第2話 バレンタインと吟遊詩人

文字数 2,614文字

 その日は平穏無事な朝を迎えていた。口に出さずとも分かる。宿の窓を開けた。日の光は柔らかく、ほんわかとした雰囲気が街中を漂っている。

 そう今日はバレンタインデー。男はチョコレートを貰えるか内心不安であり、ドキドキしていることだろう。女は告白イベントや義理チョコ大作戦(海老で鯛を釣る的な作戦)であったり、最高のイベントと言えるだろう。なんかそんな幸せな雰囲気が、ぶっ飛ぶ事件に俺は巻き込まれた。この地へ訪れたことを後悔している。いつものことながら、厄の方から突然やってくる。厄に愛されているかのようにだ。

 俺の名前はシベリウス。旅の吟遊詩人だ。雪化粧の屋根を見て、まだ春は来ないと思えた。かじかむ手を擦り合わせ、冷たさを凌ぐ。時折、ハーと手に息を吹きかける。
 この時期は正直なところ楽器の演奏はしたくない。弦を弾く指が痛い。観客も寒さで集まって来ない。商売あがったりだ。
 そんな中でも、この日ばかりは演奏を止める訳にはいかなかった。少しでも恋や愛のお手伝いをしてあげたい。演奏曲で勇気を与えることしか俺には出来ないから……。さぁ、勇気を出して一歩前に踏み出そう。恋せよ乙女。

 そんな最中、事件が起きた。
 突然、空から流星群が落ちてきた。最初は空が恋人達を祝福しているのかと思っていた。憎い演出。お天道様、やるじゃないか。俺も負けられない。指が痛いのを堪え、負けじと演奏を続けた。少ない歓声が、いつしか悲鳴に変わったことで、ようやく気づけた。危うく何かに身体を蜂の巣にされるところだった。後ろへステップ。危機一髪、難を逃れた。

 着弾地点を凝視。雪煙や土埃やらで汚れている物体。中身はドロドロに溶け出て、箱は潰れ紐のような物でくるまれていた。俺は想像した。今日はバレンタインデー。あの紐はラッピングではないか? 溶け出ている物質は、もしかしてチョコレートなのではないか?
 一体、誰がこんなことを……。罰あたりめ!
 食べ物を粗末にするな。そんなことを思って腹立たしく思っていたが、まさかの事態に見舞われた。善意の厄災。

「そこの演奏家さん、チョコレートのお裾分け。ちゃんと受け取ってね」
 少女の声に振り向いた。……が、次の瞬間。胸に強い衝撃を受けた。
「……あわわわわわ。ニコちゃん、やりすぎです。ワットの威力がありすぎです。抑えて……あわわわわわ」
 別の声がしていたが、俺は訳も分からず気絶した。これ以降の記憶がない。

「見知らぬ天井……」
 俺は目覚めて、ポツリと呟いた。異世界転移の物語で、ある有名な台詞。一度言ってみたかった。……そうではなく、ここは何処だ? 錬金術の道具などが辺りに散乱していた。それにこのシーツ。なんだかいい香り。香ばしい匂い。再度、嗅いでみた。……いや、違う。俺は変態ではない。

 ……思い出した。これは薬品の臭い。血の気がサーっと引いていく。俺は何処に連れてこられたんだ? 起きあがると、まだ頭がクラクラする。胸が痛い。壁に手を当て、ようやく立つことができた。ふーっと息を一つ吐く。冷静に努めようと、思いつく限りの出来事を整理してみた。
 今日はバレンタインデー。どれだけ気を失っていたか分からないが、日は跨いでいないはずだ。……ヤバイな。ここの主人が夜には帰ってくる。助けてくれたお礼をしたいが、その後のことを想像すると逃げた方が良いと思う。何をされるか分かったものじゃない。この場所から脱出しなくてはいけない。

 ……どうやら一足遅かった。コツコツと床を歩く足音が近づいてきた。マズイ。急いで隠れようとした。ガチャリとドアが開く。俺は床に倒れていた。まだ足元がおぼつかず転けてしまったのだ。不覚。息をひそめて、そのままの状態で耐えていた。
「……大丈夫です? 生きています?」
 少女の声だ。何故こんな場所に少女がいるんだ。薄暗い錬金術の部屋だぞ。彼女が錬金術師だと知らない俺は、眼下にある木の床板と向き合いながら考えていた。どこかで聞いたことのある声。

 ……思い出した。俺が最初に外で倒れた時に聞いた声の主だ。「あわわわわわ」と言っていた。この彼女がここに連れてきてくれたのか? 根拠はないが、そうであることを信じ、ゆっくりと片膝を床につきながら起きあがった。彼女と向き合いながら話をすることにした。
「君が俺を助けてくれたのか?」
「……あわわわわわ。そ、そうです」
 その少女は、あたふたとした様子であった。どうやら身の安全は保証されているようで一安心。そう思うと彼女の姿は愛らしく見えた。
「ありがとう。俺は、もう大丈夫だ。……ところで、この場所は?」
「わ、私の修行場所です。薬品の臭いが臭かったですか? ごめんなさい」
「いや……大丈夫だ。君は錬金術師なのか?」
「はいです。私は邪竜を再封印するための術をここで練習しているのです」
「邪竜?」
 物騒な事件の匂いがする。「邪竜」というキーワード。俺は絶対に関わらないが、一応話は聞いておく。
「アラニ・カラミッドです。邪竜封印は一族の使命なのです。私の名前はオルロ・ソルシエ」
「俺は旅の吟遊詩人。名前はシベリウス。……それにしても昼間は『死んだ』と思ったよ。何が起きたのか知っているなら教えて欲しい」
 胸が痛み出した。そっと胸に手を置く。
「……はいです。ごめんなさい。私がいけないんです。私がニコちゃんに頼んだばっかりに……。本当に、ごめんなさい」
 彼女は泣き出してしまう。何がいけないのかサッパリ分からない。ニコちゃんとは何者?
 オルロ・ソルシエが泣き止むのを待った。
「大丈夫。俺は気にしていないよ」
 彼女の頭をポンポンと優しく叩く。

 しばらくして彼女が事の経緯を教えてくれた。
 彼女はバレンタインデーに向けて、たくさんのチョコレートを配りたかったらしい。
 得意の錬金術で数を増やそうとしたが、予想以上に増えすぎてしまい、チョコレートの山に埋もれそうになった。実際には埋もれなかったらしいのだが、このチョコレートをどう処分するのか悩んで、その過程で一つの方法を思いついた。それがニコの持つワットという機械で街中にばらまこうと考えてニコに任せたらしいのだ。……そして俺は運悪く弾(チョコレート)を貰ってしまったという訳だ。

 俺はオルロ・ソルシエと別れ、また気ままな旅に出た。
「ニコ&ワット」
 この名前を俺は忘れない。別の街で詩曲を広めてやる。吟遊詩人の復讐は恐ろしいのだ。


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