狛犬様の押しかけ後妻(改訂)

文字数 16,649文字

 「姐さん!!コマキ姐さんっ!!」
「……あいつら…は……?」
「死んだ!!コマキ姐さんが勝ったよっ!!だからしっかりっ!!」
「そうかい……アンタは無事か……い?」
「うん……うん!!大丈夫……っ、コマキ姐さんが守ってくれたから……っ!!チビたちも無事だよっ!!」
「そう……なら、悪いんだけど……後は、頼める……かい?」
「コマキ姐さん!ヤダっ!!駄目だよっ!!」
「泣くんじゃないよ……ありがとね……アンタが……チビたちを……。」
「やだやだやだっ!ダメっ!!姐さんっ!!まだ教えて貰う事が沢山あるのに……!!」
「フフフ……人の子を……弟子にするなんざ……ただのお遊びのつもりだったんだけどね……アンタがアタシの弟子で良かった……。愛してるよ……義妹……アンタはアタシの……真の…………。」
「……姐さん?!姐さんっ?!やだ!姐さんっ!!逝かないでっ!!チビたちはどうするのっ?!……ノグレ兄さんを置いていってはダメっ!!対が欠けたら……っ!!」















 「コマチ!!そっちに行ったっ!!」
「任せて!」
「ごめん!!姐さん!少し逃した!!」
「大丈夫!あたしが仕留める!!」

そう言って私は槍を構えて闇雲母の核を突き刺した。コマチもコマチで仕留めたようだ。

「おお~い、今回のは仕留め終わったぞ~。」

そう言ってコマキ姐さんの父上であるユク様がクタクタになりながら獲物を咥えてやってきた。私は雲母の破片から槍を抜き去り、ユク様に近づく。

「お疲れ様です!ユク様!!お怪我はありませんか?!」
「すまぬなぁ~。怪我はないのだが……。歳には勝てんよ、全く……。」
「すみません、ユク様……。私が至らぬばかりに……。」
「なに、お前さんは人の身ながら、よくやってくれとるよ。」

 あの日、コマキ姐さんが死んだ日。
姉さんの対だったノグレ兄さんは姿を消した。

 血まみれになりながら何とか仕留めてきたヨクヤミ本体を口から落とし、力尽きた姐さんをしばらく見つめた後、怒りで全身の毛を逆立ててどこかに行ってしまった。落ち着けば帰ってくるかと思ったが、ノグレ兄さんは戻らなかった。元々兄さんは流れの狛犬だったから、対である姐さんを失ってこの島には居辛かったのかもしれない。
 私はその後、姐さんと一緒に小さいヨクヤミと闇雲母の大群から守った幼いコマチとシグレを連れて、ユク様の所に行った。
 ユク様は代々この島を守る狛犬様のお一人だ。ユク様の対だったコギク様が亡くなられた事、娘のコマキ姐さんがノグレ兄さんを対とした事で、島守りの座を二人に譲って隠居されていたのだ。
 だが当時の島守りであるコマキ姐さんが倒れ、ノグレ兄さんが去ってしまったとなれば、この島を守る狛犬がいなくなってしまう。コマチとシグレはまだその役目を果たすには幼すぎた。ユク様も流石にこれには困り果ててしまったのだが、私はその時、コマキ姐さんから真の妹として力を受け継いでいたのだ。
 人の子が聖獣である狛犬の真の妹、つまり真の後継者になるなど前代未聞の話だった。だがしのご言っていられる状況ではない。守りのなくなった島は、闇雲母に喰われる。そうなったら島も、島で生活する全ての生き物が息絶える。ユク様も悩まれたが他に道はなく、ユク様と私で臨時的に狛犬の対として島守りを行い、コマチとシグレがサポートに入る事でいずれはその役割が果たせるようにする事になった。

 あれから2年。
何とか島は守ってきた。
 コマチとシグレもだいぶ動けるようになった。だがまだ、ヨクヤミ本体と相対する程の能力も度胸もない。ユク様は人の子である私に気を使い、ヨクヤミ本体はお一人で相手をされる。元々狛犬の対は、片方がヨクヤミ本体、片方が闇雲母を払うのだから気にしなくて良いと言ってくれるが、お年の事も気になるし、コマチとシグレにもそろそろ二人だけで闇雲母の対応を任せても良いと思うのだ。私がいると、どこかに私に甘える部分を残してしまう。今のところあの時のように、本腰で島を奪おうと大量の闇雲母と巨大なヨクヤミ本体が来る事はないが、それだって明日起きてもおかしくないのだ。

 ノグレ兄さんはどこに行ってしまったのだろう?

 一度も口には出さないが、ずっと考えている事。ノグレ兄さんがいてくれたらどんなに良かっただろう?誰よりも大きくて雄々しく、そして強かったノグレ兄さん。その姿は恐ろしくもあり、とても神々しかった。

