文字数 5,940文字

 キッチンにて自前のエプロンを着け、やる気十分のガエタノ。タキシードの上からでも
わかる逞しい身体に白地のキュートなウサギ柄がよく映える。
「ぬっふっふ。さてさて、何を作ろうか楽しみである」
「そうですね……私は夕飯を担当致しますので、ガエタノ様はデザートをお願いしてもい
いですか」
「任された。ではラデル君。色々と借りるよ」
「どうぞ。お好きなものをお使いください」
 ガエタノが手にしたのは大きな板状のチョコレートだった。しばらくじっくり考えた後、
何かを思いついたらしく、お湯を沸かし始めた。
「ぬっふっふ。そういえば、今日はあの日だね」
「あの日……あぁ、バレンタインですね」
「そうだ。それに相応しいものを思いついたよ」
 小鍋でお湯を沸かしている間、ガエタノはステンレス製のボウル、泡だて器を用意。板
チョコをパキパキ割ってボウルの中に入れ始めた。手持ちのチョコを砕き終え、ボコボコと沸いたお湯をステンレス製のボウルに入れ、その中に割ったチョコが入ったボウルを入れる。お湯の熱でチョコをゆっくりと溶かしていきながら、新鮮な生クリームを少しずつ
加えていく。全体が混ざり合ったらそれを冷蔵庫で冷やす。
 次はスポンジケーキの準備。材料とチョコレートを混ぜ合わせ型に流し込み、オーブンでじっくりと焼き上げる。
「今日のメインはなにを予定してるのかね」
 ざっくりと下準備を終えたガエタノがラデルに問いかける。少し悩んでからラデルが口
を開く。
「今日はそうですね……あまり濃厚な物ではなく、色々な物を少しずつご用意しようかと」
「ほう……オードブルだね。なら手軽に楽しめるものがよさそうだ」
「はい。喜んでもらえるといいのですが」
「それは吾輩も一緒だ。みんなが喜ぶ顔はなによりも嬉しいものだ」
 誰かが辛い思いをしたら、誰かが慰めればいい。誰かが悩んでいたら悩みを聞いてあげ
ればいい。特に今回に関してはショックの割合が大きいので、それを忘れさせるくらいの
事をする必要がある。それができた暁にはジョヴァンニが笑ってくれたら大成功である。
「最高のおもてなしを致しましょう」
「そうだね。腕によりをかけてスウィーツを完成させよう」
 オーブンから甘い香りが漂い、タイマー音よりも先に焼きあがりを教えてくれる。ミト
ンで熱々の型を取り出し、中身を出し粗熱を取る。粗熱が取れたスポンジに余ったチョコ
レートをかけてコーディングし、その上に生クリームを絞り季節の果物を飾っていく。
「ぬっふっふ。吾輩特製ガトーショコラの完成だ。これを一番最初に出して、この他にも
いくつかスウィーツを用意しておくかね」
「おお……これは美しいですね」
「ラデル君もそう思うかい。これは我々の友情の証だ」
 崩れないよう冷蔵庫に運び、そのついでにまた新しい材料を手にして作業に移る。ラデ
ルも必要な野菜を切り、次々に鍋へと入れていく。その鍋には鶏を丸ごと一羽使ったスー
プが入っており、そのままでも十分に美味しそうな匂いをしている。しかし、ラデルはそれで終わらせない。軽く塩をふり、味を調えたらある液体を流し入れ鍋ごと冷蔵庫へ。
「おや。せっかく温めたものを冷やすとは……何が起きるか楽しみだ」
 ガエタノが興味深そうに唸るのを見たラデルは軽く会釈をし、次の料理に取り掛かった。
次は小麦粉で作った生地を薄く伸ばし広げる。鉄板の上に油紙を敷き、その上に生地をの
せて一つの大きさが均等になるよう切り分ける。香味野菜やチーズ等を乗せて高温のオー
ブンで焼き上げる。
「これは面白い。ミニピザのようだね」
「ええ。小さいサイズなので色々な味を試すのも良いかと思いまして」
 とろりと溶けたチーズが鼻腔をくすぐる。タイマーの音が鳴り、オーブンから鉄板を取
り出し、ぶつぶつといいながらチーズがこんがりと焼けている。こんがり焼けたチーズの
匂いに誘われて、作業をしていたガエタノは一旦手を止め、そのミニピザの盛り付けに加
勢した。
「吾輩ものせていいかな?」
「もちろんです。お手伝いありがとうございます」
「礼には及ばんよ。さて、何をのせようか」
 ラデルの作業台にはたくさんの具材が用意されていた。ブルーチーズ、クリームチーズ、
オクラ、サーモン、レモン、バジル、パセリ等組み合わせによっては口の中で楽しい反応
が起こりそうなものばかりだった。楽しくなってきたガエタノは鼻歌を歌いながらトッピ
ングした。
「これは食べるのが楽しみだ。それと、満足そうに笑うジョヴァンニ君の顔が思い浮かぶ」
「料理というのは、召し上がっていただける方を思い浮かべると、ついつい時間をかけて
しまいがちですね。手間をかければかけるほど喜んでいただけるというのは作り手にと
って最高のお返事かと思います」
