第1話

文字数 6,888文字

 ススキサン商店の怪 ~2022年~
                第六文芸


 冬の夜。
 もうすぐ日付も変わろうという頃。
 星の瞬く寒空を見上げながら如月は土手の道を歩いていた。彼女は季節外れのショートパンツを履いて脚線美をさらし、逆に上はパーカーにマフラーを巻いて完全防御、髪の間から突き出したけものの耳はシャンとさせつつ、手はパーカーのポケットに突っ込んで歩いていた。
「あーあ、雪でも降りゃあいいのに」
 彼女は犬の妖怪だ。だから、雪の滅多に降らないこの都会は、ただ寒いばかりでつまらない。
 そんな彼女の隣で、白い目をする少女がいた。背格好はどう見ても小学生、けれどセーラー服を着た上から綿毛のようにふわふわのショートコートを羽織り、両手はそこのポケットに突っ込んで、ただの小学生の雰囲気ではない。特徴的なのは、下が袴履きだということだ。
「雪なんて降ったら会社から出れないし、おでんが食べにいけない」
 寒さに負けて舌っ足らずに言う。そこにピュウと風が吹いてきて、頭の上の耳がパタンと倒れ、ポケットに突っ込んだ両手が何かをギュッと握った。
 彼女は鈴音、今は訳あって妖狐の地位で生きているが、実は猫の妖怪だった。
 おでんの話が出て、如月は冷やかしの目をした。
「どうだった、今日のおでん」
「大根最高」
「相変わらずのベジタリアンだね」
「如月は、タマゴとちくわぶばっかだった」
「犬だからね。野菜なんてもってのほか。練り物だって苦手だぜ。……って、おまえも猫なのに、何で大根なんだ?」
「……好きだから」
 鈴音は頬をこっそり染めて答えた。
 如月はからかいの目になった。
「いいねー、アツアツの大根一個でおなかいっぱいなんなんて。それとも彼が作ったものなら猫の矜恃も捨てられちゃうって…」
「あ……」
 言葉の続きは、鈴音が急に立ち止まったので中途半端になった。
 鈴音の視線を辿っていくと、土手の道の先、大きな枯れ木の下で、川と反対側、街を見渡す側の斜面に腰を下ろす人影があった。
「誰だ、あれ」
「………」
 鈴音は耳をピクッとさせた。
 如月は、ポケットの中で拳を握ると唸った。
「あいつ、やばそう。そんなにおいがする」
「……そうかな」
 鈴音は首を傾げると、足音を潜めて歩き出した。
「ちょ、ちょいまて、あいつ、絶対やばいって……」
 如月は小声で引き留めようとするが、鈴音は言うことを聞かなかった。