 あの日の闇雲母の襲撃。

確かにコマキ姐さんを死なせてしまったが、この島にあの規模の闇雲母が襲撃してきたのだ。空を見た時ここに住む全ての生き物は皆、生きる事を諦めた。例えどんなに強い島守りがいたとしても、絶対に防ぐ事など出来ない規模の襲撃だったのだ。
 年に1度ほど、どこかの島がそう言った襲撃を受けて消えていく。それは俗に「死の漆黒の襲来」と呼ばれる。死の漆黒が襲来したら、どんなに優れた島守りがいようと島は助からない。そう言われていた。だから私達も気持ちのどこかで諦めたのだ。
 だが、ここにはノグレ兄さんがいた。ノグレ兄さんは死の漆黒が襲来しても、その無限とも思える闇雲母の大群を見ても諦めなかった。諦めないどころか今まで見た事もない程、強い力を発して私達の諦めを吹き飛ばしてくれた。そして果敢に迎え撃った。ノグレ兄さんが闇雲母の中からヨクヤミ本体を引きずり出して来た時は歓声が上がった。皆が武器を取り、コマキ姐さんと共に落ちてくる闇雲母と戦った。犠牲者はたくさん出た。土地も森も水も穢をたくさん受けた。そして狛犬であるコマキ姐さんも死んだ。
 でもそれでも、あの闇雲母の大群の襲撃を受けながら島は生き残ったのだ。この話はすぐにあちこちの島に伝わった。死の漆黒の襲来から生き残った島があると…。
 いく柱の島守り様が島を訪ねてきた。それは狛犬だけでなく、御狐様や鹿神様、守護鳥様にも及んだ。だが、私達に答えられる事は少なかった。何故ならそれを成し遂げたノグレ兄さんはここにはいなかったからだ。
 ただ、そんな島守り様の訪問でノグレ兄さんの面影を聞く事ができた。

「……四足の獣……ですか?」
「ああ……。大きな獣だ。とても強い。」
「そうですか……。」
「あの様な者は見た事がない。」

別の聖獣様はこう言った。

「あれはどこからともなく突然現れた。とてつもなく巨大な憤怒を纏っておったよ……。」
「…………。」
「あまりにそれが強すぎて、聖獣と呼んで良いのかすら我にはわからなかった……。」
「…………。」

 時折、闇雲母が現れると、どこからともなく巨大な憤怒をまとった四足の獣がヨクヤミ本体を引きずり出して拐っていくと言う。それが現れた時は統率を失って落ちてくる闇雲母を潰せば済むので助かるが、それが何者で何の為にヨクヤミ本体を連れ去っているのかわからないと皆、言っていた。

「あの大きさと強さから考えて、名のある聖獣に違いないのだが……。」
「あぁ……、あれはそんじょそこらの聖獣ではない……。」
「今いる我らとは別格と言っても良い程にな……。」
「あれ程の強さとなると、古き神々の末裔かその直属の神使だったのではないかとすら思える…。」
「それは流石に言い過ぎであろう。古き神が姿を失くし、もう苔むすほどの月日が流れた。」
「悲しい事だ。」
「そして闇雲母達も随分と増えた。」
「聖獣も子々孫々繋いておるが、末々は我らが広がる速度よりも、闇雲母によって島と共に滅ぼされる勢いが上回ってしまいかねぬ……。」
「かと言って任意に子を増やし過ぎても、個々の聖獣の力が弱まるばかり……。」
「それでは島は守れぬ……。」

島を訪れた事で久しく顔を合わせた聖獣様達はそんな話をしていた。私はお世話をしながらそれを聞き、差し出がましいとは思ったが口を開いた。

「……その方は名乗らないのですか?」
「そんな隙などない。突然現れ闇雲母から力任せにヨクヤミを引きずり出すと連れ去ってゆくのだ。追うにも闇雲母の始末も残っておる。何よりあれは素早い。」
「そう、ですか……。」
「流れの聖獣は稀におるが…、あの者ほどとなると本来なら話が流れてきてもおかしくないが……。」
「…………。」
「あれは……。いや、我が言うべき事でもなかろう……。」

 私はそれがノグレ兄さんなのだと思った。島が平和でコマキ姐さんとノグレ兄さんが珍しく二人で寄り添っていた時、話してくれたのだ。闇雲母でありヨクヤミにもそれが住まう場所があるのだと。ノグレ兄さんはそれを探して流れの狛犬をしていた。彼らが住まう場所を潰せれば、もう皆が闇雲母に襲われる事を恐れて暮らさずに済むからと。コマキ姐さんは笑っていった。

「それならコマチとシグレが後を継げるようになったら、二人でそこに行こうじゃないか?!」
「……何だと?!」
「狛犬は対で真の力を出せるもの。アンタがどれだけ強くったって、真の力が出せるか出せないかでは大きく違うんだよ??」

ピシャリと窘めるように言われ、ノグレ兄さんは分が悪そうにそっぽを向いた。でもコマキ姐さんは構わず続ける。

「アンタは放っといたら怪我だって治さず突っ込んでいく。小さな怪我だって、馬鹿にしたらいけないってのに……。」
「…………。」
「全く!!長きに渡る闇雲母達との戦は、放っておいた小さな怪我のせいで力が出しきれずに死ぬ事など当たり前にあるのだからね?!」
「だそうですよ?ノグレ様??」
「……知らぬ。」
「そんな大物を狙うなら完全な状態を保てるように気を配るべきなのに、アンタにはそれができない。強けりゃいいってもんじゃないんだよ、全く……。」
「……………。」
「だから、アタシが一緒に行ってやるよ。なんたってアンタの対はアタシなんだから……。」
「コマキ……。」
「……いいね?ノグレ??」

誰よりも強くて雄々しく、体も大きいノグレ兄さんがコマキ姐さんには何も言い返せないのがおかしくて仕方なかった。ノグレ兄さんは何も言わない方だったけれど、それだけコマキ姐さんを好いていたのだと思う。
 だからそのコマキ姐さんを殺した奴らが許せなかった。ノグレ兄さんは恐らく流れに戻って探しているのだ。闇雲母達の住まう場所を、彼らの住まう場所を潰す為に。きっとコマキ姐さんが予想していた通り、傷だらけのまま、それを治そうともせずに…。

