第1話

文字数 1,639文字

拝啓



 母さん、お元気ですか。あまり便りを送れなくて申し訳なく思っています。

 十月に入り、既にここの人々は皆クリスマス休暇の予定について話しています。生まれたばかりの子に会いに行く者。両親と静かに過ごす者。ここに残って賭け事に興じる者。皆他の誰とも変わらない休暇を望んでいます。


 八月にとある事件がありました。私と同じ部隊の監視兵が西に亡命しようとした二十にも満たない若者を銃撃しました。その若者は東側に倒れました。うずくまって動かない彼に、西の人たちは包帯や酒を投げ込んでいました。みるみるうちに彼が弱っていくのがわかりました。西の兵士たちは助けに来ることが出来ず、我々もまた境界に近づくのがあまりに恐ろしくって、ついに助けにいくことはありませんでした。彼は死にました。

 人々は我々を批判します。もしあの時私が彼を助けに走っていたら、何かが変わっていたのでしょうか。私は生まれて初めてあれほどの出血を見て、どうしようも無く怖くなりました。私には母や弟たちがいます。私は間違えたのでしょうか。


 私は今でもたまにヨーゼフさんの話を思い出します。果物屋のカールおじさんの双子の兄で、大戦で英仏軍に殺されたヨーゼフさんです。小さい頃、カールおじさんは私が果物を買いに行くといつも戦争の話をしました。母さんは私の帰りが遅いのは寄り道しているからだと思っていたようですが、本当は違います。カールおじさんは私を居間まで招き入れてフルーツを剝きながら、戦争の話をしていたのです。その多くはヨーゼフさんの話でした。

 ヨーゼフさんは迫撃砲小隊の隊員としてフランスに渡りました。まだドイツが連合国軍を圧倒していた時のことです。フランス侵攻に際して、迫撃砲隊を抱えるドイツ軍師団は英仏軍の隙をつき、英仏海峡周辺で敵軍の左翼を包囲しましたが、ヨーゼフさんの部隊は反撃にあいました。戦局はこちらが有利でしたからドイツ軍は勝利を収めましたが、ヨーゼフさんは英仏軍の銃弾に倒れました。戦後、カールおじさんは同じ部隊に所属していた兵士から「ヨーゼフは三日間呻き続けて死んだ。」ということを聞いたそうです。カールおじさんの手に残ったのは、彼が苦しんで死んだという事実と、ナチスからの勲章だけです。

 母さん、銃撃に当たって死ぬのは苦しいことです。もし私が女子供を撃っても、母さんは私を愛してくれますか。


 ここの人は皆、お前は考えすぎだと言います。確かに私は小さい頃から大の心配性で、体のどこも悪くないのに医者に連れていって欲しいと泣き喚いたりしましたが、考えるのを止めることほど私にとって恐ろしいことはありません。私は何度か試しました。しかしその度、まるで死の淵を覗いているような悪寒がするのです。

 このことを以前指揮官に相談したこともあります。指揮官は「悪寒とはどんなものだ?」と私に聞きましたので、私は「死を思い出します。」と答えました。すると指揮官は歯をぐっと食いしばり、瞳孔の奥から突き刺すように私を睨みつけ、「死とは支配されることだ。それが西と東の戦いなのだ。ただここで銃を構え監視していることだけが、お前がベルリンを支配している瞬間なのだ。支配されるな。さすれば世界がお前を支配する。」と言いました。
私は支配するために生を受けたのでしょうか。私には地に倒れる人を想うことは許されないのでしょうか。この世界には、生と死が、兵士と市民が、キャピタリズムとコミュニズムが、西と東があるだけなのでしょうか。私は母さんの子ですか。それとも東の監視兵ですか。


 クリスマスには五日ほど帰るつもりです。クルミが沢山入っている母さんのシュトレンの話をすると、皆とても羨ましがっていました。どうか私のために、いつも以上に沢山焼いてください。フリードリヒシュトラッセの商店街に寄っていきますので、弟たちにどんなプレゼントが欲しいか聞いておいてください。では、お体に気をつけて。



チェックポイント・チャーリーより愛をこめて
ミヒェル
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