 土手にいたのは、スカートがやたらと長いセーラー服を着た少女だった。ぼんやりと街のどこかに目をやっている。
 鈴音は足音を忍ばせて近づいていく。けれど、あと数歩というところで相手はアンニュイにまばたき一つ、鈴音を振り向いた。
「……気づいた」
 鈴音は正直に驚いてみせる。忍び足には寝首を掻けるほど自信があったのだ。
 相手は、鈴音が幼い子だと見てか、ふ…とやさしい眼をすると小さく会釈をした。長い髪をアイドル風に膨らませ、ルージュを引いた顔は、高校生にしても大人びて見えた。その姿は、80年代風……。一点、変わっている点は、額に卑弥呼チックな金の飾りをつけていることだった。
 鈴音は立ち止まると、後ろを振り返った。
 如月は二十メートル以上も手前で突っ立っていた。普通に話しても聞こえない距離だ。鈴音は、白く息を吐きながら大声で呼んだ。
「絶滅危惧種! スケバンが居る!」
 その言葉を聞くなり、如月がバッ!と全速力で駆けつけてきた! そして鈴音を片手で抱えるともう一方の手では口を塞いだ。
「す、すいやせんねぇ、姐さん。ここここ、この子まだ見たとおりの子どもでしてぇ……!」
 のっけからへりくだる。それとは関係なく、子どもと言われて鈴音はクワッ!と口を開くと…
 カプッ!
「痛てェ! バカ、かみつくんじゃねぇ!」
 如月は、押さえた手に小さな牙を立てられて、たまらず痛みを振り払う。
 鈴音は開いた口で言った。
「キィちゃん」
「あ?……くっそ痛てぇ」
「痛いのはいいから」
「いくねぇよ」
「聞いて」
「あ、なんだよ?」
「葉桜の頃、噂、覚えてる?」
「葉桜の頃……?」
 如月は首をひねる。虚空を見て、ハッと目をスケバンに向けた。そしてゴクリとツバを飲むと、片足をジリリと引いた。
「今時スケバン、額にゴールドチェーン……。こ、この人って、まさか……」
「そう」
 鈴音は騎馬命を振りかえると、高らかにコールした!
「極悪非道、地獄の第三処刑人、マッドマックス・キバーメー…!」
 鈴音は淡々とリングコールするが、その手は小さく握られていた。
 スケバンは目を丸くする。
 如月は真っ青になり、パッと鈴音の口を塞ごうとして、再び小さな牙との攻防を繰り広げた。
 そう。
 今、土手にいたのは、地獄の三丁目の小閻魔、騎馬命だった。彼女は、小競り合いをするふたりにプッと吹き出すと、
「あんたら、犬と猫のクセに、仲がいいんだな」
といいながら立ち上がった。スカートをはたきつつ微笑ましい目を向ける。
「あたしは小閻魔騎馬命。どうやらこないだは、騒がしくしちまったみたいだな。すまなかったねぇ」
 ニッカと笑う。その拍子に、唇の合間から尖った歯がチラッと見え、如月は白目を剥いて凍り付いた。
 鈴音は如月の腕から抜け出した。そして両手を腰につき、威厳を持って騎馬命を見上げた。
「あたし…じゃなかった…、ワシはススキサン商店の社長兼地域の稲荷だ」
「社長で稲荷?」
 胸を張る鈴音を、騎馬命は面白そうに見た。
「猫妖怪…だよな?」
「ワシは狐だから」
「あ?」
「先代妖狐の後を継いだ。だから狐だ」
「へえ?」
「そして社長にして稲荷だ」
「なるほどねー」
 話半分に聞きながら、改めて姿を見ると……
「セーラー服でも、袴を合わせると、それっぽく見えるねぇ」
「それっぽくとは、なんだ」
「あ、巫女っぽく見えるって事」
「巫女じゃない! 先代妖狐は稲荷の神であったゆえ、ワシも神だ!」
「へえ、かわいい神様だねぇ」
 鈴音は口を尖らせる。その頭を「よしよし」と言いながら騎馬命が撫でる。鈴音は子ども扱いされてムゥッとしていたが、騎馬命の小指が耳に触れると口をへの字にした。
「冷たい」
「ん?」
「指。冷たい」
「あ、ああ、ごめんごめん!」
 騎馬命は慌てて手を引くと頭を掻いた。
 猫は耳を触られるのを嫌うのだ。
 そこに如月が慇懃無礼に口を挟んできた。
「で? 地獄の姐さんが一体なんのご用で?」
 手でごますりする勢いだ。
 鈴音は冷ややかに振り向いた。
 騎馬命も引き気味に応えた。
「野暮用さ。あたしの同僚が推しのカウントダウンライブに行きたいって言い出してね、乗ってきた舟の番を任されててんのさ」
 そう言って川をふり返る。
 如月が目をこらすと、一艘のゴンドラが岸辺に係留されていた。
「へぇ、あの舟に乗ってきたんですかい?」
「まあね。ああ見えても、三途の渡し船なんだぜ」
「さ、さ、…三途の川の…ってことですかい?」
「あたしら、【あの世】の存在だからさ。川、渡んねぇと、こっちに来れないのよ」
「へ…へえ……って事は、あの舟に乗ったら【あの世】行き…」
 如月はブルッ!と震え、完全に尻尾を腿の間に挟み込んで騎馬命の事をさも恐ろしげに見上げた。
 その怯えきった様子に鈴音は小首をかしげた。
(キィちゃんが、こんな負け犬になるなんて、小閻魔とはそんなにすごいヤツなのか?)