コマキ姐さん…ノグレ兄さんは大丈夫なのかな……。

 私は胸のあたりを触ってそう問いかけた。コマキ姐さんがくれた真の妹の証であり、その力。私が他の人と違って闇雲母の侵食に強く汚染されにくいのも、怪我がすぐ治るのも、コマキ姐さんが後継者として譲ってくれた狛犬の力があるからだ。私は人でありながら、狛犬なのだ。そして姐さんの妹なのだ。
 真の姉妹の契を結んだ事で、私には島守りの他にできる事がもう一つある。それはノグレ兄さんの対だ。私はノグレ兄さんが真の力を出す為の対になれる。兄さんは対だったコマキ姐さんが死んだ事で、もう対としての力を持つ事はできないと思って一人で流れているのだと思う。でも、私はコマキ姐さんの力を継いだ。真の妹の契をもらった。人と狛犬という境があったけれど、姐さんが心から私を妹だと思ってくれたからそれができたのだが、姐さんが私に力を残したのはこの島を守る為と、兄さんの力を失わせない為だったのだと思う。
 だから、私はノグレ兄さんを探さなければならない。そして姐さんの意志を継いで、ノグレ兄さんと闇雲母達の住まう場所を探し出し潰すのだ。
 だが、まずはこの島の事だ。コマチとシグレを一人前の狛犬に育て、それから島を出る。人の身一つでどこまで行けるかわからない。それでも、私はコマキ姐さんの妹だ。姐さんの意志を貫く。それが私の意思でもあるから。
 戦いで受けた傷と穢を洗い流しながら、私はそんな事を考えていた。









 その日は、いつもより大規模な闇雲母が襲来した。いつも通り先ずは私とユク様で群れの中からヨクヤミ本体を引きずり出すために向かい、コマチとシグレが下で援護と落ちてくる闇雲母の処理をしている。
 だが日々の疲労が祟ったのだろう。ヨクヤミ本体をの足に噛み付いて引きずり出そうとしたユク様は、抵抗したヨクヤミに片目を傷つけられてしまった。

「……クッ!!」
「ユク様!!」

普段ならすぐに修復されるのだが治りが遅い。そこに闇雲母が取り憑いて侵食し始めた。闇雲母との戦いは小さな傷でも命取りになる。こうやってそこから侵食されてしまうからだ。

「グウゥゥゥ……ッ!!」
「ユク様!!今、払います!!」

私は急いて侵食し始めた闇雲母の核をつぶした。侵食は抑えられたが、闇雲母に侵された傷は狛犬とはいえ簡単には直せない。とにかくこれ以上ここから侵食されないよう、私はお神酒を口に含んで吹きかけ浄めた。

「……痛みますか?!」
「何、この程度……。老いたとはいえ私とて狛犬ぞ……。」
「無理なさらないでください……。」

言いながら何を言っているのだろうと自分を責めた。現状、そうは言ってもユク様に頼らざる負えない。

「…心配要らぬ。押しきるぞ?!」
「はい…っ!」

顔を顰める私に、ユク様はそう言ってくれた。こんな状況でもユク様は噛み付いたヨクヤミを離さなかった。引きずり出した本体がまた闇雲母の中に戻ってしまったら面倒な事になる。ユク様も消耗が激しい。だからできる限り一気に片をつけた方がいい。
 しかし、こちらの思惑通りに事は進まなかった。

「……避けよっ!!」
「!!」

ユク様の鋭い声を受け、私はすぐに身を引いたがよけ切れなかった。ヨクヤミ本体の腕が私を掴もうとし、避け損なった私は殴られた様な形になる。

「きゃあぁっ!!」

弾かれた私はユク様の側から引き離されてしまう。ヨクヤミの腕は私を捉える事を諦めると、すぐさま噛み付いているユク様の顔に掴みかかった。

「グ…ッ!!」
「ユク様っ!!」

私は急いでユク様の元に向かおうとするが、闇雲母達がそれを邪魔した。ヨクヤミは浄めたばかりの目を狙い、傷を広げてくる。傷を広げられた事で流れ出したユク様の神聖な血に闇雲母達が群がり、侵食を再開する。

「……ぐわあぁァァっ!!」
「ユク様!今、行きます!!」

私は群がる闇雲母を薙ぎ払った。ヨクヤミに傷をえぐられただけでも相当な痛みのはず。そこに闇雲達が侵食したのだ。

「グウゥゥゥッ!!」
「ユク様!!一旦!ヨクヤミを離して下さい!!」
「だが……!!」
「このままでは不利です!今後にも触ります!!一旦引いて下さい!!」
「……わかった。しばし任す。無理をするな、人の子よ……。」
「はい!!」

急いで戻り、狛犬の力をまとわせた槍でヨクヤミの腕を切り裂いた。ユク様が口からヨクヤミを離した事で下に落下していく。

 「コマチ!シグレ!!」

私は下にいる二人に声をかけた。こちらを伺いながら落ちてくる闇雲母を処理していたコマチとシグレがユク様の元に駆けてくる。

「ユク様の回復を!!」
「わかった!!」
「姐さん!しっかり!!」
「私はいい!!ユク様をお願いっ!!」

ユク様を追おうとする闇雲母を払いながら叫ぶ。どうにか一部を外に出したままにしておきたかったが、闇雲母の群れを多少蹴散らした所で、体格差的に私にはヨクヤミを止める事は叶わなかった。ユク様が離れたのをいい事に、ヨクヤミ本体はまたズブズブと闇雲母の中に潜っていく。悔しいが私には、ユク様の回復の負担にならぬよう落ちようとする闇雲母達をただ砕くしかできない。