様々なトッピングを施し、目にも楽しめるミニピザを作り上げる。全てにトッピングを
しているかを再度確認し、乾燥しないように敷物を被せる。
「さて、私も次の料理にとりかかります」
「では、一旦お互い干渉しないようにしようか」
 その言葉を合図に二人は黙々と仕込みを進めていった。聞こえてくるのは何かを切り刻
む心地よいリズムと、鍋から聞こえてくる何かを煮ている音、何かを混ぜ合わせる音、何
かを焼いた時の音と調理音に満たされたキッチンは二人が演奏者となって次々に奏でられ
れていく。
 演奏が終わったのはそれからどのくらいの時間が経ったときだろうか。唯一分かるのは、
調理を開始したのが昼間だとしたら今はもう闇が辺りを支配している時間だということ。
「さて、吾輩の方が準備は整った。ラデル君は如何かな」
「はい。私も万全でございます。では、食堂に運びましょう」
 ラデルはワゴンを用意し、次々に料理を乗せて運んでいく。カラカラと車輪が回る音だ
けが響く廊下は静かといえば静かだが、不気味といえば不気味である。
「これを見た人間はどう思うだろうね」
「驚くだけでは……なさそうですね」
「ぬっふっふ。それは吾輩達が異界の住人だからかね」
「……もしかしたら、あの御方なら……」
「吾輩もその人物だと思ったよ。今度、お話を伺いたいものだ」
「その時も、このようにおもてなしを致しましょう」
「そりゃあもう、とびきりのスウィーツを用意してもてなそうではないか」
 談笑をしながらテーブルクロスを張り、銀食器、グラスを並べる。ロウソクを灯し、冷
えたワインのコルクを抜く。一部の隙の無い準備が整い、今回の主役であるジョヴァンニ
を迎える為、部屋へと向かう。扉をノックし、中の様子を伺う。
「ジョヴァンニ様。準備が整いました。……ジョヴァンニ様」
「返事がない……とな」
「もしかしたら、まだお休みなのかもしれませんね」
「でも、料理が冷めてしまう……仕方ない。中へ入るしかあるまい」
「……ジョヴァンニ様。失礼致します」
 ラデルは部屋の合鍵を鍵穴に差し込み、ひねる。カチリと心地よい音がし、ドアノブを
回すときいと音がして扉が開く。中を見ると枕を抱きかかえてぐっすりと眠っているジョ
ヴァンニがそこにいた。
「ジョヴァンニ君。起きたまえ」
 身体を揺すってみるも、口元をむにゅむにゅと動かすだけで起きる気配はなかった。少
し困った顔をしたガエタノはさっきより強く揺すってみた。
「起きたまえ。ジョヴァンニ君」
 首を左右に揺すってみたり、身体を揺すってみたりと色々と試したのだが、それでも起
きなかったらどうしようと考えていた時、ジョヴァンニが小さく呻いた。
「う……うぅん」
「ジョヴァンニ君。起きたまえ。ディナーの準備が整ったぞ」
「でぃ……ディナー……デスか」
「はい。腕によりをかけた料理をたくさんご用意させていただきました。食堂までお越し
ください」
「は……はぁい」
 力なく返事をすると、ベッドの端に腰を掛け大きく伸びをした。ぷるぷると身体を震わ
せた後は脱力をし、起きる準備を始めた。
「ようやくお目覚めかね。ジョヴァンニ君」
「なんか……久しぶりにぐっすり眠れまシタ」
「相当お疲れのご様子でしたからね。御無理言って申し訳ございません」
「いえいえ……。起きてすぐのディナーというのも中々贅沢デス」
 まだ少し眠たいのか、目をこすりながら食堂に移動するジョヴァンニ。ふらふらとした
足取りで食堂へ向かうのだが、途中階段で転んでしまいそうな場面にもラデルは冷静に対
処し、難を逃れた。少し時間はかかってしまったが、無事に主役を迎えることができ、こ
れから楽しい食事会の始まりである。
「では、ジョヴァンニ君。こちらへ」
 ガエタノが椅子を引き主役を招く。テーブルと椅子の隙間もちょうどよく、体格の良い
ジョヴァンニでもすんなり通ることができる幅だった。ジョヴァンニが腰を下ろすのと同
時にガエタノが静かに椅子を押す。これまた間隔もぴったりで丁度よい距離感だった。
「では、料理をお持ちいたします。少々お待ちください」
 ラデルは小さく会釈をし、食堂から一旦退室した。しばらくしてカラカラと車輪が回る
音が聞こえた後にノック音が聞こえた。
「大変お待たせいたしました。料理をお持ちいたしました」
「扉は吾輩が開けるから、ジョヴァンニ君はそのまま座っていたまえ」
 立ち上がろうとするジョヴァンニを制し、ガエタノがゆっくりと立ち上がり食堂の扉を
ゆっくりと開ける。
「失礼致します。本日はこのような形式でご用意させていただきました」
 ラデルがテーブルに置いたのは、大皿一枚だった。だが、その大皿の上には数多くの料
理が所狭しと並んでいた。
「お……おおおお……なんですかこれは……」