 そして膨れ上がる疑問に面と向かってたずねた。
「ワシが噂で聞いたのは、閻魔の一族騎馬命が地縛霊になりかけた女の子を守るために、朝風と戦ったという話。あの朝、この千年黄桜には鮮血の花が咲き乱れ、それが炎となって舞い上がり、吹きすさび、その後は閻魔も霊も消えていたっていう話。これ、ほんとうなの?」
「鮮血ね…」騎馬命は苦笑した。「まあ、大体あってるかな」
「どこが違うの?」
「どこって言われてもなぁ…」
「じゃあ、霊はどうしたの? 地縛霊? 悪霊? それとも消えた?」
「悪霊にはなってねぇし、悪さもしてねぇよ。あたしが、少し時間を与えているだけだから。用が済みゃぁ、地獄に戻ってくるさ」
 そう言って街を振り返った。その目が、高層団地の窓の一つを見つめる。
「………」
 黙って見やる横顔は、穏やかだ。
「とても…」鈴音は言った。「ここらの妖怪を震え上がらせた人には見えない」
「? あたしのことかい?」
「そう」
「………」
 騎馬命は振り向かず吐息をついた。それが自分でもそう思うくらいに深く、息も目立って白く、騎馬命は両手を口元に持っていくと、二つ目をハア…と手のひらに当ててごまかした。一方では、決然とした言葉を横顔で聞かせていた。
「安心しな。誰にも迷惑はかけねぇ……」
 その言葉の端に厳しさを聞き取って如月が震え上がる。
 鈴音は黙って見上げていたが、二度、騎馬命が手に息を当てるのを見ると言った。
「これ、飲め」
「?」
 騎馬命が振り向くと、鈴音はコートのポケットから手を出して、ずっと握っていたものを差し上げていた。それは、青い色の缶飲料だった。
「やる。飲め」
「甘酒?」
「子どもなんで」
「子ども……ねぇ」騎馬命は苦笑いをする。「あんた、あたしより年上じゃないか」
 実は見抜いていた。それを冷やかして言うが、鈴音の目はまっすぐに騎馬命を見上げている。意外にも、子どものように純粋な目だ。騎馬命は瞬き二つ、失礼な笑いを飲み込むと、その小さな缶をありがたく受け取った。
「せっかくだから、座っていただくかな」
「じゃ、ワシも」
 鈴音がもう一方のポケットから、同じ甘酒を取り出す。
 騎馬命は枯木の根元に背を持たれて足を投げ出し、その隣に鈴音も腰を下ろした。如月だけは、一刻も早くここを立ち去りたいのに鈴音が騎馬命から離れないものだからオロオロだ。
 騎馬命は甘酒の缶を開ける前にと頬に当てた。
 そのまねを鈴音もやって、残念そうに言った。
「…ぬるくなってる」
 ポケットの中で手を温めた分、缶の温度は冷えてしまっていたのだ。すまない気持ちで騎馬命を見ようとしたとき…。
「あっ…」
 騎馬命が鈴音の頬と手の間から甘酒の缶を摘まんで抜いた。そして、大きな手で自分の缶と一緒にして持つと、セーラー服の胸元を摘まみ開けて、服と肌の間に突っ込んだ。騎馬命はなんでもそこに突っ込むクセがある。
「あっためてやンよ」
「そこ……白金カイロでも入れてる?」
「は? ははは!」
 鈴音の口から飛び出した言葉に騎馬命は思わず声を上げて笑う。如月はビクゥ!と飛び上がったが、鈴音はきょとんとしている。
 騎馬命は笑いを飲み込むと言った。
「すまないすまない、白金カイロなんて、もうどんだけぶりに聞いたかなって思ってさ」
「白金カイロ。あれ、大好き」
「そうかいそうかい、確かにあれ、あったかいよな」
「猫必携基本アイテム」
「そうそう、猫だった」
「あ」鈴音はうっかりと慌てた。「狐。狐だった」
「どっちでもいいよ」
 騎馬命はカッカと笑うと、突然。
 ガバッ!
「わ!」
 右腕で鈴音の事を自分の体に抱き寄せた。
 慌てて逃げだそうとするが騎馬命は許さない。それに、太い腕にはどうやっても敵いそうにない。グッと抱き寄せられて、鈴音の頬は、たっぷりと膨らんだ騎馬命の胸に横から押しつけられた。
「一緒にあっためてやンよ」
 鈴音は思わず声を上げた。
「わぁ……あったかい…!」
「だろ? あたしの中には地獄の炎が宿ってるからね」
「地獄の?」
「後悔も悲しみも罪も憎しみも、…綯い交ぜになった炎さ」
 騎馬命は達観したように言う。けれど、胸を通して聞くその声には、綯い交ぜになってゴウゴウと燃えさかる炎というよりは、炭が音もなく揺らめいているかのような、言葉などでは表しきることのできない熱源が感じられた。
 鈴音は、胸から頬を離せなくなりながら、上目で騎馬命を見た。
「どうしてやさしくしてくれるの?」
「やさしい? ……ああ、そうだなあ、こんな寒い夜だから…かな」
「冬の夜は寒いものだよ」
「ひとりでいると、ほんと寒い。そこにあんたが通りがかった。それだけのことさ」
「それだけ?」
「いや。甘酒のお礼もある」
「…そ。さみしいのかと…思ったけど……」
 短い会話をしている間に、鈴音は騎馬命の放つ体温に抗えなくなってきた。猫が自然と温かいところを求めるように、大柄な騎馬命の体にしがみついていく。