 「お祖父様!大丈夫ですか?!」
「……大丈夫だ。」
「シグレ!まずアンタが場を保って!!」
「わかった!!」

下では幼い2匹が協力してユク様の回復に努めている。私にヨクヤミをも止める術は無い。だったらせめて1匹でも多くの闇雲母を砕く事で島に落ちる数を減らし、ワタシがここにいる事で島に群れ全体が降りる事を阻止しなければならない。

「姉ちゃん!変わる!!」
「悪い……。後はお願い!!」

霊力でユク様を回復させていたコマチが、シグレと交代した。あの子達はお互いを副対として力を使う事は出来るが、まだ他者に対してそれを行う事に不慣れなのだ。

「もう良い……シグレ……。」
「でも、まだ目が……!」
「お祖父様!!」
「大丈夫だ、コマチ。残りはアレを片付けてからにいたそう……。」

ユク様がそう言って地を蹴った。できる限りの回復は終わった様だ。
でも、あの傷では片目はもう見えていないだろう。それを補いつつ、私が目になってユク様を導かなければならない。
 やはりこの戦い方ではユク様の負担が大きすぎる。それに私とユク様は対のスタイルで戦っているが、本当の意味では対ではない。ユク様の対はコギク様、だからコギク様の真の妹以外ユク様の対にはなれない。そしてコギク様には真の妹はいないのだ。私はコマキ姐さんの真の妹だから、ノグレ兄さんとしか対になれない。だからどちらも狛犬としての真の力が出せずにこれまで対の役割を果たしてきた。
 血の繋がりも深い精神の絆もないユク様と私は、副対と言う形も取れず今までやってきた。また副対の絆があるとはいえ、コマチとシグレに闇雲母からヨクヤミを引きずり出させる役割をやらせるのはまだ無理だ。力の使い方や闇雲母の対応も完璧ではないのに、ヨクヤミの纏った集合体の相手などしたらすぐに侵食されてしまうだろう。

どうする?!
どうしたらいい?!

自分の力の無さを痛感する。せめて私が人でなければ……熊の様に大きく力強い生き物であれば、ヨクヤミを闇雲母から引き出せずとも一部を外に出させる事ぐらいできたかもしれない。
 だがそうではないのだ。私は狛犬の力を持っていても、小さな人間に過ぎない。ないものの事を考えても、何も変わらないのだ。今ここにあるものでどうにかするしかない。だから、今日はユク様に負担をかけるスタイルで無理をするしかないのだ。目の前に闇雲母の群れが来ていて、その中にヨクヤミがいる。私達が負ければこの島は喰われてしまう。

「……待たせたな。」
「行けますか?ユク様?」
「左目が見えぬ。目になってくれ。」
「承知しました。」

治療から戻ってきたユク様は、浅く息を繰り返している。すでに疲労が溜まっているのだ。今回のヨクヤミ本体の仕留めは私が行おう。体格差があるので一人では難しいかもしれないが、誰か一人にサポートに入ってもらえば可能だ。今後の戦闘スタイルもよく考えた方がいいだろう。このままユク様に無理をさせ続ければ、いずれユク様は力尽きてしまう。そうなれば遅かれ早かれ、島は闇雲母に喰われてしまうだろう。

「…………えっ?!」
「何っ?!」

 その時だった。
突然、闇雲母達の統率が途切れ、バラバラと下に落ちていく。慌てて降り注ぐ闇雲母達を砕く。

「一体何が?!」

ユク様も困惑している。

「あれ!!あれを見て!!」
「姐さん!!誰かがヨクヤミを攫ってる!!」

コマチとシグレニ匹の声に見上げると、降り注ぐ闇雲母の切れ間にヨクヤミ本体を引きちぎりながら連れ去る大きな四足の獣が見えた。

「………ノグレ兄さんっ!!」

私は叫んだ。
やっと見つけたのだ。
涙が溢れた。

「……姐さん?!」
「どこ行くの?!姐さん!!」

コマチとシグレが訳がわからず叫んでいる。でもユク様は少し複雑な表情で頷いた。

「すみません!!後はお願いします!!」
「……構わん。頼んだぞ……。」
「はい!!」

私は無我夢中で邪魔な闇雲母を砕きながら、その後を追って行った。














 「……兄さん…。」

小さな浮島にその姿はあった。ヨクヤミから何かを聞き出そうとしているのだろう。腕や足のような部分から、引きちぎっている。だが私が追いついた時には、すでにヨクヤミの核を噛み砕くところだった。何か聞き出せたのかどうかはわからない。

「……ノグレ兄さん…。」

核を砕いて、もうそれが何の意思も意識もない物に変わっていても、兄さんはそれを引きちぎるのをやめなかった。やがて引きちぎれる部分がなくなると、やっとそれをやめた。

「……兄さん……ノグレ兄さん……っ!!」

私はその様子を見て小さく呟き、ただただ涙を流した。
 あれから2年たった。
でも、ノグレ兄さんの時間はあの時のまま止まっているのだ。コマキ姐さんの動かぬ体を見つめた後、激しい怒りで全身の毛を逆立てたまま、そのままの姿で兄さんはそこにいた。あの時のまま全身傷だらけで、まるで泣いているようにあちこちから血を流してそこにいた。その背中を見つめながら、私は泣く事しかできなかった。

