第1話

文字数 1,197文字

 ある日私はうつ病になった。心の病だ。
 四桁の数字が覚えられなくなった。相手の言葉がうまく理解できなくなった。まぶたがいつもけいれんしている。そして体中が痛い。人に会うのも人混みに入るのも恐ろしい。カレーライスが味気なく感じる。息抜きにと小説を読むと目が回って吐き気がする。私は本屋の店員なのに何たる体たらく。すべてが悪い冗談のようだった。
 心療内科を受診すると、医師は今すぐに長期休暇を取るよう私に勧告した。診断結果は身体表現性障害。心の病を我慢し無理に抑え込んだストレスが悲鳴のように体中を痛めつけていたのだ。それから苦しい闘病生活が始まった。働き盛りのど真ん中で、心も体もボロボロの状態となってしまった。
 私は小さい頃から聖書を読んでいた。福音書に登場するイエス様に憧れた。時の権力者を恐れずに正しいことを叫び、人々を救っていくイエス様は私のヒーローだった。しかし心の病になってから、それまで毎日のように開いていた聖書を開かなくなった。文字を読むのがつらかったのもあるが、イエス様のように生きられない自分はもう聖書を読む資格などないと思った。
 そうして一進一退の病状を繰り返して丸四年が過ぎた。仕事にも復帰し、その頃には短い文章なら読めるほどには健康も回復していた。ある日ふと、再び聖書を開いた。何かおかしい。読むうちにイエス様よりも、やたらと周囲の登場人物が気になっている。
 例えば支配者に協力して税を取り立てていた嫌われ者の取税人ザアカイ、例えば物乞いをしなければ生きていけなかった盲目のバルテマイ、例えば十二年もの間長血を患い出血が止まらなかった女性。社会から疎外され、あるいは負い目を抱えて生きていた人々の痛みが、私の心にとげのように刺さってくる。それはきっと私自身が傷つき、痛みや悲しみを通ったからだろう。彼らとイエス様の間で繰り広げられる救いの物語が、まるで自分のことのように胸に迫ってきた。
 年が明けて、会社の新年行事でスピーチをしなければならなくなった。新年のおめでたい時に、その年の年男と年女がスピーチをする。今どき古臭い社内行事だが、とにかく四十八歳になる私は皆の前で話をしなければならない。社員皆の前で。
 司会者に促されて立ち上がり、マイクを握った。不安と緊張で口が乾き、頭は真っ白になっている。その時。私の口から出てきた言葉は、この数年間支えてくれた同僚や上司、家族へのあふれる感謝だった。話しながら自分でも何を言い出したかと驚いた。驚きながら涙がとめどなく流れてくる。数年ぶりに流す心地よい涙。それは聖書を読んで私の心が救われた証だった。二千年前に書かれた記事と同様に、聖書は今も人々を救い続けている。そのことが私の身にも起こった証だった。
 そういうわけで時を経て私はもう一度聖書を好んで読んでいる。それは私の大好きなヒーロー、イエス様に会いに行くことだからだ。
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