ショートショート

文字数 6,240文字

「博士、浮かない顔をしていますね。タイムマシンの完成も間近だというのに。」

 助手にそう指摘され、R博士はうなった。

「そう見えるかね。」

「見えます。研究を始めた時と比べて、明らかに元気を失っているでしょう。数えたところ、博 士は一日に平均5回ほどため息をついていらっしゃる。今朝はもう4回ついていますよ。」

「気にしすぎだよ。私のことを観察している暇があったら、縮小時間概論のレポートの仕上げでもしていたまえ。」

 博士はそう言ってはぐらかしたが、助手は引き下がらなかった。

「ですが、博士のやる気が著しく下がってきているのは問題です。時間転移学で最高の権威である博士が今更タイムマシンの開発を辞めるなんてことになったら大事ですから。」

 弟子はさらに博士に詰め寄った。

「研究を始めたころのあなたは、もっとやる気に満ちていたはずです。初心を思い出してください。」

 しかし博士は忘れたわけではなかった。タイムマシンを作ることを志した、あの時の気持ちを……。



 三十年前。世界中を震撼させる発見があった。
 およそ二千万年前の地層から、人間の骨が出土したのだ。その年代は原始人が誕生したばかりで、原始人の骨が見つかることはあり得ない話ではなかった。だが出土した骨は明らかに、現代人のものだった。
 背筋が伸び、脳が大きくなり、文明の発達とともに怠惰な生活を送ってきた現代人の骨格は、古代人のそれとは明らかに違う。見間違いなどで片付く問題ではない。
 太古の昔に存在した、現代人の謎。
 その謎に、世界中が騒ぎになった。
 ある者は

「誰かが人を殺して、そこに埋めたのだ。」

と予想して見せ、またある者は

「土砂崩れや地盤の変化によって偶然混ざってしまったのだろう。」

と分析した。中には、

「目立ちたがりの研究者が嘘を言っているに違いない。」

といかにもらしく批判する者もあった。その骨が二千万年前に見つかった理由を人々は模索し、多様な意見が飛び交った。

 けれども、である。

 けれどもそれらの全ての意見は、骨の劣化具合などの、研究によって示された確かな証拠によって否定された。つまり、その骨は確かに二千万年前の地層から特異的に出土したもので、それまで人類が積み上げてきた常識では説明できないものだったのだ。
だから最後に出された結論は、最も非現実的で最も不確かで、同時に誰もが憧れたものだった。

「未来人がタイムマシンを開発し、太古の昔にタイムトラベルしたのではないか。そしてそこで死んだから、その骨が発見されたのではないか。」

 その意見ばかりはいかなる研究でも否定できず、とうとうその骨は未来人のものであると決定された。
 そう遠くない未来に、タイムマシンが完成しているという示唆。
考古学が、未来を証明してみせたのだ。

「タイムマシンは、夢ではなく、約束された未来のことだったのだ。そしてそれを開発しているのは、自分かもしれない。」

 明るい未来は人々の心を鷲掴みにする。大いなる可能性に、誰もが沸き立った。
 R博士もまた、その一人だった。もとより発明好きだった彼はすっかりタイムマシンの虜になり、すぐさま研究を開始した。
 幻想でないと分かればこそ、国も資金を出し、研究を支援する。
そうして彼は、わずか三十年の間にその才能をいかんなく発揮した。『超高速における可逆時間論』や『反転時間軸と質量空間の歪み』、『原点移動条件下での次元解析』などの論文を発表し、時間旅行のための理論を構築してきたのだった。



 今日では、R博士は世界中で最も時間旅行理論を理解する研究者だ。同時に、タイムマシン開発に取り組むただ一人の人間でもある。
というのも、研究が進むごとに明らかになる時間という壁の大きさが、挑戦した人々をくじいたからだ。
次々と諦めていく者たちの中でR博士だけが残り、一歩一歩着実にタイムマシン開発を進めていった。
 けれども、人々が時間旅行への熱意を失ったのかというと、それは違う。脱落していった者たちは、タイムマシン開発の夢を彼に託していったのだった。
なればこそ人々が博士にかける期待は大きく、博士が感じる重圧はすさまじいものだった。

「いや、決してやる気を失ったわけではないよ。タイムマシンは必ず完成させてみせる。」

「その意気です。頑張りましょう。完成した暁には、素晴らしい名誉が手に入りますよ。人々は、いや、偉大なるアインシュタインでさえも、あなたのことを最高の科学者として称えるでしょう。」

「そんなことはどうでもいい。私は、他でもない私のためにタイムマシンを作るのだ。未来人の骨に夢を抱いた、私一人のためにね。名誉など、あとからついてくるだけのものに過ぎない。」

 博士にとっては、タイムマシンの開発は生きる目的そのものだった。
寝ても覚めても、「自分こそがタイムマシンを完成させる人間だ。」という強迫的な思いに取りつかれている。その狂気ともいえる熱が、今日まで彼の背中を押してきたのだ。
決して、誰かの賛辞を聞くために作っているわけではない。
彼にとっての名誉となりうるのは、人々の称賛などではなく、時間旅行に成功した、という事実だけだろう。

