後編

文字数 2,236文字

 なぜ、歌う度に世界を渡るのか。
 メル・アイビーにはわからない。
 これが呪いの一端なのか、それともそういうものなのか。
 わからない。
 歌う毎に世界を巡る。
 歌う毎に人々に出会う。
 歌う毎に彼女は別れる。
 歌う毎に……。

 ★★★

 おそらくは夜。
 雪が降っていた。
 積もり積もった雪が視界中を白く覆っている。しんしんと降り続ける雪が薄明るくあたりを照らしていた。目に見えるのは雪ばかりだ。他には何もない。人も建物も木々や草花、もちろん動物たちも。
 何もなかった。
 何も……。
 何も……ない。
 メル・アイビーは首をかしげる。
 ここはどこ?
 私が来た理由は?
 なぜ、誰もいないの?
 メル・アイビーは虚空に手を伸ばす。手のひらで雪を受け止めた。柔らかさすら覚えぬうちに雪が溶けていく。
 あっという間だ。
 儚いもの。
 ささやかなもの。
 すぐに消えてしまうもの。
 ……唐突に。
 少女が現れる。
 メル・アイビーはその少女を知っていた。
 この世界の彼女だ。
 赤毛の少女。セミロングの似合う美しい少女。。笑顔がまぶしい華奢な少女。
 少女は……。
「アイナ」
 メル・アイビーは彼女の名を口にする。
 アイナは立ったまま泣いていた。両手で顔を伏せているが彼女に相違なかった。メル・アイビーが近づいても彼女は反応しない。ただ泣いていた。
 わめくのではなく、声を押し殺して泣いている。
 なぜ、彼女は泣いているのか。
 それにみんなは?
「アイナ……」
 答えはない。
 アイナの頭に、肩に、身体に、遠慮なく雪が白く積もっていく。
「アイナ」
 もう一度、呼びかける。
 アイナが顔を上げた。
 涙で濡れた美しさ。
 悲哀に満ちた若さ。
 赤くなった目がメル・アイビーを見返している。
「なぜ、泣いているの?」
 メル・アイビーはたずねる。不思議と答えがわかっていた。それでも、効かずにはいられない。
 黙っているアイナに再度たずねた。。
「どうして泣いているの?」
「……あなたには、わからないわ」
「そうなの?」
 アイナがしゃくり上げる。
「……テオね」
 何となく彼だと思い至る。
 アイナが視線をそらす。雪が強まった。
 白の中に白が広がっていく。
 白に白が重なっていく。
 白で白が消えていく。
「あたしは」
 アイナが言う。
「あたしはあなたと違う」
「ええ」
「あたしには特別な力なんてない」
「そうね」
「あたしはテオを救えない」
「……私ならできる」
 アイナが睨んだ。
 怒声。
「だから言ったの! あなたにはわからないって!」
 メル・アイビーは沈黙する。
 アイナの怒りの中に嫉妬と絶望を感じた。
 と、ともにイメージが……。
 雪の道。並んで歩くアイナと黒髪の少年。
 テオだ。
 二人とも背丈はほとんど変わらない。アイナに負けず、テオの顔も整っている。色白で優しそうな表情。痩せた身体は頼りなげでもある。
 おそろいの黒いコート。
 談笑する二人に迫るもの。
 1台のトラックが車道をはみ出して二人に向かう。
 テオが気づき、とっさにアイナを突き飛ばす。
 一人残ったテオにトラックが……。
「あたしのせいで、テオが」
「あなたのせいじゃない」
「あたしが悪いの。彼の話に夢中になって、気づくのが遅れたから」
「それは違う」
「あなたに何がわかるの!」
 激しくアイナが言い放つ。
「特別な力のあるあなたに何もないあたしの無力さがどれだけ辛いかわかる? 大切な人を助けてあげられないあたしの気持ちがわかる? 目の前で好きな人を失う悲しみが、あなたに本当にわかるの?」
 メル・アイビーはすぐに答えられない。
 アイナの言葉は理解できる。
 だが、答えが出なかった。
 アイナが問う。
「……あなたは誰かを愛したことがあるの?」
「ないわ」
「なら放っておいて」
 こんなとき、メル・アイビーにできることは一つしか無い。
 メル・アイビーは胸の前で両手を組む。
 歌おうとしたとき、アイナが叫んだ。
「そうやって歌うだけのあなたに、愛なんて語れないわよね!」
 構わず、メル・アイビーは歌う。
 追憶と哀悼の詩を……。
 アイナの罵声をかき消すように大きな声で。
 ……なぜか、涙が溢れた。

 ★★★

 メル・アイビーには歌しかない。
 彼女は愛を捨てた。
 彼女は友情を捨てた。
 彼女は全てを捨てた。
 全てを失い、手に入れた。
 歌うことを。
 たとえそれが呪いであっても。
 たとえそれが特別な力であっても。
 たとえそれが望まれないものであっても。
 メル・アイビーは歌う。
 祈るように彼女は歌う。
 彼女にはそれしかないのだから……。

 ★★★

 森が近いどこかの花畑。
 暖かな光がメル・アイビーを照らしていた。
 草花の芽吹く匂い。長い眠りから覚めた動物たちの気配。世界に色彩が宿る季節。
太陽が月の力に勝り始める季節。。
 名も知らぬ小さな鳥がどこからか飛んできてメル・アイビーのまわりをはばたく。
可愛らしい声で鳴き、メル・アイビーを微笑ませた。
「……テオ?」
 だだっ広い花畑の向こうに見知った少年の姿を認める。
 メル・アイビーはゆっくりとテオの元へと歩きだした。
 今度はどんな詩を歌うのか。
 まだメル・アイビーにはわからない。
 だが、歌うためにここに来た。
 前の世界の記憶はぼんやりしているが、このことだけははっきりとわかる。
 呪いだろうが何だろうが歌い続ける。
 私には歌しかないのだから……。
 
 次はあなたの世界に現れるかもしれません。
 
 
 
**本作はこれで終了です。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 
 
 
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