卒業式の幽霊

文字数 4,939文字

「あれっ、先客だ」
 突然の思いもよらぬ声に驚いて振り向くと、見知らぬ女子生徒が目を丸くして立っていた。
 僕は内心舌打ちをする。
 なんで、よりにもよってこんなタイミングで。
「あれっ、もしかして三年生ですか?」
 僕の胸元を見て彼女が言う。
 うちの学校は学年ごとにネクタイの挿し色が違うので、僕がここにいるべきでない生徒であることは一目瞭然だ。同様に、彼女のリボンは青色のラインが入っているので二年生だとわかる。
「君は?」
「私はアユカっていいます。それよりセンパイ、こんなとこにいていいんですか? もうすぐ卒業式始まるんじゃないですか?」
「君だって。二年生も全員参加のはずだろ」
 わざとぞんざいな言い方をしてみるが、彼女は気にする素振りもなく近づいてくる。
「やー、私ああいう場所って苦手で。退屈じゃないっすか」
「それを卒業生の前で言うかな……」
 まあ、その意見には大いに同意するが。
 僕だって卒業式という行事に価値を見出せない人間の一人だ。それでも僕以外の生徒たちにとって特別な日だということくらい分かる。だからこそ、こうしてここにいるわけで。
 しかしこのままでは計画が台無しになってしまう。
 なんとか彼女を追い返さなければ。
 とはいっても、後輩の女子生徒と話したことがないので、どんな風に話を運べばよいかわからない。彼女みたいに明るい、何の悩みも無さそうなタイプは苦手だし、何より——顔がタイプだった。
 なんて、これからしようとしていることに比べたらずいぶん悠長な悩みだけど。
黒髪ショートにくりっとした大きな目と、僕の好みにどストライクで、それだけであがってしまう。どこかで見たような気もするのだが……たぶんアイドルか何かだろう。
「それで、こんなとこで何してんですか? 卒業式サボるつもりですか?」
「君の方こそ屋上に何しに来たんだよ。立ち入り禁止だろ」
 すると彼女はぷっと噴き出した。
「それこそセンパイもじゃないですか。私は、時間潰そうと思って来ただけですよ。ここなら見つからないと思って」
「いや……ダメだって。早く戻れよ」
「嫌です」
 と、手すりから身を乗り出して下を覗き込む。
「ひゃー、高い。へえ、こっちは体育館のすぐ前なんですね」
 駄目だ、何を言ったところで聞いてくれそうにない。
 こうなったら力ずくで……
 と、校舎内へ続く扉を振り返ったところで、僕は気付いた。
 彼女は、どうやって入ってきたんだ?
 確かに僕は扉に鍵をかけたはずだ。リスクを冒して職員室に忍び込み、鍵の型取りをして、ようやく手に入れた合鍵で。
 まさか彼女も合鍵を? それとも、今は教師が出払っているだろうから、職員室からくすねてきたのだろうか。
「鍵、開いてましたよ」
 僕の思考を見透かしているかのように彼女が言った。
「いや、そんなはずは」
「まあまあ、いいじゃないですか。そんなことより、センパイもサボるなら雑談にでも付き合ってくださいよ。どうせ暇なんでしょ」
 こいつ……上級生への敬意が足りてないんじゃないのか。
「そうだなあ。じゃあせっかくだから、この屋上にまつわる話でも」
「屋上? なんだよ」
 面倒なので早く話を終わらせようと先を急かす。
「えっとー、ほら、あそこに花が置いてあるじゃないですか」
 そう言って彼女が指さした先に、確かにそれはあった。種類はわからないが、黄色い花が束ねられて手すりの下に置かれている。
 屋上の花束。その意味するところは一つしかない。
「誰か、飛び降りたのか?」
「正解です。四年か五年くらい前らしいんですけど、イジメを苦にした二年生の女子生徒が飛び降りて、亡くなったみたいですよ。ひどい話ですよね」
「……ああ」
 自分の顔が引きつるのがわかる。
「話は終わりか? なら——」
「まだまだ、話はこれからですよ。その事件が起こってからですね、ある噂がまことしやかに囁かれるようになったんです」
「噂?」
 嫌な予感がする。
「なんとですね。夜な夜な、この屋上に死んだ女子生徒の幽霊が出るんですって!」
「やっぱりか。くだらない」
「くだらないとは失礼な! てゆーか結構メジャーな噂なんですけど、知らないってことはセンパイってもしかしてぼっちですか? あ、その反応は図星ですね」
