第1話

文字数 1,880文字

7月のとある週末の、カラオケボックス。


午後8時を回ったころ。


私は同僚の英語教師の香織と二人で、他愛もない話に花を咲かせていた。


ウーロン茶を一口ぐびっと口に含んで、香織が堅物教頭の声真似をして見せる。

でさ、教頭が言うわけよー。


『市川先生、いくら英語の先生でも、居住まいは大和撫子であって欲しいものですね』


ウォッホン!

やだ、似てるー!
で、美由紀は今日、何かなかったのー?
え? うーん……
香織の言葉に私は、とある女生徒から預かった『記念写真』の事を思い浮かべた。

――そう言えば、


あの写真とネガ、持ってきてるのよね……。

ソファーの端に置いてある、自分のバッグにチラリと視線を向ける。

ん? どうしたの、突然黙り込んで。
あのさ、私の家って、お寺じゃない?
あ、うん、そうだったね。


それがどうしたの?

実はね、『修学旅行の写真に知らない女の子が写っていて怖いから、先生のところのお寺で預かってほしい』って女生徒に渡された写真があって……
うひゃー、何それ。ホンモノなの?
香織は興味津々で、テーブルの方に身を乗り出してきた。
見てみる?
見る見る、見せて~
上目使いに誘いの言葉を掛けると、香織は楽し気にうんうんと頷く。


私は、若干迷いながらも、バッグからあの写真を取り出してテーブルの上に置いた。

ほら、ここ。


ここに、知らない女の子が写っているっていうんだけど……。

どれどれー?
楽し気に写真を手に取った次の瞬間、
ひっ!?

香織の口から、息を飲む声が漏れた。

な、何、この写真……?
その声は、小刻みに震えている。


顔面蒼白になっている香織の様子に私は眉根を寄せた。

何って、知らない女の子が写っているだけでしょ? 


生徒達は、心霊写真じゃないかと疑ってたみたいだけどね。

み、美由紀……。

今まで見たことが無いほど真剣な香織の表情に、ただならぬ物を感じて、私は息を飲んだ。

何? どうしたの? 


まさか香織まであの子達と同じこと――

そこで、私の言葉は止まった。


香織が、私に見えるように、写真をテーブルの上へ差し出したからだ。


写真が目に入った瞬間、


私は、金縛りにあったように、その場に固まった。

な……、何これ?

酸欠の金魚のように、ただ口を開け閉めすることしかできない。


見覚えのある女生徒三人の、楽しげなスナップ写真。


肩を寄せてピースサインをする二人の間に、ナニカが居る。


逆立ち、まるで蛇が群がるようにウネウネと画面一杯に広がる長い髪。


細面の、青いような白い顔。


異様に大きな赤い唇は、色彩の少ない画面の中で妙に鮮やかで、禍々しい。


その口が、『ニタリ』と笑っていた。


そして――。


画面一杯に広がった黒髪に中に、無数の滝の飛沫。


いや、違う。

か、顔……?

大小様々な、顔。顔。顔。顔――。


その一粒一粒に、強烈な負の念が込もっているのを感じた。

違う。これは、あの時見た写真じゃない!

バチバチッ。


突如上がった怪奇音に、私と香織はギョッと互いの顔を見合わせた。


部屋の中には、予約を入れておいた曲が、この場の雰囲気とは不釣り合に明るくポップなメロディラインを刻んで流れていく。


私たちは耳をそばだてた。


我知らず、『ゴクリ』と唾を飲み下す。


その刹那。


プツンと、部屋の明かりが落ちた。

え!?
何!?

私たちが、ぎょっと腰を浮かしかけたその時、背後で誰かが笑った。

クスクス、


クスクスクスッ。

妙にトーンの高い、少女の笑い声――。


空耳などであるはずがない。


かすれた笑い声に宿る、禍々しいほどの邪気。


私は闇の中で救いを求めて、同じように体を震わせる香織の小柄な体にしがみついた。

み、美由紀、


早く、で、出よ――

香織が、恐怖にかすれた声を絞り出す。


支え合うように二人でどうにかソファーから立ち上がり、ドアの方へ一歩、二歩とおぼつかない足を進める。


が、がくんと私たちは動きを止めた。


ううん、止められた。


――足、


私の、右足首を、


誰かが、がっちりと、つかんでいる!?

ヒンヤリとした体温を感じさせない硬質の手の感触に、全身が総毛立つ。




クス、クス、クスッ……
今度は、耳元でハイトーンの笑い声が上がる。


あれほど震えていた香織の体からスウッと力が抜け、反射的に私は、香織の顔を覗き込んだ。

ひっ……!?

嫌だ。


こんなこと、あるはずがない。


私は、抗うように、ぎこちない動作で首を横にふった。


堰をきったようにあふれ出した涙のしずくが、顎を伝って胸元を濡らしていく。


ドアから入ってくる薄明かりに浮かび上がったのは、香織の顔じゃなかった。


おぞましいのに、振りほどけない。

クスクス、クスッ……


目の前であの少女がニタリと口角を上げるのを、私はなす術もなく、ただ見つめていた。




  ―了―




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