 数の多さと一つ一つの細かさに驚きを隠せないジョヴァンニは、目の前にある料理をし
ばらく凝視していた。これから自分の口に入るものだとわかっていても、なぜだろう……
これを食べてしまうのがすごく勿体ないと思ってしまう。
「こ……これを食べるなんて……酷デス」
「そんなこと仰らずに。これは目でも、もちろん召し上がっても楽しめるよう工夫を致し
ました」
ラデルがグラスによく冷えたワインを注ぎ、まずはみんなで軽く乾杯をした。一口ワイ
ンを含んだ所でジョヴァンニの目は女子のようにキラキラと光り、何から手を付けようか
迷った結果、目の前にあった小さなカップに手を伸ばした。
「これから頂きマス」
「どうぞ、召し上がってください」
 まるでデザートカップのような小さな器を持ち、崩してしまって申し訳ないと思いつつ
スプーンですくい一口。
「っ……!」
 表面は透明なゼリーと思った部分は濃縮されたチキンのうまみが、さらに中には小さく切られたサーモンとオニオン、それとあとから追いかけてやってくるレモンの酸っぱさが口の中で陽気に笑う。
「おお……なんという爽やかさでショウ」
「季節の夏を表現してみました。如何でしょう」
「すごいデス!すごいデス!じゃあ、こっちは」
 あどけない表情で次へと手を伸ばすジョヴァンニ。見たことのない容器に入っていてそ
れを二本の棒で食べるという話を聞かされた時は驚いたが、この料理を楽しむためと思っ
て二本の棒を慣れない手つきでさばく。
「ん……ぬ……な、中々難しいデス」
「異国の文化でこれを、箸と呼ぶそうです」
「は……箸。強敵デス」
 見慣れない容器に入っていたのは黒い液体に沈む茶色の細いものが沢山あり、上には白
くてネバネバしたものがあった。
「お……な、なんデスか。これは……新食感です!」
「これは、蕎麦という異国の料理でございます。お口に合いましたか」
「これ、美味しいデス!箸という棒を使うのは難しいデスが、これを使って食べた方が楽
しめマスね。んー、このネバネバした液体ものど越しがとても素晴らしいデス」
ずるずると音を立てて食べるのは本来マナー違反なのだが、この蕎麦は音を立てて食べ
ることによって風味を楽しめるという助言をもらってからというもの、ジョヴァンニは盛
大に音を立てて食べた。一口サイズの蕎麦なのだが、とても気に入った様子で蕎麦が入っ
た容器はあっという間になくなってしまった。
「おや、完食してしまったようだね」
「はぅー……面白い食べ物でシタ」
「まだまだたくさんあるので、心行くまでお楽しみください」
 新しくワインを注ぎ、ガエタノが軽く咳払いをした。
「おほん。それでは、これより晩餐会を始めよう。我々の友情に……乾杯」
 三人がグラスを軽く打ち付け、チンという音を立て晩餐会は始まった。ラデルとガエタ
ノは制作した側なので今回はあまり手を付けないのだが、ジョヴァンニがあまりにも美味
しそうに頬張る姿を見て、つい手が出てしまった。最初に手を付けたのはガエタノだった。
「ぬう……このミニピザ……アイデアも素晴らしいが味も最高だ」
「勿体ないお言葉でございます」
 ガエタノは小さな生地に集まる幻想的な世界に浸っていた。自分も盛り付けに参加はし
ていたのだが、その後のことまでは見ていなかったため、驚きは倍になっていた。
「こ、このピザ……それぞれ違う味があってとっても楽しいデス」
 口の周りの汚れも気にしないで頬張るジョヴァンニ。夢中になって食べている姿はまる
で子供のようだった。
(喜んでもらえているようで……作った甲斐がありますね)
そっとワインを注ぐラデルは心から感謝をした。あの御方も食事の時は目を輝かせながら
頬張り、一口食べるごとに驚いていたことを思い出し、なんだか懐かしい気持ちになった。
 半分以上平らげたジョヴァンニはお腹をさすりながら幸せのため息を漏らした。
「はぁ……とっても幸せデェス」
「ぬっふっふ……その幸せそうな顔、こちらも幸せな気持ちになるよ」
「お粗末様でした」
 口の周りの汚れを指摘しても応じないジョヴァンニは、ぐびりとワインを飲み干す。
「さて、ここからは吾輩の出番かな」
「ええ。頃合いですね。お持ちしてもよろしいでしょうか」
「吾輩も行こう。ジョヴァンニ君、すまないがここで少し待っててくれないか」
 二つ返事で了承したジョヴァンニを確認してから、ラデルとガエタノはキッチンにある
物を取りに行った。冷蔵庫で眠るそれをワゴンに移し、さらにジョヴァンニに喜んでもら
うためにカラカラとワゴンを押す。二人はジョヴァンニの幸せそうな笑顔を想像するだけ
で心がウキウキしているようで、度々顔を見合わせては微笑みあう。
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