名前が無い街

文字数 2,000文字

「おい妖精」
「はい?コーヒー飲みます?」
「違う。この間の依頼者の契約書、どこ」
 えぇ?と困惑を零しながら棚の周りを飛んで探す妖精。光を反射する羽は、室内であってもその衰えない輝きがある。
「あっ、ありましたよ!ケルベロスさんの依頼書ですよね?愉快な方々でしたね」
 ペラペラと動く口は自分のものと比べると圧倒的に小さいのに、その音量は変わらない。3つ頭を持つ犬であるケルベロスは当然脳みそも3つあるから、それぞれが独自の思考を持っていて、依頼に来た際も煩かったものだ。
「どうぞ、探偵さん」
 差し出される依頼書とコーヒーを受け取ると、妖精は事務所の掃除に戻っていく。
 俺たちに名前はない。この地区に探偵は自分しかいないし、妖精は妖精しかいないから。職業や種族名で呼び合うことが多いのだ。
「そういえば二つ先の角にある煙草屋さん、お引越しするそうですよ」
「あぁ?どこで何するつもりだ」
「地元に戻るんですって」
「ほーん…珍しいな」
 今月の帳簿に狂いがないか確認して書き付けながら、妖精の雑談に付き合う。この地区は地元のハグレ者たちが集う、受け皿のような街として一部では有名な所だ。手のつけられない素行者か、何かがズレている異端児か。一度この地区に住み着いた奴らは、余程のことがなければ離れていかない傾向にある。それも、地元に帰るだなんて。
「随分とお人好しな奴だったのにな」
「少し寂しいです」
 その小さな体を覆い隠すサイズの雑巾を抱えた妖精が、肩を落としながら洗面所の方へと飛んで行く。程なく手を空にし、幾分軽さを取り戻して帰ってきた妖精は、つけっ放しのテレビを見て飛び上がった。
『後藤選手、素晴らしいトリプルアクセルを決めました!』
 氷上を滑るフィギュアスケートの映像。ジャンプの瞬間、削られた氷がキラキラとした粒を選手に纏わせた。
「わ、今の凄いですね!」
 妖精は真似をするように、両手を広げてクルクルと回った。
「遜色なくできてるじゃねーか」
「回ることはできますけど。私、ジャンプはできませんから」
 妖精は自分の腰辺りをさすった。履いているボトムスが不自然に揺らめく。まるで中身がないかのように。
 いや、まるで、ではない。妖精には足がないのだから。
 妖精は、奇形児なのだ。
 と、そこで一瞬流れた居た堪れなさをかき消すかのように、インターフォンが鳴った。
「お客様かも!」
 羽を震わせながら玄関へと向かう妖精の後ろ姿に、大人げなくホッとした。
「探偵さん、お客様ですよ!」
 妖精に連れられて入ってきたのは、薄緑の体で頭の上に皿を乗せた河童だった。童と名に冠するだけあって、ソファに座っても足が床に届かない小さな姿が少し愛らしい。
「依頼か?」
 コーヒーを用意するためにキッチンへと飛んだ妖精の後ろ姿が軽やかなことを確認して、河童の正面へ座る。
「そう。煙草屋が引っ越す話は聞いたかな?」
「さっき聞いた。地元に帰るそうだな」
「それ!ねぇ、どんな理由があるのか、調べてくれない?」
 探偵に来る依頼というのは、依頼者が何かしら被害にあっていて、加害者が誰なのか、理由はなぜなのかを明かしてほしいというものが多い。だが、話を聞く限り河童は特に被害を被ってはいないようだ。
「河童が煙草屋と懇意なんかよ」
「よく買ってるんだ」
「ちいせぇ体で煙草なんて吸って大丈夫なんか?」
「そこをうまく調合してくれるのが煙草屋なワケ。いなくなられちゃ困るんだよ。地元に帰るなんて滅多にないだろ?」
 それは、まぁ。珍しいものだと先程話していたばかりだ。
「俺は人間絡みのトラブル専門なんだがなぁ…。各種族のイザコザなんて知らねぇし」
「人間絡みじゃないとも限らないでしょ。いいよ、人間絡みかどうかをまずは調べてくれるだけでも」
 それなら、と身を乗り出した自分に、河童は決まりだね、と言わんばかりに依頼書にサインをした。
「進捗があったら連絡する」
「引越しまで時間もないだろうから、早めに頼むね」
「分かった」
「あれ、もうお帰りに?」
「うん、話が早くて助かったよ」
 依頼の主旨に入る前に長々と愚痴をこぼして長居する依頼人も多いから、妖精からしたら意外だったらしい。
「じゃあね、狐の探偵さん。化かされないことを願ってるよ」
 河童にとっては軽口のそれに、妖精は一気にムッとした顔になる。探偵さんはそんなことしません!という力強い声が聞こえた気がして、はは、と笑いが漏れる。
「当たり前だ。そんなことしてみろ、一気に商売上がったりだ」
「あなたの種族の特性より、あなた自身の長年の実績を信じるよ」
 じゃあ、また。そうヒラリと手を振って去っていく飄々とした河童の背中に、妖精がベーッと舌を出した。

 名前があるのは人間や人間に愛玩されている動物ばかり。
 名前のない探偵が営む探偵屋は、狐にしては珍しいでしょうが、騙しも化かしも致しません。種族問わずご利用をお待ちしております。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み