「兄さん……ノグレ兄さん……っ!!」

兄さんを止める事ができない。その深い悲しみと怒りに、かける言葉が見つからない。あの日、泣いている場合ではなくて私はあまり泣けなかった。その後、一人で泣いたりもしたけれど、ある程度堪えていた。だが哀しみのあまり怒号に狂ったノグレ兄さんを見て、堰を切ったように涙が止まらなかった。私は膝をついた。手で顔を覆い、掠れた声で泣き叫んだ。
 私にはわかる。こうなってしまったノグレ兄さんの気持ちが。私もコマキ姐さんを愛していたのだから。生皮を剥がれた内側のような場所でヒシヒシとノグレ兄さんの痛みが直接自分の痛みとして伝わってきた。

涙の代わりに血を流すノグレ兄さん。
兄さんの代わりに涙を流す私。

 多分コマキ姐さんの真の妹となった事で、私とノグレ兄さんの感情は繋がっていたのだと思う。自分の中に凄まじい怒りと耐え難い悲しみが渦巻いて、私はそれを少しでも吐き出す為に叫び、涙を流し続けた。嗚咽でとうとう言葉が出なくなった私はただ声を上げて泣いた。

 「……コマキ……。どうして……っ……。」

ほんの少しの静寂が落ちた。
その静けさの中ノグレ兄さんが小さく呟く。

 その何処へともなく囁かれた呟きが虚無に響き、私はただただ、泣く事しかできなかった。それによってノグレ兄さんの中から煮え滾る憤怒がスッと離れ、気を失ってその場に倒れた。










 ノグレ兄さんが目を覚ましたのは、あれから3日たってからだった。

「内部が侵食されてる訳じゃなくて良かった……。」

私は兄さんの体を薬湯で清め治療した。やっと見つけたノグレ兄さんは、私と共鳴した影響で怒りから悲しみに感情が移った事もあり、倒れてしまった。てっきり傷から侵食されて体内が穢れてそうなったのかと思った兄さんは、極度の疲労と長い間放置された傷からの細菌感染で熱を出しているだけだった。ノグレ兄さんを見つけた小さな浮島では治療のしようがなく、私は何とか引きずるよう兄さんを背負って島に戻った。巨大な狛犬であるノグレ兄さんを人間の私が背負って島まで運ぶなど普通は不可能なのだが、やはりコマキ姐さんから真の妹として引き継いだものがあるので対としての力が発揮されたようだった。

「……兄さん。」

 弱りきったノグレ兄さんを浄め、細かな傷を治療していく。兄さんの傷は古すぎるものが多く、その殆どが穢れに晒されていた為に簡単に治す事ができなかったのだ。
 薬湯に身を浸し、清めている所でノグレ兄さんは薄っすらと目を開いた。私はそれに気づき慌てて声をかける。

「……兄さん?ノグレ兄さんっ!!」
「……………。ここは……。」
「兄さんっ!!」

私はぎゅっとノグレ兄さんの首に抱きついた。涙が後から後から溢れてきて、しばらくの間、しがみついて声を出さずに泣き続けた。
 ノグレ兄さんははじめ、頭がはっきりしていなかったようでぼんやりとしていた。状況もわからないから何も言わなかったのだが、だんだん意識がはっきりしてきたのか、いきなり暴れだす。

「……はっ?!どういう事だ?!これは?!」
「兄さん、倒れられたのです!ですから治療を……。」
「治療?!……って?!うわあぁぁっ!!お前っ!!なんて格好をしているのだ!!嫁入り前の娘だろうがっ!!」

ノグレ兄さんが大慌てで暴れだしたので、私はそれを力で押さえ込んだ。見かけは人間でもコマキ姐さんの力を継いでいる狛犬であり、ノグレ兄さんがいるので対としての力もついているから、弱っているノグレ兄さんを押さえ込むなんて簡単だ。

「暴れないで下さいっ!!治療中です!!」
「お前?!なんで?!………コマキの力かっ!!」
「そうです!兄さんはあの後、すぐにいなくなられたから知らないでしょうけれど、私はあの時、コマキ姐さんの真の妹となったのです!!」
「はああぁぁっ?!人間のお前が?!コマキの真の妹だとっ?!」
「そうです!ですから!私は人間の身ですが、狛犬なのですっ!!」

暴れるノグレ兄さんを押さえ込んで薬湯に沈める。はじめは人である私など簡単に振り払えると思った様だが、ズブズブと薬湯に沈められてノグレ兄さんも本当に私がコマキ姐さんの真の妹であり狛犬なのだと悟った様だ。
 抵抗しても無駄だとわかり、おとなしくなる。ずぶ濡れで不機嫌そうにしているノグレ兄さんは、とてもあの恐ろしくも神々しい狛犬だとは思えない。

「何か、毛がぺったりして一周り小さくなりましたね、ノグレ兄さん。」
「うるさいぞ、小娘。大体なんだ、その格好は?!恥じらいがないのか?!貴様?!」

ノグレ兄さんはそう偉そうにしながらも、顔を背けて私を見ないようにしている。

「恥じらいも何も……私はコマキ姐さんの真の妹。つまり、ノグレ兄さんの後妻になります。ノグレ兄さん以外のものの前ならともかく、夫であるノグレ兄さんの前なのですから、おかしなところはないと思うのですが??」
「うるさい!うるさい!我はお前など後妻と認めんっ!!いいからさっさと服を着ろっ!!でなければ治療は受けんっ!!」

ノグレ兄さんはそう言うと、またジタバタ暴れだした。なので仕方なく、また薬湯に沈める。おとなしくなったので力を緩めると、ザバーっと兄さんが上半身を起こす。めちゃくちゃ不機嫌そうだ。

