カメラとユートピア

文字数 2,375文字

 「……えらく皮肉の効いた名前だな」
 
 男が口端を吊り上げる。
 「そうかな」とだけ呟き、私は曖昧に首を傾げてみせた。


 
 ゆめをみる店、クラブ・ユートピア。

 そんな粗雑な売り文句を掲げるこの店は、有り体に言えばただの水商売だ。どれだけ綺麗な言葉で飾ってみても、寂れ始めた繁華街の端に佇む、小さな風俗店にすぎない。

 しかしながら、社会全体に外出自粛を強いた流行病や年々厳しくなる摘発によって競合店が次々と店仕舞いする中、この店が生き長らえているのにはそれ相応の理由がある。
 
 クラブ・ユートピアは、客の理想や夢、欲望を、この店のもてる力の全てによって実現するのだ。
 
 時には単純な性欲を、時には過ごし得なかった青春を、時には赦されざる罪を。
 どんな形であれ、客の夢を小さな個室の中で忠実に描き出し実現する。相応の報酬を支払うだけの能力があれば、夢のような現実を目の当たりにできる。まさに"ゆめをみる店"だ。
 
 目の前で嗤う男もそんなクラブ・ユートピアで夢を見る客のひとりであり、私はその夢を実現する(みせる)名も無き従業員のひとりである。



 桃色と呼ぶにはグロテスクすぎる、鮮やかな色彩が薄暗い個室を照らしていた。こんな臓腑(はらわた)のような色の照明に淫猥や艶美を見出した先人達とはどうにも仲良くなれなさそうだ、とぼんやり思う。
 そんな私の呆けた表情をどう捉えたか、男は得意気に話を続けた。

「ユートピアってのは現代じゃ桃源郷と混同されるけれどね。トマス・モアの描いたユートピアは合理的なだけの理想社会だよ。財産の私有も無ければ犯罪も無く、個性も無い。理想社会であるが故に、これ以上の歴史が紡がれる事もない」

 仕方なく「うん」と相槌を返してみせる。
 どれほど理解の及ばない話であっても、私の耳は情報を脳に直接送り込む事を止めない。耳にシャッターを下ろせたらどれだけ便利だろうか、と、また関係の無い事を思う。
 
「つまりは人間の欲望が完全に無視された世界だ。個々人の感情が金を産むこの店とは対極だろうね。それなのにこの店はユートピアを名乗る。非常に興味深いね」
 
 そう語る彼の目元には優越感が滲んでいた。その下の隠し切れないクマや(しわ)の数が、本来の人間社会における彼の地位を表しているのかもしれなかった。まぁ、この個室では金以外の何もかもが無意味なのだけれど。
 
「詳しいんだ」
「まぁ、な……さぁ始めようか」
 
 彼は少し骨張った腰に手を添えた。そこからゆっくりと下へ這わせた手が、スカートの裾を捲り上げ弄ぶ。セーラー服を模したチープなプリーツスカートが、その手によって容易に規律を乱す。歪んだ欲望の形に、背すじがゾクリと粟立った。

 男が持ち込んできた一眼レフは、私でも知っているくらいに高級なモデルだった。このカメラもこの世に生まれたときはこんな被写体を写すなんて夢にも思っていなかっただろうけれど。
 カシャリ。個室にシャッター音が響いて、男がレンズ越しに微笑む。

「いいね、カメラに慣れてる。よくこういう客が来るのかな?」
「たまにはね」
「最高だ」

 カシャリ。
 カシャリ。

 そんな会話の合間にも、カメラは瞬間を切り取る。その度に男の唇が歓喜に打ち震えるのが見える。
 
「次は……四つん這いとか」

 床に手をつき、腰を上げる。猫が伸びをするようにゆっくりと背中を反らして、短く頼りない上着の裾から無防備に脇腹が覗く。
 
 カシャリ。
 カシャリ。
 
「さて、どんなものかな」
 
 起き上がり、画面を一緒に覗き込む。
 セーラー服を着るような年齢ではもちろん無いけれど、歳の割には鍛えている身体だと思う。ぼかした背景の前で艶めかしく素肌を露わにする姿は、見る人が見れば煽情的に見えるのかもしれない。
 
 男は恍惚とした表情で「綺麗な腹斜筋(ふくしゃきん)だ……」と呟く。

「あぁ、いや、最近少しばかり筋トレに凝っていてね。昔は鍛える必要を感じてすらいなかったけれど、いつまでも二十代のような引き締まった体ではいられないからな」

 成程、と解ったような解らないような曖昧な頷きを返すと、男は定位置に戻ってゆく。

「後ろからのアングルも欲しいな。見返り美人とよく言うだろう?」

 そう言って男は笑う。美人ではない、という意味のジョークだろうか、それとも?
 一瞬思考したが答えは出ず――いや、出す必要もなく、私は淡々と男の指示に従う。

 カシャリ。
 カシャリ。

 肩越しに目線を合わせてみたり、伏し目がちに逸らしてみせたり。その度にスカートが揺れて、純白の中身が覗く。悪事を働いている訳でもないのに何処か(やま)しさを覚えて、私は一度だけ目をぎゅっと瞑った。



 何十枚と写真を撮り続けていると、タイマーの音が響いた。残り時間が僅かであることを告げる無機質なアナウンスが、男の高揚を少しだけ現実に引き寄せる。

「あぁ、もうそんな時間か」
「やり残したことは無い?」

 私の問いに、彼は少しだけ言い淀んだ。この期に及んで恥とか遠慮とか無いと思うけど、という言葉は彼の自尊心の為に心の奥に仕舞い込む。
 一寸の間の後、男は目を逸らして欲望を言葉にする。

「……最後に一つ、撮りたいものがあるんだ」


 
 仰向けに寝そべり、両腕と両脚を広げる。(しわ)の付いたセーラー服が捲り上がる。
 犬のような服従のポーズと、それを見下ろすカメラのレンズ。欲望も、劣情も、何もかもを曝け出していた。レンズ越しに、男の頬が紅潮し興奮を露わにしているのが見て取れる。

「は……はは、最高に最低だ……!」

 抑えきれない熱情を口端から漏らしながら、男は甘美な忘我にただ浸る。蕩けた瞳が桃色の光を湛えて揺れた。

 
 
「ほら――」

 彼は私の脚を撫で、そのまま優しく導く。

 
 
「ここに乗せて……」

 
 
 セーラー服から覗く彼の腹に、ヒールを履いた足をかけて。
 
 私は最後のシャッターを切った。
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