第1話

文字数 1,483文字

 とある学生マンションの一室に、一組の男女が居た。二人は何をするでもなく、ただ黙ってだらだらと経過していく時間を同じ空間でやり過ごしていた。このような何の意味も生産性もない時間が、いつからか彼らにとっての日常となっていた。
 おもむろに、女の方が煙草を取り出し、それに火をつけた。吐き出しされた煙が、少しずつ部屋を白く埋め尽くしていく。
 彼女はこの家の家主であり、ついでに、傍らに座る男のサークルでの先輩に当たる。そんな関係性もあり、男の方はこの傍若無人な振る舞いを無理矢理止めさせる訳にもいかなかった。しかし黙って副流煙に晒されるつもりもないらしく、静かに立ち上がると換気のために窓を開け放った。
 「閉めてよ、寒いだろ」
 すかさず女はそれを妨害する。
 男は少しの間、窓に手を掛けたまま静止していたが、やがて諦めたようにゆっくりと窓を閉めた。せめてもの抵抗として、少しの隙間を残したまま。女も流石にそこまでは咎める気にはなれず、隙間から流れていく煙草の煙を名残惜しく眺めていた。
 「あーあー……勿体ない」
 「こんなもので寿命を削る方がよっぽど勿体ないですよ」
 「うるさいなあ。君、そんなだから友達少ないんじゃない?」
 「先輩こそ、こんなだから誰も部屋に来ないんですよ」
 「別に良いんだよ、それは」
 かるく詰り合った後、二人はまた押し黙った。数分後に再び口を開いたのは女の方だった。
 「観葉植物ってあるじゃない?ほら、あそこに置いてあるやつみたいな」
 「ありますけど、それがどうかしました?」
 「あれってさ、何であんな地味な見た目してるんだろうな。観葉植物なのにさ」
 「まあ、確かに地味と言えば地味ですね」
 「不思議に思って調べてみたらさ、室内で育てるから光が足りなかったり、昔のガス灯からは植物を枯らす物質が出てたりって結構色々な障害があったらしいのね。それに耐えられる植物が奴ららしい」
 「いや、もう知ってるんじゃないですか。結局何が言いたいんですか?」
 怒ったような口調で問い掛ける男に対し、女は意味ありげに答えた。
 「要するに、生活を共にするような相手は減点法で選べってことさ。一緒に居ることが苦痛にならない、多少毒を吐き散らかしても問題ないような相手を見つけなきゃいけないんだよ」
 「成程、まあ、少しは理解できましたけど。僕の基準はまた違いますね」
 「へえ……じゃあ、君のやつはどんなだい?」
 男はこともなげに答えた。
 「減点法ってのは同じですけどね。大事なのは一緒に居て苦痛にならないことじゃなく、失っても苦痛を感じないことですよ。大事に愛でていた花が枯れたら悲しいでしょう。その点、地味な草なら、突然失くなっても暫くすれば忘れてしまえる。無理に愛する必要がないっていうのが、最も優先すべき条件ですよ」
 女はそれを聞いて、暫く複雑そうな表情で黙っていたが、ふと思い付いていたずらっぽく尋ねてみた。
 「じゃあさ、もし私が死んだら、君は悲しむのかい?それとも、悲しまない?」
 「……何ですか、それ。意味分かんないですよ」
 「いいから答えなって」
 「……まあ、先輩には香典もご祝儀も払いたくないので、僕が死ぬまで結婚式も葬式もしないで下さいね」
 皮肉たっぷりの返答に女は少しむっとした表情をしたが、男の言葉を何度か反芻した後は、力の抜けた、困ったような笑顔を浮かべていた。
 その顔を男の方に向け、横顔に目一杯煙を吹きかけた。
 「うわっ、いきなり何するんですか」
 「さあ、何だろうね。怒ったのなら手でも出してみなよ」
 窓の隙間からは、相変わらず白い煙が漏れ出ていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み