第1話 お尻の話ですから

文字数 1,670文字

 一人旅をしていても、日本国内ではそうそう知らない人に話しかけることもありませんが、海外で安宿を泊まり歩いているときなどは、ほうっておいても誰かが話しかけてくるものです。

 三十代半ばになろうという頃、ぼくは、カナダでかなり有名だった安宿のマネージャーなんぞをしていたので、外人客はもちろん、二十歳そこそこの日本の若者たちからも、けっこう気さくに話しかけられたものでした。
 そういうとき、ジェネレーションギャップというものは確かに有ったとは思いますが、それでも、同じ日本人相手でも、人それぞれ全然違った常識を持っていることに、おろおろと、とまどってしまうことがありました。 

 あるとき、宿泊客の若い日本人カップルと話をしました。
 いろいろな国での思い出を聞かれるなかで、どういう経緯だったかは忘れましたが、ぼくたちは、インドでう○こをしたあと、指で肛門を洗うことの難しさについて話し合っていました。

 これはですね、具体的に言うと、肛門に付着しているう○こに直接アタックをかけるのは不浄の手である左手の役目なんですが(ぼくの場合は薬指かな)、右手でですね、こう、コップとか空き缶とかを使って、えー、おそらくバケツ等に汲み置きしてある水をすくいまして、それを後ろからお尻に流しつつ、指でえいえい、ごしごし、とこすって、そのコンビネーションできれいきれいにするわけですが、これがさ、けっこう難しいんですよ。

 やったことありますか? 難しいっすよ! 何が難しいって、とにかくその、水をかけるときにですね、シャツを濡らさないように、とか気を使ってお尻をヒョイ、と持ち上げちゃったりするとですよ、う○こで汚染された水が手のひらにジャアアアっとくるのです。

 きゃあああ、なんて悲鳴を上げてパニックを起こそうものなら、さらに汚水はタマタマと大事な棒の先を伝って、パンツ、ズボン、あるいは靴までも、と、取り返しのつかない汚染区域の拡大が引き起こされてしまいます。

 あれはね、技術ですよ。ひとつの技術。右手左手お尻の高さ、絶妙なボディバランスを駆使してのみ成功される、肛門オンリーへのピンポイント攻撃です! うまくお尻が洗えるようになったときには、思いのほか嬉しいものです。う○こするたびあれだけ脳味噌を使っていたら、インド人てボケたりなんてしないんじゃないかな。

 あ、本題はそこではなかった。えー、そのときにですね、ぼくは「目の覚める思いがしました」と、そう、そのカップルに言ったんですね。

 そのう○こを指で拭くという行為によって、あ、ぼくがインドを旅していたのは、その五年ほど前、二十八歳の頃でしたが、あの、う○こがどーしても、何度拭いてもどーしてもどーしても拭ききれないときってあるじゃないですか、そういうときに肛門周辺ではいったいどういう現象が起こっているのか、なぜなかなか拭ききれないのか、そのメカニズムが解りました、と言ったのです。

 ぼくはもう何年も世界を放浪して、いろいろな経験もして、世の中のこともだいぶ解ってきたような気もしていたけれど、なに、実際は二十八にもなって、たかが自分のケツの穴のことさえ、まるで解っていなかった。いや、ホント目が覚める思いがしましたよ、と。

 でもね、その日本人のカップルには驚かれちゃったんですよね。
「ええ? それまで一度も肛門さわったことなかったんですか?」て。

「ええ? なかったけど、なんかおかしい?」
「な、なかったって、じゃあ風呂に入ったときは今までどうやって洗ってたんですか?」
「え? 石鹸つけたナイロンタオルでゴシゴシと……」
「指でこう、ひだの一本一本まで洗うものでしょう? 三十三歳にもなってそんなことも知らないで生きてきたんですか?」

 え? そうなの? そういうもの? ぼく、おかしいの? ウソん。
 あ、今日もう一人、ここの宿に泊まっている日本人のお姉さんがやってきたので聞いてみよう。
 「えー、この件につきましてどう思います?」
   お姉さん「指でひだの一本一本まで洗うものです」
 
 納得いかねー。
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