 くそ、何で最後の最後になって、初対面の後輩女子に馬鹿にされなきゃいけないんだ。
 いっそこのまま目の前で計画実行してやろうかと地面を睨みつける——と、そこである事に気付く。
 彼女は、上履きを履いていなかった。
 白い靴下だから気付かなかったが……わざわざ脱いだのだろうか。靴下が汚れてしまうと思うのだが。
「ん? どうしました、私の足をまじまじと見つめて」
「いや、その、靴は?」
「上履きは無いんです」
 短く、そう答えた。
「あれ、そういうセンパイこそ上履き履いてないじゃないですか。まさかセンパイも飛び降りようとしてたとか? 飛び降りる時って靴脱ぎたくなりますもんねー」
「いやこれは……」
 イジメにあって隠された、なんて馬鹿正直に答えたくはない。
 ここのところは無かったのだが、まさか卒業式当日に隠してくるとは、僕をイジメてる連中も相当だ。
 そんな奴らの卒業式なんて、めちゃくちゃにされて当然だろう。
 晴れの卒業式の真っ最中に、体育館のすぐ外で飛び降り自殺が起こったら、間違いなく式は中止、会場は悲鳴と混乱で充たされるだろう。テレビでも大々的に取り上げられるはずだ。机に入れておいた遺書に名前の載っている奴らは周りから白い目で見られ、一生負い目を感じながら生きていくことになる。
 これが僕の復讐。
 このくそったれな世界からの卒業式だ。
 そのために何か月も前から計画を立てた。どうせなら童貞を捨ててから死にたいなんて思ったりもしたけど、どうせ死ぬのだと考えると馬鹿らしくなった。
 いざ飛ぶときに怖くなるのではという懸念があったが、ここから地上を見下ろしてみても、驚くほど恐怖を感じなかった。
 かくして計画の成功を確信した——直後、邪魔が入ったのだった。
「あー、私も飛び降りちゃおっかなー!」
 突然、彼女がそんなことを言い出した。
「あと一年も退屈な毎日を繰り返して、高校が終わったらさらに退屈な大人の世界が待ってるわけでしょ? 未来に希望が持てないなら今死んじゃうのも手ですよね」
「……適当なこと言うなよ」
 そんな軽い気持ちで。僕なんかよりよっぽどマシな人生のくせに。
「私は本気ですよ?」
 ——低く押し殺したような声。
 背中に冷たいものが走る。
 待て。
 さっき彼女はなんと言った?
 “飛び降りる時は靴を脱ぎたくなる”——そう言わなかったか?
 まるで他人事ではなく、自分が経験したことのように。実際に飛び降りたことがあるかのように。
 女子生徒。二年生。飛び降り自殺。幽霊。
 鍵のかかった扉を通り抜けてきた彼女。上履きを履いていない。
 まさか——いや、バカな。くだらない。それに今は昼だし……って、それじゃあ彼女の話を信じることになる。
 鳥肌が治まらない。
 なんで僕は、今になってこんなに恐怖を感じているんだ。
「セーンパイ」
 これまでとは打って変わった蠱惑(こわく)的な笑みを浮かべて、彼女が僕の手を握った。
 とても冷たい手だった。
「ひっ」
「どーしたんですかセンパイ。ほら、あっち行きましょう」
 僕の腕を引っ張り、屋上の反対側に行こうとする。
「な、なんで」
「だって、こっちには手すりがあるでしょ?」
 彼女が向かっている先には、この広い屋上の中で一箇所だけ手すりが設置されていない空間があった。縁が段差になっており、その先に阻むものは何もない。
「や、やめてくれ!」
 必死に手を振り払おうとするが、腰が砕けてしまっていて上手くいかない。逆に、強く引っ張られてバランスを崩した僕は、あっという間に段差の前まで来てしまっていた。
 この娘は、何年も前に飛び降りて死んだ幽霊で。
 成仏もできず、ずっとこんな場所で、独りで。
 誰かを引きずり込むために。
 僕を。
 僕は死ぬのなんか怖くない。
 でもそっちは、違う。
 体育館の前で、あいつらに見せつけるように死んでやらないと意味が——
 どうせ死ぬのなら——
 死——
 なんで、こんなに——
 死ぬのが怖いんだ。
「一緒に羽ばたきましょう、センパイ」
「う、わああああああーーっっ!!!」
 段差につまづいた僕は、そのまま彼女に覆いかぶさるように。
 身体が宙に投げ出され。
 浮遊感。
 視界がぐるりと回転し。
 衝撃。
 暗転————