「しかしね、私はもうずっと悩んでいるのだ。」

 その口から小さなため息がもれる。

「いくら研究が進み、こうしてタイムマシン完成が間近に迫っていても、人類の抱える問題はなくなりはしない。なくなる気配もない。人々はいつでも裏切り合い、いがみ合っている。他人を傷つけることでしか、自分の価値を見出せないでいる。タイムマシンという高尚で複雑なものを、はたして人類は手にしてもいいのだろうか。取り返しのつかない間違いが起こってしまわないだろうか。そもそも時の流れに逆らおうとすることが、間違った行為なのではないか。」

 タイムマシンは作りたい。実際に過去にも行ってみたい。しかし同時に、人々が使うことには不安がある。
博士は矛盾を抱えていた。

「きっと大丈夫ですよ。」

 助手はそんな博士の手を強く握った。

「確かに人間は愚かです。しかしだからこそ、タイムマシンが必要なのです。過去に戻ってやり直したいと願っている人間が、どれだけいるか……。大丈夫、この研究は間違っていません。あなたは、大勢の人を救うのです。」

 優秀だがタイムマシンを作る程には至らなかった彼の仕事は、助手としてR博士を支えることだ。

「不安はわかりますが、それは後から考えればいいことでしょう。人間は、きっとそんなに愚かではないですよ。」

少しでも不安を拭い去ろうとする助手の熱弁に、博士はゆっくりうなずいた。

「……そうだな。」



 それから二か月と三日後、タイムマシンは完成した。

「やりましたね、博士。」

「ああ、とうとうな。今我々の目の前にあるのは、最先端の未来的機械であり、同時に過去のあらゆる時代の機械でもある、そういうものだ。」

 直径二メートルほどの銀色の球体。窓も飾りもない無機質なものだが、博士の言う通り、あらゆる時代にも合うように設計されている。行った先の時代の人に怪しまれることのないよう、光学迷彩によってカメレオンのようにその姿を変えることができるのだ。江戸時代なら木造の小屋のように見え、原始時代なら巨大な岩に見える、という具合に。

 内部は、一人用の座席とパネルがあるのみ。基本的な操作はパネルのボタンを操作するだけでいい。現代のこの研究室にある管制モニタからそれを補助し、行きたい時代を設定することでタイムマシン全体の動きを制御するようにできている。
博士はうれしさから、どこか浮かれた気分だった。

「完成とはいえ、一度の時間旅行にかかる電力は並々ならぬものだ。おそらく、過去に行って帰ってくるだけが精いっぱいだろう。もう少しバッテリーを積められればよかったが。」

 気を引き締めようと、わざと不満を口にする。

「問題はありません。充電は百パーセント完了しています。数十年程度なら何度かの往復もできるでしょう。」

 助手の声は明るい。

「さあ博士、乗り込んでください。早速試験運転をしましょう。タイムマシンを開発したあなたには、人類で一番最初の時間旅行者になる権利がある。ああ、素晴らしい名誉の瞬間です。」

 助手の言葉に頷き、博士はタイムマシンに乗り込んだ。座席は人体の骨格を綿密に考慮し、座り心地の良いものとなっている。行った先の時代で、家の代わりにして住むこともできるようにするためだ。

 背もたれの柔らかな感触が、博士にタイムマシン完成の確かな実感と、少しの緊張を与える。

「それでは出発する。これは実験だから、ひとまず手頃な二十年前にでも行こうか。セキュリティを外してくれ。」

「了解しました。大気コントロール、姿勢制御、ともに正常。全てのセキュリティを解除します。」

 ブゥゥゥゥウウン

 タイムマシンが小刻みな振動を始める。あとは目的の時代を設定するだけだ。
行先は……。

「さあ、博士。行ってらっしゃい。栄光の旅路へ。」

 次の瞬間、タイムマシンは虹色の輝きを放ち、消えた。



 時間にすれば一秒もない。過去に飛ぶということは理論上負の時間を生きるということだから、時間旅行にかかる時間は計算の上では……。
 博士は、考えることをやめた。いや、考えていられないほどの感動に包まれたのだ。
 時間旅行は成功した。
 タイムマシンの外側に取り付けられたカメラから、研究室のものでない映像が送られてきていることから、それは疑う余地がなかった。博士の研究室は十年前に建てたばかりの新しいものだったので、二十年前には存在しないのである。
積年の夢を、遂にかなえたのだ。博士の、そして人類の夢を。

「聞こえるかね。私だ。時間旅行に成功した。」

 喜びに震えながら通信機を立ち上げると、すぐに助手の声が聞こえてきた。

「やりましたね、博士。この時間通信システムも問題ないらしい。素晴らしいことです。」

 助手の声は、やはり博士と同じく興奮している。

「ああ、最高だよ。まったくもって、最高だ。」

 狭いタイムマシンの中でなかったら、彼は飛び跳ねていたかもしれない。
 その時、ふと、カメラからの映像の端に見慣れない虫が飛んでいるのを見つけた。ゆうに人の掌を超えるサイズの虫。まだらの模様がはっきり見える。

