第1話

文字数 2,109文字

「じっと見ないでよ」

 向かいの席に腰かけた倉橋(くらはし)(りく)の視線に(たちばな)春乃(はるの)は顔をしかめ、口元に持っていきかけたフォークを一旦皿の上に落ち着かせた。
 綺麗に巻かれたパスタの麺が緩く崩れる。

 文化祭の打ち上げに訪れたここは地域密着型の小さな個人飲食店だ。
 大勢で押し掛けた制服姿の高校生に「誰もいないから机全部くっつけていいよ」の一言で作られた巨大テーブルが店の真ん中に置かれている。
 着信があり外に出ていた陸が戻ってきた頃には美味しそうな料理を前に各々盛り上がっていた。
 空いた席は一つしかなく、そこへ近づくと自然と視界に入ってしまったのだ。

「いや、意外と綺麗に食べるんだなって」
「意外ってどういう意味?」
「いや! パスタって食べるの難しいじゃん! それをフォークでくるくるっとさ! 上手いなーって」

 むっとした春乃に慌てて付け足す。
 尖った唇のまま器用に麺を巻き直した春乃はパクッと口に運んだ。

「だから見ないでって」
「いやあ、上手いもんだな。俺そんな綺麗にパスタ巻けねーよ。まず適量とるのムズくね? 多いと口に入んねーし、途中でバラけたりさ」

 すげーね、と繁々と見つめると、丸い瞳が数回瞬いたあと、困ったように微笑んだ。

「とりあえず何か頼めば?」
「お! そうだな! すみませーん! えーと……それなに? あの、この子と同じのお願いします!」

 陸が顔を店員と春乃とを行ったり来たりさせながら注文を終えるとお腹を擦ってみせた。

「いやー、橘が食べてるの見たらめっちゃ旨そうだなって思って。楽しみだなー」
「さっきから『いや』って言いすぎじゃない?」

 ちょっと呆れたように言われて陸は浮ついた心を沈めるべく軽く咳払いをする。

「ごめん。煩かった?」
「席かわってもらったら? 言ったらみんなずれてくれると思うし」
「……もしかしてちょっと怒ってる?」

 内心冷や汗をかきながら顔色を窺うと、春乃は怒ってない、と言ってコツンとアイスティーの入ったグラスに爪を当てた。
 そこで飲み物を注文するのを忘れたことに気づいたが、彼女の爪が艶めいて、自分の爪とは全然違うことに驚いて、注文のことなどどうでもよくなってしまった。

「せっかくだし仲いい友達と一緒の方がいいんじゃないかと思って」
「友達が電話してる内にそいつの存在忘れるような奴らだぜ? あの薄情者共は」

 冗談めかして言うと、苦笑した春乃はパスタにフォークを絡ませてはほどく。

「電話長かったね」
「あー、帰りに豆腐買ってきてって」
「え、それだけ?」

 驚いたように顔を上げた春乃に陸は元から置いてあったお冷やに手を伸ばした。

「おかんの電話は用件関係なく長いんだよなあ」

 すぐ脱線してさー、と額に手をあてると、「おかんって呼んでるんだ」と彼女がくすりと笑った。
 爪同様、手入れの行き届いた艶々な髪が揺れて、陸は頬を掻いた。

「もしかして俺がいると気ぃ遣う?」
「え?」
「いや、全然食べてないからさ」

 また『いや』と冒頭につけてしまったことに気がついて、小さく深呼吸をする。
 春乃は髪を耳にかけながら視線を逸らした。

「誰かとご飯食べるの苦手なんだよね」
「俺だからとかじゃなく?」

 恐る恐る聞くと、違う違う、と笑った。

「じゃあ集団が苦手とか?」
「寧ろ集団の方がましかな」

 なんかさ、そう言って春乃は続けた。

「食事って無防備になるじゃん」

 思いがけないことを言われ、陸は数回瞬く。

「集団だと私のことなんかずっと見てる人いないしさ、話題だって沢山あるから黙ってても気まずくなることないじゃん?」

 横に顔を向けた春乃につられて見ると、ちょうど誰かがバカなことでも言ったのか、その場がどっと沸いた。

「買い物とかだったら品物見たりとかしていろいろ楽しめるけど、食事って気まずくなっても逃げられないし」
「気まずくならなきゃいいってこと?」

 思わず口を挟むと首を横に振られる。

「それだけじゃなくてさ、食べるって行為自体が無防備っていうか、防御力(ゼロ)っていうか、ありのままって感じがするんだよね」
「……よくわかんないけど、じゃあ誰とも食事できなくね?」

 ちょっと心配して言うと、春乃は何てことないように言った。

「大好きな人となら問題ないから大丈夫」

 指折り数えながら女友達の名前をあげていく春乃に、知らず固まっていた体から余分な力を息と共に抜いた。

「要は気心知れた相手なら問題ないってことか」
「そういうこと。だからあんまりこっち見ないでね。恥ずかしいから」
「……俺さ、おかんのこと、家では母さんって呼んでる」
「は?」
「因みに俺が『いや』を連発するのは動揺してるときの口癖らしい」
「突然どうした」

 不思議そうに見つめてくる春乃との間に注文したパスタが置かれる。
 陸はフォークにぎこちなく巻いたパスタを口に入れた。

「今度一緒に飯行こうぜ」
「だから誰かとご飯食べるの苦手なんだって」

 話聞いてた? と呆れる春乃に、ちょっぴり無防備になった陸はとりあえず綺麗にパスタを食べるコツを教えてもらうことにした。
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