルとハイドが気付いていたとしても、ヴェアルたちに伝える術がないことも分かっている。

 「あいつ、余計なことしてなければいいな」

 余計なこと、というのはきっと、シャルルの身体のままシャルルがしないようなことをしていないか、ということだ。

 そう、例えば、ミシェルをお姫様抱っこしているとか・・・。

 「何かしていたら、戻ってすぐに血液全て飲み干してやる」

 寝るタイミングを失ったシャルルは、身体を起こして胡坐をかいた。

 「そもそも、あいつらは本当に馬鹿だな。俺が逆の立場なら、あいつらかどうかくらい、一目見れば分かるもんだ。それなのに、あいつらは今まで一体俺の何を見てきたんだ。まったくほとほと呆れるな。あいつらよりも、あいつらの側近の方が幾分か、いや、ずっと役に立つな」

 側近というのは、ストラシスやモルダン、ハンヌのことだ。

 「しかし、どうやって抜け出すか」







 翌日、顔を真っ赤にしたミシェルが来て、シャルルの前でもじもじしていた。

 何があったか知っている人が見れば、きっとああ、ミシェルも女なんだな、可愛らしいな、と思うかもしれないが、ミシェルが手にしているものを見たら、そうは思っていられないだろう。

 何を持っているか?聞きたい?

 それは、プレゼントというにはあまりに不格好で、しかも色も怖い。

 きゃっきゃっと、女の子らしい声を出して、頬に手を添えながら、ミシェルはシャルルがそれのリボンを解くのを待っている。

 なぜか無意識に受け取ってしまったシャルルは、じーっと観察したあと、リボンを外した。

 そこから出てきたのは、なんというか、おぞましい物体。

 「・・・・・・」

 「この前、た、助けてくれたでしょ!?だ、だから・・・そのぉ・・・ね?ちょっと、御礼っていうか、そんな、大したものじゃないんだけど」

 てへへ、と効果音をつけているミシェルの方など一切見ずに、シャルルはその謎の物体を見て眉間にシワを寄せた。

 真ん中に髑髏が置いてあり、右目からはチョコレート色の煙、左目からは小豆色の煙が出ているが、髑髏の中に入っているには、どうやらケーキのようなものだ。

 髑髏の周りには紫色のねばねば状のものがあり、まるで虹のように、その回りをさらに黒、シルバー、蛍光ピンク、蛍光緑、モスグリーン、焦げ茶でコーティングされている。

 極めつけは、髑髏を可愛く見せるためなのか、頬の部分にレンコンがくっついている。

 それを遠巻きから見ていたヴェアルは、距離があるにも関わらず、口元を押さえた。

 「うえっ」

 だが、それでも反応のないシャルルに、ミシェルは髑髏に指を突っ込み、シャルルにその指を向けてあーん、をしようとした。

 「!!!」

 本能的に、あのままではシャルルが死ぬ、と思ったヴェアルは、勢いよく二人の前に出て行って、ミシェルの腕を掴んだ。

 「お、おおおお美味しそうだなああ!!!ももももったいないから、し、し、しばらく飾っておこうか!!!!」

 「はあ?何言ってんのよヴェアル。私の最高傑作よ?今すぐに食べなきゃ、それこそもったいないじゃない!!!」

 「止めとけミシェル!お前、本当にシャルルに殺されるぞ!!!てかその前にシャルルが殺されるぞ!!!」

 「とんちんかんなこと言わないでよ!なんなのよ一体!!!」

 その時、ミシェルを押さえていたヴェアルの腕が、シャルルの持っていたそのプレゼントにぶつかってしまい、床に落ちた。

 しかし、上手い具合に丁度開いている部分が上を向いて落ちたため、ミシェルの最高傑作は無事だった。

 「良かった―」

 「惜しい」

 「え?」

 「え?」

 落ちたプレゼントを拾おうとしたミシェルだが、そこへモルダンがやってきた。

 もしかして、美味しそうな匂いがしたのかな、と嬉しそうに微笑みながらモルダンを見ていたミシェルだったが、モルダンは落ちているソレをクンクンと匂いを嗅いだ。

 「モルダン、あなたも欲しいの?でもこれはね、シャルルのだから。今度モルダンのをちゃんと作ってあげるからね。だから今回は我慢して・・・」

 「にゃあ」

 匂いを嗅いですぐに、モルダンはそのプレゼントから顔を逸らし、しまいには前足でちょいちょい、と自分から遠ざけた。

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 にこにこと笑みを浮かべていたミシェルだったが、モルダンが後ろ足でもそれを蹴飛ばし、くしゃみまですると、壁に向かって泣き出してしまった。

