第1話

文字数 1,973文字

 初めに発見したのは、部屋干ししていた洗濯物に張り付いた髪の毛だった。最近一人暮らしを始めた私の部屋は、まだ自分以外誰も入れたことがない。ところが、帰宅して取り込もうとした真っ白なTシャツに30センチほどの長い髪の毛がペタリとくっついていた。

 誰のものかサッパリ検討がつかなかった。私の髪の毛は短い方だ。周りにもそんな長い髪の人なんていただろうか。もしかしたら知らないうちにくっつけて帰ってきたのかもしれない。けれど、心当たりがない。私は人と接触するのが苦手だし、周りも私に触れる機会なんてほとんどない。

 次に発見したのは、玄関に並べたスリッパだった。私は家を出るとき、必ずスリッパの爪先を玄関のドアと反対に向ける。帰宅して靴を脱いだらすぐ履けるように、小さい頃から身に付けられた習慣だった。ところが、あるとき家に帰ってくるとスリッパの向きが逆になっていた。

 警戒した私は、家の中が荒らされてないか、なくなっているものがないか探してみたものの、それ以外はいつもと何も変わらない。気づかないうちに自分でスリッパの向きを変えてしまったんだろうか。けれど、今までこんなことは一度もなかった。私は家を出るとき、物の位置を確認してから靴を履くようになった。

 三度目に発見したのは、流しに置かれたペットボトルだった。その日は休日で、仕事疲れが溜まっていた私は、朝から一度も部屋を出ず、ベッドの上でゴロゴロしていた。昼過ぎにようやく体を起こし、何か作ろうと流しの前に立ったとき、中身をゆすいだ後のペットボトルが目に入った。

 前日がゴミの日で、ペットボトルは出したばかり。新しく飲み物を買った覚えもない。昨日出し忘れたやつかな……と思ったものの、形が今まで買ったことのないものだった。キャップもフィルムも剥がされていて、もともと何が入っていたかも分からない。気持ち悪くなって、私は外の自販機の横にあるゴミ箱へ捨ててしまった。

 四度目に発見したのは、止まっていたはずの時計だった。しばらく前に、壁掛け時計の針が動かなくなっていた。単純に電池が切れていて、新しく買うのが億劫だった私はそのままにしていた。たぶん2週間くらいほったらかしにしていたと思う。

 ある日、帰ってきた私の耳に、久しぶりに秒針の音が入ってきた。「あれ?」と思って壁を見ると、止まっていた時計が動き出している。しかも、正確な時を刻んでいた。私には、新しい電池を買って、はめ込んで、時間を合わせた記憶は一切なかった。

 恐る恐る時計を裏返すと、はめ込まれた電池にコイルのようなものが巻きついていた。よく見ると、それは以前Tシャツについていたのと同じ髪の毛だった。私はその時計もすぐ捨てに行った。何重にも重ねたビニール袋を硬く縛って、ゴミの日も無視してステーションに置いて行った。

 この部屋で、人の気配や誰かの視線を感じたことは一度もなかった。けれど、私が知らないうちに誰かが入ったという痕跡だけが残される。試しに留守の間、証拠が取れないかビデオを撮ってみることにした。けれど、後から再生すると、私が家を出たタイミングで録画がストップされている。誰かが終了を押したように。

 家を出る前は誰もいない。私が自分で試すときには、ビデオが勝手に止まることもない。さすがに一人じゃ解決できないと思った私は、管理人さんに問い合わせてみた。今までも、この部屋で変な体験をした人はいませんでした?……と。

 管理人さんは「そんなこと聞いたこともないし、気のせいじゃないですか?」と返してきた。もし本当に誰かが侵入した形跡があるなら、警察に届けるべきだとも。けれど、はっきりした証拠はなかったし、髪の毛のついた電池も時計ごと捨ててしまった。そもそも、何のためにこんなことされるかも分からなかった。

 ストーカーができる心当たりはなかったし、マンションで髪の毛の長い人なんてすれ違ったことさえない。職場も同じだった。存在しない人が私の近くにいるようで、気持ちが全く休まらない。誰かいるの?……なんて問いかけてみる度胸もない。私はただ、今の暮らしを続けていく他なかった。

 少なくとも自分が部屋にいる間は誰も侵入してこない。私がここから出なければ、誰かの痕跡も作られない……休みの日は極力家から出なくなった。そのせいで、髪の毛も伸ばしっぱなしになった。ちょっと不気味なほどみるみるうちに伸びていく。

 家を出るときも、玄関を開けた隙に何かが入ってしまうのを恐れて、履物を揃える余裕もなくなった。最近はよく眠れないから、大量のカフェインが入った謎の炭酸飲料をガブ飲みしてから仕事へ行く。ふと、久しぶりに鏡に映った自分の姿をまともに目にして、ようやく分かった。

 「ここにいた」
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