文字数 1,968文字

 私は、ただの怪談好きのライターだ。「視える」わけでもなければ「祓える」わけでもない。

 この話を聞いたのは、道に散った桜が踏み荒らされて茶色く濁っていたころ。

 指定された喫茶店に向かうと、彼女は先に到着していた。待たせてしまったことに断りを入れ、簡単な挨拶を済ませる。大きな窓を背にして座る姿は、どこか素朴で清楚な雰囲気を纏っている。
 以下、彼女のことは「A子」と表記させてもらう。

 A子が彼と——B男と出会ったきっかけはマッチングアプリだという。いわゆる出会い系だが、今は学生も多く使っているらしい。
 数ある男の中からB男を選んだ理由は、掲載された写真を見たときに「ビビッときた」そうだ。それから連絡先を交換し、実際に会うに至ったと話す。
 ふたりにはカメラという共通の趣味があり、対面しても会話は弾んだ。
 暫くしてB男がトイレに立ったとき、携帯が鳴った。受信したのは、B男からのメール。
「あなたが好きです」
 知的な印象があってのギャップというやつだろうか。そのとき、彼のことを可愛らしい人だと思ったそうだ。
「あなたは美しい」
 続けて届く。A子はあえて返信せず、トイレから戻った彼の様子を見て楽しむことにした。
 しかし、席に戻ったB男はあまりにも普通だった。好きな写真家の話をふられ、メールのことは切り出せなかったという。携帯を机の上に置き、そのまま話に乗る。
 話の最中、携帯が二度鳴った。ちらりと画面に目を向ける。
「あなたを愛しています」
 B男からのメールだ。彼の両手はアイスコーヒーを握っていて、そんな隙はなかったはずなのに。
 続いて受信。
「家に来て欲しい」 
 好意的な感情は一変、恐怖とまではいかずとも奇妙に思ったという。その間もB男は気にもとめず、話を続けていた。
 ふとB男が、「前に写真集を作ったことがある」と照れ臭そうに言った。素人の遊びだと自虐したが、それでもA子は惹かれた。
 その旨を伝えると、B男は提案する。
「ぜひ見て欲しい、今から家に来てくれないか」
 興味はあるが、初対面の男の家に一人で行くのは不安だからと正直に断った。
 しつこく誘われることもなく何気ない会話を楽しみ、B男は先に会計を済ませて帰って行ったそうだ。
「私も帰ろうか」
 席を立ちかけたとき、さっき受信したメールを思い出す。読み返すべく携帯を手にとった瞬間に三枚、画像が送られてきた。B男からだ。

 すこし前から、A子の表情は引き攣っていた。ついに黙り込んでしまい、画面に表示された写真をそっと私に見せる。
 暗くて画質が悪い、ボケた写真。
 もしや、この黒い部分は髪だろうか? それに気付くと全貌が見えてきた。フローリングの床に引き倒された女性。その横顔は、血液? 吐瀉物? 液体で汚れている。女性の顔を踏みつけている足は、撮影者のものだろう。骨ばった足の甲からして男性のようだ。
 A子が携帯を操作し、次の写真を表示する。
 先程よりも暗く、見え辛い。
 ……肉? 
 「肉」が女性の胴体だと理解するのに時間を要したのは、両手足と頭が切断され、逆さに吊るされていたからだ。女性の性器か肛門から、縄か紐のようなものが伸びている。場所は風呂場だろうか?
「鏡を見てください」
 A子が目を伏して言った。私は鏡に注目する。
「お借りしてもよろしいですか?」
 無言の了承を得て写真を拡大すると、鏡の中にぼんやりと影があった。色調補正でもできれば良いのだが。そう思ったが、涙目で震える彼女が許しそうにない。諦めて凝視する。
 歪な赤い顔。
 表情が歪だとか、そういう意味ではない。
「彼です」
 顔そのものが歪み、崩壊しているのだ。
「どうしてわかったんですか」 
 こんなに崩れているのに、とは続けない。
「送られてきたときは、普通の顔だったんです」
 A子は嗚咽しながら言う。
「それに、赤くなかった」
「人間の色だった、ということですか」
 赤いのは返り血かと思ったが、そうではないらしい。A子は口籠った。
「それとも、もっと別の……」 
 A子は首を縦に振る。
 言わなかったが、再び写真を見たとき、鏡に映った顔がぐにゃりと曲がった。
「次で最後です」
 今度の写真は比較的鮮明だった。
 狭い台所の流し場をいっぱいに満たしている、肉と内臓。赤く濡れ、テラテラと光っている。奥には灰色や黄色やピンクが渦を巻いていた。


 話が終わったあと、A子を家まで送り届けた。彼女の言葉を借りるなら、「ビビッときた」。だから、そうした。
 明確に言うと、確かに彼女の後ろに、窓の外に、カメラを向けてぼんやりと立つ男の姿が見えたからだ。
 冒頭を繰り返すが、私は「視える」わけでも「祓える」わけでもない。
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