 そのままモルダンは階段を数段あがり、鏡の前に丸くなると毛づくろいをする。

 「まあまあ。ミシェル。きっと、モルダンは気に入らなかっただけで、別に、その、不味いとか変な匂いするとか、危険を察知したわけではないと思うんだよ。だからさ」

 「ヴェアル、そんなこと思ってたの」

 「え!?いや、別に!?そんなことないよ!?あ、そういえば今日のおやつは何が良い?ブラウニーのケーキにでもする!?」

 「私への当てつけってわけね」

 すっかり不機嫌になったミシェルは、モルダンをちらちら見ながら、二階の部屋へと向かって行った。

 「まったく」







 落ちたプレゼントを、直に触れないようにと注意しながらヴェアルは拾い、それをテーブルの真ん中に置いた。

 そして、宣言通りケーキを作り始めた。

 シャルルは食べないため、ヴェアルは黙々と一人で食べていると、ふと昔のことを思い出した。

 昔とは言っても、そこまで昔ではないが。

 「そういやさ、前に友也っていただろ?あいつの記憶を消す時だけは、シャルルもちょっと気にしてたもんな」

 「・・・・・・」

 「人間界なんて、しばらく行ってないもんな。どうなってるかな。まあ、そんなには変わってないだろうけど」

 「・・・人間界」

 「・・・!!!」

 ここまで話さなかったシャルルが、ここにきてようやく口を開いた。

 ゆっくりとヴェアルの方に視線を向けると、シャルルはまた固まってしまった。

 そこで、ヴェアルは人間界の話や、友也のことをどんどん話して行った。

 シャルルは覚えていないのか、いや、そんなことはないだろうが、ヴェアルの話を、まるで初めて聞いたかのようにしていた。

 「人間界・・・」

 「そうそう!シャルルも結構気に入ってただろ?まあ、お前の場合は女子にもモテてたし、俺とか友也とは違って、優等生でもあったわけだし?けどまた行きてえなぁ」

 「人間界」

 「うおっ!!」

 今まで無反応だったシャルルが、いきなり椅子から立ち上がった。

 それに驚いたヴェアルだが、シャルルはただぶつぶつと人間界人間界、と繰り返しているだけ。

 「しゃ、シャルル?」

 「・・・行こう」

 「へ?」

 「人間界」

 「は?」

 気まぐれにも程があると思ったが、シャルルは止まらなかった。

 人間の時の名前がまだ使えるかと思い、ヴェアルはシャルルの人間名が都賀崎侑馬であること、そして自分が大柴光であることを確認したうえで、人間界へと向かった。

 「ストラシス、俺はシャルルと人間界に行ってくるから、みんなのことよろしくな」

 慌ただしく二人が出て行くと、モルダンたちはシャルルが座っていた椅子の匂いを嗅いでいた。

 『やっぱり違う』

 『それにしても、御主人様ったら。あんな殺人料理をプレゼントなんて言ってシャルル氏に渡そうなんて・・・』

 『シャルル、何処?』

 『分からないわ。モルダン、あなたの鼻で居場所分からないの?』

 『・・・わかんない。眠い』

 そう言って、モルダンは棺桶の中へと入っていってしまった。

 ジキルとハイドは、天井にある窓から、人間界へと向かうシャルルとヴェアルの後ろ姿を眺めていた。

 『ヴェアルたん大丈夫かな』

 『ねえ、ミシェルってあんな猟奇的なもの作れるんだね』

 『それよりも、今回のことで、ミシェルが御主人様のこと少しでも異性として見てるってことが分かったね』

 『うん。本物じゃないのが可哀そうだけどね。わかったらきっと落ち込むんだろうね』

 『シャルル様、無事かな』




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