***

「おい、起きろ!」
 目を開けると、そこは非常階段の踊り場だった。僕の頬をぺちぺちと叩いているのはクラスの担任だ。
「こんなとこで何寝てるんだ! 今日がどういう日だかわかってるのか!? お前のせいでクラスの皆が迷惑してるんだぞ!」
 かなりの剣幕で怒鳴られているが、こちらはまだ状況が掴めていない。
 確かに僕は、あの幽霊に手を引かれて屋上から落ちたはずだ。
 と、そこで気付いた。
 僕が寝ている踊り場の壁は高さが一メートルほどしかなく、その向こうに先ほどまでいた屋上の景色が広がっていた。壁の部分だけ段差のため低くなっており、屋上からこの場所に降りられるようになっている。両脇には手すりが設置されているのが見えた。
 これって……ただの通用口?
 じゃあ、さっきの幽霊は?
「おい、聞いてるのか! ったく、たまたま他の生徒が見つけたからいいようなものの……説教は後だ、もう式が始まるから急いで来い!」
 教師に連れられるまま体育館へと歩いていく最中、僕は気付いた。自分が少しサイズの小さい上履きを履いているということに。

***

「最後になりましたが、〇〇高校のさらなる発展と飛躍を心からお祈りし、卒業生を代表して答辞とさせていただきます」
 体育館に響き渡る拍手をぼんやりと聞き流しながら、僕は先ほどの不思議な体験について思いを巡らせていた。
 この窮屈な上履きはあの女子生徒が履かせてくれたのだろう。
 彼女自身も履いていなかったが、あれは自分を幽霊だと思わせるための細工だった。
 一体どうして、とか、誰なのか、という疑問は残るけど、正直今はどうでもよかった。
 晴れ晴れとした気分だ。
 さっきまで死のうとしていたのが嘘のように。
 死をリアルに実感したからかもしれない。
 学校生活は最低だったし、未来が明るいとも思えないのは変わらないけど、それを悲観する気持ちが霧消していた。
 一度死んだのだ。怖いものなどもう何もない。
 そう思った時、僕は初めて自分が“卒業”したのだと実感できた。
「えー、続きまして、在校生送辞。在校生代表、羽川(はねかわ)歩花(あゆか)
 はいっ、という元気な声とともに、在校生席から一人の女子生徒が壇上に上がると、館内がにわかにざわつき、周りの生徒の(はや)し立てるような声が耳に入ってきた。
「あれ、生徒会長、靴履いてなくね?」
「マジだ。いいのかアレ?」
 僕の目は、彼女に釘付けになっていた。
「皆さん、ご卒業おめでとうございます。在校生を代表し、心よりお祝い申し上げます。卒業生の皆さんとの思い出を振り返ってみると——」
 そうか。
 どこかで見た顔だと思ったら。
 僕のことをどこかから見つけて、あんな演技をして。
 こんな大舞台で、笑われることもわかってるのに、僕に靴を。
 壇上の幽霊は、凛とした表情と声色で、送辞を淀みなく読み上げていた。
「広大な大空へと羽ばたく鳥のように、先輩方がどんな困難も乗り越えて輝かしい未来へと飛翔されることを、心より期待しています」

***

 余談であるが、フライングハイで怖いものなしの僕は卒業式が終わった後、その勢いのままに彼女に告白して盛大にフラれた。

「僕を童貞から卒業させてください!」
「やっぱ死んだ方がいいっすよ、センパイ」
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