第1話
文字数 1,577文字
じいちゃんの部屋のドアを開けると同時に、薄い煙草の匂いがおれを包んだ。
禁煙してからもう数年がたつが、部屋に染みついた匂いはいつまでも残っていた。
昨日のじいちゃんの葬式は、冬にしては暖かく、穏やかな空の下で執り行われた。
長年の喫煙で、もともとそこまで健康体っていうわけではなかった。でも、入院するほどではなかったから、ずっと家で過ごしていたんだ。……一週間前までは。
あっという間だった。じいちゃんが家で突然倒れてから……死ぬまで。
おれはじいちゃんの孫の中では一番年下で、それもあってかじいちゃんは、自分で言うのもなんだがおれをものすごくかわいがってくれてた。だからおれは昔からじいちゃん子で、たまたまおれの通う大学がじいちゃんの家に近かったこともあり、最近も大学帰りによく寄っていた。
だからこそ、突然の死へのショックが大きくて……、お通夜でも葬式でも、泣くことすらできなかった。
ただ、無感情な抜け殻のように、葬式に参加していただけ。
おれの心には、ぽっかりと大きな隙間がいてしまったようだった。
「この植物……」
ばあちゃんから遠慮がちに声をかけられ、おれははっと我に返った。
ばあちゃんが手で指し示しているのは、一つの観葉植物の植木鉢。
「うん。今日はそれを、取りに来たんだ」
おれが答えると、ばあちゃんは、そう、と弱々しくほほえんだ。
入院してすぐお見舞いに行ったときに、死んだら育ててくれ、と頼まれていたんだ。
縁起でもないって言ったんだけれど……、その日がおれがじいちゃんに会った最後の日だった。
もしかしたらもうそのときには自分の死を悟っていたのかもしれないな、なんて、後から考えるとそう思えてしまう。
「……じゃあおれ、そろそろ帰るわ」
「気をつけてね」
「うん。ばあちゃんも、元気で」
育て始めてまだ一ヶ月と少しの小さな観葉植物の植木鉢を抱えて、おれはばあちゃんの家を後にした。
じいちゃんによると、この植物はセフリジーというらしい。
家に帰ったおれは、とりあえず育て方を検索するために、スマホを取り出した。
簡単だって言われても、枯らしたらいやだからな。
「セ、フ、リ、ジ、ー……。へえ、木なのに花言葉なんかあるのか」
検索候補に出てきたワードに少し興味をそそられ、おれは「セフリジー 花言葉」をタップした。
一番上に出てきたページを開くとまず目に飛び込んできたのは「セフリジーの風水と花言葉」の文字。
「ふうん。風水、やる気。花言葉、は……――っ!」
その言葉を見た瞬間、じいちゃんが入院してすぐの日のことが脳裏によみがえった。
『じいちゃんが最近観葉植物を育てはじめたのは、知ってるよな?』
『ああ、うん。先月くらいだろ? 今までじいちゃん、そんなことしてたことなかったよな? 珍しいなと思ったから、覚えてるよ』
『その植物のことなんだかな。もし、じいちゃんが死んだら、おまえの家で育ててくれるか?』
『別にいいけど……、そんな縁起でもないこと言うなよ』
『まあまあ、万が一、の話さ。……じいちゃんが死んでも、いつまでも、その木から見守ってるからな』
「そうか。だから……」
全部、つながった。
じいちゃんが突然観葉植物を育て始めた理由、おれに植物を託した理由、あの日のじいちゃんの言葉の意味……。
スマホの画面に水滴が落ちてきて、そこで初めて、涙がおれの頬を伝っていることに気がついた。
じいちゃんの遺された想いが、おれの心の隙間をじんわりと埋めていく。
だからだろうか、今まで少しも出なかった涙が出てきたのは。
「……っ、……くぅ……っ」
おれはじいちゃんの植物の前で、声を殺して泣いた。
じいちゃんがそこで見守っているような気がして、悲しみは絶えないものの、寂しさはいつの間にか、やわらいでいた。