 違和感が、興奮を急速に奪った。

 見たこともない巨大な虫。はたして二十年前に、そんなものがいただろうか。
 虫はピンク色の薄い羽をせわしなく動かしながら、捉えどころのない奇妙な軌道で飛んでいく。
 上下しながら左右に、気まぐれに。

「どうもおかしい。ここは、本当に二十年前なのか?機械が故障した様子もないし……。」

 よくよく目を凝らすと、あの虫やその向こうに生い茂った草木は、もっとずっと前の時代のもののように見える。

「おい、聞こえるか?二十年前にしては、どうもおかしい気がするのだが……。」

 帰ってきたのは、笑い声だった。

「はははははは。博士、二十年前なんかじゃありませんよ。もっとずっと前、二千万年前です。」

 博士は息を呑んだ。

「二千万年前?バカな。それでは、タイムマシンの充電がもたないではないか。帰れなくなるぞ。」

「焦らないでください、博士。もうどうにもなりませんよ。僕はわざとあなたを帰ってこられない時代に送ったのです。二千万年前という、人間がまだ何の力も持っていなかった時代に。あなたをこちらの時代から追放するためにね。」

「まさかっ。」

「ええ、そうです。博士。これは僕の企みなんですよ。ああ、おかしい。まんまとはまりましたね。」

 助手はいかにも楽しそうに、まくし立てる。

「僕にはタイムマシンを作ることができない。しかしあなたにはできる。あなたは僕には得られないほどの名誉を得られる。だから、盗むことにしたのです。あなたの研究成果を。そのために、あなたにはこうして時間の果てで消えていてもらわなければいけない。」

 昂る助手に気圧される形で冷静を保ち、博士はようやく、その企みを理解した。

「なるほど。過去という牢獄に、私を永久に追放したわけだ。私は死んだも同然ということか。それで、君は私の研究成果―タイムマシンを盗もうということかね。しかし肝心のタイムマシンは私と一緒にこの時代に来てしまっている。君ではタイムマシンを作れまい。どうするつもりかね。」

「心配はいりません。数年前、あなたの部屋でタイムマシンの設計図を見つけましたから。理屈は理解できなくとも、設計図通りに機械を組み上げるだけなら僕にもできます。そうして僕は、人類で最初のタイムマシンの開発者になるのです。本来あなたが得るはずだった名誉を、僕が受け取るのです。未来永劫、いや、過去にまで語られる程の名誉をね。遠い過去で何もできないあなたをのぞけば、真実を知る者は誰もいません。」

 タイムマシン内の照明が暗くなった。電気が底をつきようとしているのだ。

「計画は成功です。今日までご苦労様でした。哀れですねえ。あなたが一生懸命作っていたのは、自分自身の棺桶だったわけだ。」

 助手は続ける。

「しかし悲しむことはありませんよ。タイムマシンは、あなたの死をもって完成するのですから。あなたは、偉大なる僕の名誉のための犠牲に―。」

 通信はそれで途絶えた。
 電気が切れ真っ暗になったタイムマシンに、博士は一人、残された。



 手が残した言葉は、一体博士のどんな感情を刺激しただろうか。怒りか、悲しみか、憎しみか……。
 しかし彼の心には、そのどれもありはしなかった。
 これまで、彼の名誉を利用しようとする人間はたくさんいた。助手もまた、その一人だったというだけのことに過ぎない。
 博士自身でも意外なほど、助手の裏切りは博士の心を揺らさなかった。
それよりも、タイムマシンを正しく完成させ、遠い二千万年前まで来られた事実が嬉しい。

「くっくっくっくっく。」

 思わず、笑いがこみあげてくる。気がおかしくなったのではない。
 ずっと抱えていた悩みに答えが出たことに、安堵しているのだ。
 そう、答えが出たのだ。
 設計図は、途中で描くのをやめている。複雑なタイムマシンの構造を紙面上に書き表すのが困難だったから。
タイムマシンの中枢の構造は、博士の頭の中にしか存在しない。
そして、タイムマシンは長い年月をかけて土に分解される素材を使っている。あらゆる時代の環境にも配慮して。
最終的にはねじの一本も、残らないだろう。

時が経てば―
時が経てばきっと、繫栄した人類の誰かが、博士の骨を見つけるだろう。それはタイムマシンの存在を証明するものになるかもしれない。だが、そのころにはタイムマシンそのものは土となり見つからない。
さらに時が経てば、ずるがしこい助手が自分の手でタイムマシンを作ろうと躍起になるだろう。だが、途中書きの設計図では完成させられない。
過ちに気が付いた時には手遅れだ。
 タイムマシンは完全に失われる。過去からも、未来からも。

 博士は、無意識のうちにこうなることを予想していたような気がした。タイムマシンを作ると決めた時から。あの、過去から発見された未来人の骨を目にした時から。

「やはり、人類は未熟だ。タイムマシンを扱うには早すぎる―永久に―。」

 彼はタイムマシンから外に出た。
 いつの時代も、陽の光は暖かい。
 偉大なる太古の空気や虫の声、木々の香りが彼を呑みこみ、やがてその姿は見えなくなる。


 かくして、人類はまだタイムマシンを見ていない。


《終》
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