「………お前……力と一緒に、コマキの性格まで引き継いだのか?!」
「そう言う訳ではございませんが……。とにかくおとなしくして下さい。」
「だから!先ずは服を着ろっ!!全てはそこからだっ!!」
「服を着て薬湯に入ったら、服が濡れるではありませんか?!もう少しで薬湯治療は終わりますので、おとなしくなさってて下さい。」
「クソッ!クソッタレがぁ~っ!!」

ノグレ兄さんはぎゅっと目を閉じておとなしくしていた。私は途中になっていた薬草の擦り込みを再開し、全身の清めと傷の治療を終えた。
 







「…………認めん。人の子の対など認めん。」

薬湯を出て体を拭き、清めの香を焚いて寝床に寝かせると、ノグレ兄さんはブツブツと文句を言い続けた。

「ノグレ兄さんが認めようと認めまいと、私はコマキ姐さんの真の妹です。コマキ姐さんがその意志と力を私に託してくれました。でなければ兄さんに対の加算力が使える訳がないではありませんか?」
「…………………………。」

ノグレ兄さんはムス~っとして無言になる。私は気にせずノグレ兄さんの顔をうちわでゆっくり扇ぎ続けた。

「とにかく、今はお休みください。ノグレ兄さん。話は目が覚めてから致しましょう。」
「………フンッ。目が覚めたら、我は出ていくからな。」
「そのつもりがお有りなら、わざわざ宣言なさらなければ良いでしょうに。聞いたからには逃しませんからね、私。」
「ゔ……。」

ノグレ兄さんって、意外に直情的なんだなぁと思う。そういえばコマキ姐さんが、あの人はああ見えて素直すぎるのよ、なんて言ってたっけ。どういう意味だろうと思ったけど、こういう事だったのかなぁ??それにお喋りなのよ、とも。ノグレ兄さんには寡黙なイメージがあったから、そんな事はないだろうと思ったけど、こうして話してみると、確かにお喋りなのかもしれない。ただ確実に、常にコマキ姐さんに言い負かされてただろうから、ボロが出ないように人前では喋らないようにしていたのかもしれない。

「ふふふ、怖い方だと思っていたのに、何か可愛い~。」

いつの間にかスピスピと寝息を立てているノグレ兄さんを見つめながら、思わず笑う。ピンと尖ったもふもふの耳が、たまにピクピク震えるのが可愛い。
 ノグレ兄さんは何だか犬っぽいように見える。狛犬は犬とはつくが、むしろ獅子に似た聖獣だ。でもノグレ兄さんは獅子というより犬っぽく見える。聖獣だし犬とも違うけど、コマキ姐さんやユク様、コマチやシグレとはどう見ても違う。

「なんだろう??流れの狛犬だし、どこか遠くから来られたのかな??」

そんな事を思いつつ、尊顔を見つめているうちに私も眠ってしまった。何だか久しぶりに穏やかな気持ちで眠りにつけ、コマキ姐さんがいらした頃の夢を見た気がした。














 どれくらい寝ただろう?
ピンっと意識に何か張り詰めるものを感じて目が覚めた。すぐ様体を起こすと、ノグレ兄さんも起き上がり、低く唸っていた。

「ノグレ兄さんっ!!」
「奴らだ!!かなり多いぞっ!!」

私達はすぐに外に出た。
半月の夜。
北の空から黒い雲が近づいてくる。

だがそれは雨雲じゃない。闇雲母の集団だ。死の漆黒程ではないが、先日ユク様が負傷された時の2倍以上の数がいる。

「ノグレ……目覚めたか……。」
「ユク様……。」

後ろから声がして、私とノグレ兄さんは振り返った。まだ目が治りきっていないユク様と、その両脇にコマチとシグレが不安そうに寄り添っていた。

「………コマキの亡き後、何も言わずに姿を消し、申し訳ございませんでした……。」
「仕方があるまい……元々、流れで任を持っていたお前に無理を言って引き止めていたのだからな……。」
「いえ、留まったのは自分の意志です。コマキを……愛しておりました……。だからこそ、留まった己が許せませんでした……。我が留まらず奴らの居場所を探し出して叩いていれば…コマキを…死なさずに済んだのではと思うと……。」

コマチとシグレはその話をじっと聞いていた。そしてユク様の顔を見上げた。
 知らなかった。コマキ姐さんとノグレ兄さんにそんな事情があったなんて……。恐らくコマチとシグレもそうだったのだろう。母であるコマキ姐さんの死後、いなくなってしまった父であるノグレ兄さんに複雑な感情を持っていた。だから私が兄さんを連れて帰ってきて治療していても、ユク様の治療をするからと見に来なかった。
 二人は、困った様な顔でノグレ兄さんを見つめた。兄さんも二人をじっと見つめた後、私に顔を向けた。

「仕方がないから、今日の所はお前を対としてやる。だが、今日だけだ。」
「ひとまず、今日の所は私もそれで承知しました。ですが今後も私はノグレ兄さんの対だと思っておりますからお忘れなく。」
「チッ!その話は後だ!!闇雲母からヨクヤミを引きずり出すのも、その後仕留めるのも我、一人でやる。お前は下で落ちてくるものを全て仕留めろ。人の身でも仮にも狛犬なのだ、できるな?!」
「ご安心ください。私はコマキ姐さんの真の妹。この2年、島をユク様と仮の対として守ってきたのはこの私です。甘く見ないでください。」
「フン、口だけでない事を期待しているぞ!!」

