文字数 1,915文字

(間の抜けた顔だ……)
 鼻の穴をひくつかせながら話す籠原の顔を横目で見ながら、深くため息をつく。
(もっと普通に話せばいいのに)
 昨日の夜祭りで籠原に出会ってしまったのが運の尽きだった。誰にも見られたくなかったから、弟と二人だけで出かけた。祖母が遺した浴衣をどうしても着てみたかった。提灯のぼんやりとした明かりに浮かぶ、浴衣の幾何学的な文様は、思っていた通りきれいだった。白地に、葡萄の(つた)を思わせる濃紺の文様が鮮やかに目に映る。袖や裾に染め抜かれたその様子を()めつ(すが)めつ目にしながら、ふと顔を上げるとそこに、驚いたようにぽかんと口を開けた籠原の顔があった。
 うわっと思ったが、すぐに気を取り直した。
(まあこいつなら仕方がないか)
「誰にも言うなよ」
 それだけ釘を刺しておいた。でも、そんなことに素直に従うような奴ではない。朝から、いつになくちらちらと私を見ては、男子でも女子でも誰彼なく話しかけている。かすかに聞こえてくるひそひそ声のせいで、何か自分が悪いことをしているような気がしてくる。ちらっと昔のことが胸に浮かび、少し軀が強ばった。
 嫌な記憶はなかなか消えない。
 中学に上がったばかりの頃、いじめられた。理由はよくわからない。女子でひとりだけ野球部に入り、目立っていたからかもしれない。よくわからない理不尽なことに、とことんまで耐え抜いて、いじめた女子たちとも徹底的にやりあったけれど、一人はやはり辛かった。ある日、部活からの帰り道、籠原の前で号泣してしまった。幼なじみで兄弟のように過ごしてきたから、つい気が緩んでしまった。籠原に助けてほしかったわけではない。ただ、そっと受け止めてほしかった。籠原はしゃくり上げる私の背中を、何度もさすっていてくれた。ただ素直にほっとした。
(でも、今は)
 まったく同じ男とは思えない。なにをそんなにいつまでも話すことがあるのだろう。私の浴衣姿を見るのも別に初めてではないだろうに、なにがそんなにおもしろいのか。
(部活の時の顔とは違うなあ)
 だらしない籠原の顔を見ながらぼんやり考える。
 小学校までは何をやっても負けることはなかった。中学に上がってからだんだん勝てなくなり、高校では絶対に無理だとわかっていながら、硬式の野球部に入ってしまった。ソフトボールにさんざん誘われたが、何かに踏ん切りが付かなかった。
(わたしは何にこだわっているんだろう)
 時々無駄なことしかしていない気になる。はじめは髪も短く刈っていたが、最近は長く伸ばして結んでいる。そこに何かに抵抗しているような気持ちがなくもない。練習の一つ一つでもついムキになってしまう。ベースランニングで籠原の後を走るとき、籠原が付けた足跡を越えようとどんなに力んでも、今はその距離がとてつもなく遠い。その絶対に無理なことをどうにかできないか、じたばたしている。無駄なことだと、頭ではわかっていても、頭ではわかっているのに、そうしないではいられない。
 自分にしかできないことをしている。その建て前が、単に無駄なことをするための言い訳でしかないと気づくと、どうしようもないもので一杯になる。
(もう、止めようかな)

夕方、帰り道、籠原に聞いてみる。
「今日、わたしのこと、言いふらしてたでしょ」
「違うよ」
「じゃあなにあちこち話してたのよ」
「いや、あの浴衣、ばあちゃんのだろ?」
「うん」
「思い出した。ばあちゃんとの約束」
「うん?」
「二十歳になったら、ばあちゃん、二人にそろいの浴衣を作ってくれるつもりだった」
「……。わたし、知らない」
「そう、だってお前の誕生日のサプライズだったから」
「なんであんたとおそろいなのよ?」
「ばあちゃん、二人が結婚するものだと思い込んでたぜ」
(あっ)
 唐突に思い出した。小さい頃、籠原のお嫁さんになると、祖母に繰り返し、話していた。今思うとあり得ない。籠原だってそんな気はないはずだ。籠原の顔を見ると少し困った顔をしていた。
「いや、結婚とかは、あれなんだけど、浴衣作るって言ってたばあちゃんの遺言? ほっとけなくて。いくらくらいかかるのか、とか、それとなく聞いてた。二人分、浴衣を作るとしたら」
 まじめなのか無神経なのか。なぜ二人分? とか思いながら、じゃあ浴衣代の半分は私が貯める、お互いに浴衣を作ってプレゼントしよう。そうして、おばあちゃんのお墓参りに行こう。そう、二年後の私の誕生日までに、それを目指して生きていける。生きるためのちょっとした土台ができたような気がして、大げさかもしれないけど、そのことで何か救われた。
「で、結婚は? 」
 籠原は曖昧な笑みを浮かべて、そっぽ向いてしまった。とおくでヒグラシが鳴いている。
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