第1話

文字数 976文字

 ヘッドライトが前方を照らしている。でも外灯もほとんどない山の中では、ライトが闇から切り取った風景だけでは心もとない。右へ、左へ、慎重にハンドルを切る。
「あ、やだ!」と思わず声をあげてしまった。ポツ、ポツとフロントガラスに水滴。雨だ。
カーブが続く道は永遠に続くみたいに思えるのに、視界はますます悪くなる。
「怖いなあ」不安だから独り言が大きくなる。
 車の運転は得意じゃない。まして、夜、山、雨ときたら最悪だ。私はチラッと助手席を睨んだ。
「爆睡……」
 平和そうな寝顔にため息をつく。寝かせてあげたいけれど、少しくらいは心細さに気付いて欲しい女心、わからないんだろうなぁ。
 彼の仲間の家で、花火大会を観た帰り道。
 花火が終わった後もダラダラと飲み会が続き、日付が変わる頃になってようやく解散になった。
 彼が「友人宅で一緒に花火を観ないか」と誘って来た時、終電がなくなるほど帰りが遅くなることは、想定済みだったに違いない。だから私の車で行こうと主張したのだ。
「ずるいなぁ……、って、うわっ! お、おばけ……?!」
 ウネウネと節くれだったシルエットが道の上に伸びている。まさか、とよく見ると山から突き出た木の枝だった。
 はーっと安堵のため息をついて、アクセルを踏んでいた足をゆるめる。視界は悪いのだし、こんな天然のお化け屋敷のような山の中で事故を起こしても、きっと誰も助けにきてくれない。
 カーブを曲がり切ったところで、後ろから強いライトで照らされた。慌てて道のはじに寄る。
「も、やだあ……」
 遠ざかる赤いテールランプを見送りながら、心細さに泣きたくなってきた。
 カーステレオに手を伸ばしてCDを止め、ラジオに切り替える。女性ナビゲーターのやわらかな声が鼓膜を揺らした。
 私以外にも、今この瞬間、起きている人がいる。どこかに誰かが、確かにいる……。
 そしてラジオから流れ出した音楽は、さっきまでひとりで聴いていた音楽とは違う。どこかで誰かが、この瞬間、同じ曲に耳を傾けている。
 ただ、それだけだけど、まっくらな山の中でたったひとりぼっちで奮闘している私には、あたたかな何かが流れ込んでくるみたいだった。一人だけど、ひとりじゃない。
「うん、がんばろっ!」
 私は助手席の彼にベッと舌を出すと、アクセルを踏み込んだ。この埋め合わせはしてもらうからね、なんて言いながら。
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