ノグレ兄さんはそう言うと、旋風のように闇雲母に向かったて行った。いつの間にかコマチが私の横に来て、ノグレ兄さんを見つめている。

「………お父さん……。」
「思ったより、ノグレ兄さんにも複雑な事情があったのね。」

私はそう言ってコマチを撫でてあげた。コマチは少しだけ涙ぐんで顔を洗う。

「さぁ!とにかく闇雲母を始末するのが先よ!!コマチとシグレはいつも通り!!ユク様は怪我に触るといけませんので、様子を見ていて下さい。」
「……姐さんはどうするの??」

駆け寄ってきたシグレが聞いてきた。私は島の空を覆うほど近づいてきた闇雲母の大群に目を向けた。今、あの中にノグレ兄さんが入って、ヨクヤミを探して引きずり出そうとしている。

「私はコマキ姐さんの真の妹、つまりはノグレ兄さんの後妻であり対よ?ひとまずどちらにも助けに入れる位置で闇雲母を払いながら様子を見るわ。」

そう言って私も闇雲母に向かって空を蹴った。







 ノグレ兄さんがヨクヤミを引きずり出したのは、私が近くに行ったすぐ後だった。流石というか兄さんは難なくヨクヤミを見つけて引き擦りだした。

「……え?!何…あの色は……っ?!」

ただ兄さんが引きずり出したヨクヤミは、今まで見た事の無い色をしていた。死の漆黒が襲来した時も驚くほど大きなヨクヤミで他に数体仲間がいたくらいで、こいつのような色はしていなかった。

「あれはいったい…?!」

そいつは凝固した血のように赤黒く、所々まだら模様をしていた。見るからに不吉で異様なものに見える。その上見つけて引っ張り出しているのに、中々全てが出てこない。ノグレ兄さんも思わぬ抵抗に苦戦している様だった。

「兄さんっ!!」
「………。」

私は闇雲母を蹴散らしながら、ノグレ兄さんの側によった。兄さんは視線だけで私を確認すると、フウウウゥっと深く息をして唸る。
 それが何かの合図だと何故かわかった。たぶんコマキ姐さんが力と一緒にくれた戦う為に必要な記憶なのだ。
 私は槍を構えた。狛犬の力、そして対の力をそれに強く流し込む。ノグレ兄さんがヨクヤミを食いちぎるほど思い切り引っ張った後、今度は凄い力で逆に中に押し戻した。私はそれについていき、押し戻すのに抵抗する闇雲母達を力の限り砕きまくる。
 ズボッとヨクヤミの体が闇雲母から抜ける。引いていたのとは反対方向に貫くように押し出したのだ。ノグレ兄さんがそのままヨクヤミを引き連れて、島のホールに叩きつける。ホールというのは、ヨクヤミを倒す為に島に設けられたスペースだ。その場所には人は近づかないし、建物も畑も作らない。闇雲母が襲ってきた時にヨクヤミを引きずり出して倒す為の場だからだ。ズドーンっとヨクヤミを叩きつけ、ノグレ兄さんがその地に降り立つ。
 だが、何かがおかしい。

「ノグレ兄さんっ?!」
「……クソッ!!まさかこんな事が……っ!!」

対の加算能力でノグレ兄さんの状態がわかる。異常に心拍数が上がり、めまいを起こしている。

「………オェッ……オェェェェェ……ッ!!」
「兄さんっ!!」

ノグレ兄さんが嘔吐した。すぐ様その体に触れ、対としての強い回復能力を使う。言わなくてもわかる。兄さんは毒に侵されていた。それもかなり強力な毒だ。狛犬の回復能力を遥かに上回る毒。対としての回復能力があったから兄さんは倒れずに済んだが、もしも対がいない、もしくは近くにいながったなら危なかっただろう。
 狛犬など島守りの多くが聖獣で噛み付いたりする事でヨクヤミを攻撃し殺す。それをわかった上で、ヨクヤミに毒を仕込んだのだ。噛み付いた狛犬にすぐに作用するような毒だ。このヨクヤミが見たこともない赤黒いまだら模様をしていたのは、致死量を超えるような毒に侵されている状態だったからなのだ。

 「何で……そこまで……っ?!」

闇雲母もヨクヤミも、島を襲って食べ尽くす死の象徴ではあるが、それが彼らの生きる方法なのだ。彼らは自分たちが生きる為に、島を食べ尽くし滅ぼすのだ。だから理解できなかった。死ぬとわかっていて、この様な戦い方をしてきたヨクヤミが理解できなかった。

 「……ふっ。」
「兄さん?!」
「……どうやら向こうも…手段を選ぶ暇なく、我を殺すしかないと判断した様だな……。」
「ノグレ兄さんを……?!」
「ああ…それだけ我が、奴らの生息域の謎に近づいているのだろう……。」
「!!」

 私は何も言えなかった。ノグレ兄さんがいつからその謎を探っているのか知らない。でも、闇雲母達がヨクヤミを死なせるのをわかっていても兄さんを殺そうとした事はよくわかった。裏を返せば、それだけ闇雲母達にとって、ノグレ兄さんはもう生かしておけない存在なのだと言う事なのだ。それは、コマキ姐さんを殺した奴らに対するノグレ兄さんの執念が勝った証でもあった。

「しかし……まだ死んでないな……こいつ……。」
「ええ……。」
「全く……実に闇雲母やヨクヤミは執拗い……。」
「そうですね。」
「弱っているのは良いが、下手に毒の血をこの島に撒かれるのは迷惑千万だ。」
「……落としましょう、兄さん。浮島の外に。」
「それしかなかろう……。」
「はい。」