煙草の匂いが、おれの鼻をくすぐった気がした。
禁煙してからもう数年がたつが、部屋に染みついた匂いはいつまでも残っていた。
昨日のじいちゃんの葬式は、冬にしては暖かく、穏やかな空の下で執り行われた。
長年の喫煙で、もともとそこまで健康体っていうわけではなかった。でも、入院するほどではなかったから、ずっと家で過ごしていたんだ。……一週間前までは。
あっという間だった。じいちゃんが家で突然倒れてから……死ぬまで。
おれはじいちゃんの孫の中では一番年下で、それもあってかじいちゃんは、自分で言うのもなんだがおれをものすごくかわいがってくれてた。だからおれは昔からじいちゃん子で、たまたまおれの通う大学がじいちゃんの家に近かったこともあり、最近も大学帰りによく寄っていた。
だからこそ、突然の死へのショックが大きくて……、お通夜でも葬式でも、泣くことすらできなかった。
ただ、無感情な抜け殻のように、葬式に参加していただけ。
おれの心には、ぽっかりと大きな隙間がいてしまったようだった。
「この植物……」
ばあちゃんから遠慮がちに声をかけられ、おれははっと我に返った。
ばあちゃんが手で指し示しているのは、一つの観葉植物の植木鉢。
「うん。今日はそれを、取りに来たんだ」
おれが答えると、ばあちゃんは、そう、と弱々しくほほえんだ。
入院してすぐお見舞いに行ったときに、死んだら育ててくれ、と頼まれていたんだ。
縁起でもないって言ったんだけれど……、その日がおれがじいちゃんに会った最後の日だった。
もしかしたらもうそのときには自分の死を悟っていたのかもしれないな、なんて、後から考えるとそう思えてしまう。
「……じゃあおれ、そろそろ帰るわ」
「気をつけてね」
「うん。ばあちゃんも、元気で」
育て始めてまだ一ヶ月と少しの小さな観葉植物の植木鉢を抱えて、おれはばあちゃんの家を後にした。
じいちゃんによると、この植物はセフリジーというらしい。
家に帰ったおれは、とりあえず育て方を検索するために、スマホを取り出した。
簡単だって言われても、枯らしたらいやだからな。
「セ、フ、リ、ジ、ー……。へえ、木なのに花言葉なんかあるのか」
検索候補に出てきたワードに少し興味をそそられ、おれは「セフリジー 花言葉」をタップした。
一番上に出てきたページを開くとまず目に飛び込んできたのは「セフリジーの風水と花言葉」の文字。
「ふうん。風水、やる気。花言葉、は……――っ!」
その言葉を見た瞬間、じいちゃんが入院してすぐの日のことが脳裏によみがえった。
『じいちゃんが最近観葉植物を育てはじめたのは、知ってるよな?』
『ああ、うん。先月くらいだろ? 今までじいちゃん、そんなことしてたことなかったよな? 珍しいなと思ったから、覚えてるよ』
『その植物のことなんだかな。もし、じいちゃんが死んだら、おまえの家で育ててくれるか?』
『別にいいけど……、そんな縁起でもないこと言うなよ』
『まあまあ、万が一、の話さ。……じいちゃんが死んでも、いつまでも、その木から見守ってるからな』
「そうか。だから……」
全部、つながった。
じいちゃんが突然観葉植物を育て始めた理由、おれに植物を託した理由、あの日のじいちゃんの言葉の意味……。
スマホの画面に水滴が落ちてきて、そこで初めて、涙がおれの頬を伝っていることに気がついた。
じいちゃんの遺された想いが、おれの心の隙間をじんわりと埋めていく。
だからだろうか、今まで少しも出なかった涙が出てきたのは。
「……っ、……くぅ……っ」
おれはじいちゃんの植物の前で、声を殺して泣いた。
じいちゃんがそこで見守っているような気がして、悲しみは絶えないものの、寂しさはいつの間にか、やわらいでいた。
煙草の匂いが、おれの鼻をくすぐった気がした。