(ほんとに……あったかい……)
 目がとろんとなる。体からだんだん力も抜ける。だが、眠ってはいけない。なんとか踏みとどまって、この圧倒的な暖かさの正体を探らなければ…と、ぼんやりとした目で騎馬命を見上げた。
 すると、騎馬命は素知らぬふりで視線を避け、顔を背けると、そばで突っ立っている如月を振り仰いだ。
「あんたも一緒にあっためてやンよ。ここ、座んな」
「え……でで、でも……」
「大丈夫。閻魔は妖怪狩りはしない。地獄に連れてくこともしねぇよ。あそこは人間のための場所だからさ」
「そ……そうですかい?」
「そうだよ。だからその、へんちくりんな敬語もやめてくれ。あたしもあんたも立場は同じ、ただの霊魂だろ」
「………」
 騎馬命は笑顔で誘っている。そして、その目に嘘は感じられない。手も、左隣の枯れ草をトントンと叩いている。如月は、おずおずと腰を下ろし、途端、ショートパンツの後ろポケットに異物を感じて腰をひねった。
 取ってみると、それはスキットルだった。ステンレスの薄型の水筒で、酒飲みの必携アイテムだ。大きいものではないが、如月はいつも持ち歩いている。
「いかしたもん持ってるね。ウイスキー? ジン?」
 騎馬命がめざとく言った。
 如月はハッと赤くなった。……と、その時。
 ガバッ!
 突然背中に腕を回されて抱き寄せられた! 同時にスキットルが手から抜き取られ、セーラー服の胸元に飲み込まれていった。
「あ、わわ」
 鈴音の時と同じだ! 頬をやわらかな胸に押しつけられながらワタワタとあわてる。
 騎馬命はグッと押さえ込んで逃がさない。それどころか、腑抜けにしようとでもするように、如月のとんがった耳に唇を寄せて聞いた。
「で? ウイスキー? ジン?」
「え…と」
「うん?」
「高清水」
「日本酒かい!」
「あたい、柴犬だったんで」
 如月は恥ずかしそうに顔を伏せる。すると、風に吹きっさらされていた頬に大きな手が添えられ、少し強く胸に頬を押しつけられた。
「あたしも日本酒党だぜ。まあ、別に、なんでも飲むけどよ。
 高清水、ちょうどいいくらいにお燗してやっから、後で一口、味わわせてくれな」
 その言葉にはやさしさが感じられた。だが、それ以上に、胸から頬に伝わってくる声には、如月の心に沈んだものを慰めてくれる響きがあった。
(あったかいな……)
 如月は、胸で思った。人の肌にそんなことを思ったのは、一体どれくらいぶりだろう……
 柴犬の、緊張していた尻尾が地面にパタリと降りた。それを見て、騎馬命は静かに微笑んだ。
 右に抱えた鈴音を見ると、騎馬命の体にぴったりと寄り添ってウトウトしている。それを見守っていると、左に抱えた方からクゥ…と甘えた声が聞こえた。
「ああ……あったかい……」
 如月は、何か思い出にでも浸っているのか嬉しそうな顔をして、自然な仕草で騎馬命にしなだれかかってきた。
「……地獄の炎も、たまには役に立つな」
 騎馬命は独り言をしたが、もうふたりは聞き留めていない。騎馬命は、鈴音と如月、ふたりの背中をそっと抱き留めながら、遠く、団地の窓辺を見やった。
「………」
 見ていると、あの部屋の窓から、フッと明かりが消えた。いや、消えはしたが、あたたかみは消えなかった。
「…がんばれよ…」
 たとえ生きる道は分かれてしまっても、今、ふたりは幸せに違いない。
 騎馬命は、自分を偽らなかった自分のことを、少し誇りに思った。
 けれど、こんな寒い夜にひとりでいると、物思いにふけってしまう。
「さみしい…か」
 猫妖怪に他意は無いのかもしれない。けれどその言葉を聞いたとき、騎馬命の胸は、確かに震えた。
 孤独を感じていなかったと言えば、嘘になる。
 だから、甘酒の一杯が嬉しくて舞い上がったのだろうか。そのうれしさが、さみしさを裏返しにして、とにかく誰かに優しくしたくなった……のだろうか。
「まあ…、なんでもいいけど…よ」
 騎馬命は幸せそうな寝息を聞かされながら、ふと目を伏して笑みをこぼしていた。

 寒い夜……。
 惹かれ合う魂に、理由なんて、ない。

             終


***   あとがき   ***

 去年に引き続き、年の瀬に寒い冬の夜の話を考えてみました。
 登場人物は
・【ススキサン商店の怪】から鈴音と如月
・【閻魔の小娘】から小閻魔騎馬命
でした。スピンオフストーリーというか、セルフ二次創作(?)というか、そんな感じの掌編です。どの登場人物も知らない!と言う方は、ぜひ本編を読んでみてくださいね!
(【ススキサン商店】の原作は別サイトにあるので、いつか上げなおします)

さて、いよいよ年の瀬です。
2022年ありがとうございました!
2023年も宜しくお願い致します!
寒い年の瀬ですが、良いお年をお迎えください!

第六文芸 ダイロク


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