兄さんが立ち上がって、低く唸った。これでまた兄さんに噛ませて運ばせたら回復した意味がなくなるし、兄さんにもしもの事があれば奴らの思う壺だ。

「兄さん、攻撃は私が行います。ノグレ兄さんはあれを噛まずに体当たりで押し出して下さい。」
「…は?!何を言っている?!身の程を知れ!小娘!!」

私の言葉に、ノグレ兄さんは厳しい表情をした。自分が噛み付いて攻撃する危うさは理解しているが、私に攻撃を任せる事に不安を抱いているのだ。キツイ言い方をしているが、そういう事なのだと何故か思った。
 だから私はまっすぐに兄さんを見つめ、はっきりと告げた。

「私は!コマキ姐さんが心から信頼し、妹を託されたた狛犬ですっ!!ノグレ兄さんを愛していたコマキ姐さんが!その後妻と認めた女ですっ!!貴方のもう一人の対です!!私は決して!親愛なるコマキ姐さんの期待を裏切ったりはしないっ!!」


 私の意志は揺るがなかった。はっきりそう告げるとノグレ兄さんは少し目を瞑った後、強い眼光を私に向けた。私は真っ直ぐに見返した。

 「……良いだろう。」

じっと私の目の中の光を見つめた後、ノグレ兄さんは言った。

「その言葉、忘れるなよ?我と、我が先妻の信頼を裏切るなっ!!」
「はいっ!!肝に命じますっ!!」
「では行くぞっ!!」

 その時、初めて本当の意味でノグレ兄さんと私は対になった。ノグレ兄さんの側にいる事で、自分の体から感じた事のない力が湧き上がってくるのがわかる。怖いものなどない。二人ならどんな究竟も打破できる気がした。
 移動速度が遅い私をノグレ兄さんは背に乗せる。ヨクヤミに近づき、力を纏った槍で急所をついていく。切りつけて血を流させては駄目だ。ヨクヤミが痛みを強く感じる部分に的確に突き刺していく。痛みにヨクヤミが体制を崩し、そこをノグレ兄さんが懇親の力で体当たりをする。こらえようとヨクヤミが踏ん張ると、私が攻撃を仕掛け、体制を崩させる。その繰り返し。
 まるで何度もそうしてきた様に、息がピタリと合う。そう、だって何度もした事があるのだ。コマキ姐さんとノグレ兄さんは。そして私はそのコマキ姐さんの力と戦いに必要な経験をもらっている。
 私の中にコマキ姐さんがいる。私の中で、私と共に戦ってくれている。そう思うと何でもできる気がした。
 大好きなコマキ姐さん。
そして、大好きなノグレ兄さん。
 兄さんがヨクヤミを突き飛ばし、とうとう島から突き放した。しかし往生際悪く、ヨクヤミは島の端に手をかけ、しがみつく。本当に執拗い。走る私の前に兄さんが構える。その背に飛び乗ると、ノグレ兄さんがその神に等しい跳躍力で天高く飛んだ。
 何も申し合わせていた訳じゃない。それでももうお互いにわかるのだ。一番高い位置で私はノグレ兄さんから飛び降り叫んだ。

「私はっ!!コマキ姐さんの真の妹!!ノグレ兄さんの正式な後妻だっ!!」

そして全ての力を込め、島にしがみつくヨクヤミの手に槍を突き刺した。バンっとヨクヤミの手が離れる。その勢いで私も空に放り出された。そんな私を兄さんが口に加えて浮島に戻してくれる。下を覗けばヨクヤミがどこまでもどこまでも落ちていくのが見えた。

「ノグレ兄さん……下って何があるの??」
「さぁな……。地獄だとか、永遠に落ちていくだけだとか言われているが……確かめた者はいない。」
「そうなんだ……。」

 ホッとした私はその場に座り込んだ。ノグレ兄さんがそれを支えてくれる。薬湯に入れたばかりだからか、よりかかるとすごくもふもふしていて気持ちよかった。

 「……おい。気安いぞ?!小娘。」
「小娘ではありません。私はノグレ兄さんの後妻です。妻と呼んで下さい。」
「……はっ?!誰がお前を後妻に迎えると言ったっ?!」
「さっき言ったではありませんか??自分と先妻を裏切るなって??」
「言ったが!!それは戦闘の話だ!!後妻にお前を迎えるなどとは認めていないっ!!」
「え~?!私の裸を見た癖に~、逃げるんですか~?!」
「あっ!あれは見たくて見たのではないっ!!貴様が勝手に見せてきたのであろうっ!!」
「見た事には変わりありません!!きちんと責任をとって!後妻に迎えて下さいっ!!ノグレ兄さんっ!!」

ぷうっと頬を膨らませて言うと、ノグレ兄さんは硬直し、そしてがっくりと項垂れた。

 「お前は……お前らは……何でそうなのだ……。」
「お前ら?」
「お前!!絶対、コマキの性格も譲り受けただろう?!信じられんっ!!人生で2度も同じ手に引っかかるなど……っ!!」
「へぇ~。コマキ姐さんもそういう手で落としたんだ~。ノグレ兄さんの事~。意外に隙が多いんですね、ノグレ兄さん??」
「う!うるさいっ!!」
「ふふふっ。兄さんって意外と可愛いですね?」
「は?はあぁぁぁっ?!貴様何を?!」

 真っ赤になって顔を背ける兄さんは、コマキ姐さんの前で見た時と同じだ。そう思うと何か胸が暖かく、笑ってしまった。

 「姐さ〜んっ!!」
「こっち終わったよ〜っ!!」
「コマチ!シグレ!!」

向こうから、コマチとシグレが走ってくる。闇雲母の処理は終わったらしい。
 それに手を振りながら、私は真っ赤になって狼狽えるノグレ兄さんに微笑んだのだった。

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