僕の記憶の話

文字数 2,647文字

『ねぇ、先生は私を忘れないでくれる?』




赤と青が入り混じった御伽噺のように綺麗な空がよく見える窓際のベッド。

僕の方を見ることなく、外ばかりみていた君が言ったその一言。

あれからうんと時が立ったけど、ちょっと高い君の声も、涙を堪えて必死で見せる笑顔も全部僕はまだ覚えている。




君と僕が出会ったのはまだ僕が研修中だった頃だ。

「ナナくんは、一通りの仕事は完璧だね」
「はい。問題ないと思います」
「あとは患者さんの心のケアかぁ。ナナくんにできるのかなぁ」

そう心配そうに首を傾げる進藤さんは、角部屋の方をちょっと見ると、勝手に一人で頷いた。

「まぁ、あの子なら大丈夫か。多少失敗だったとしても」
「805号室、真砂海佳さまですか?」
「そうそう海佳ちゃん。あの子小学生なのよ」
「小学6年生ですよね」
「さすが、よくわかるね」
「全て覚えています」
「あの子さ、もう治らないのよ多分。重い心臓病で。だからまぁね、失敗しても……ね」

その言葉が本気だか嘘だかわからななったけれど、どうやら僕のコミニュケーション能力にはよほど信頼を置いていなかったらしい進藤さんは、幼い子で試してみたかったらしい。

確かに小学生の、ましてもう長くない子なら僕が多少失敗しても怒ることなどはないだろうと思ったことには納得できた。

画して、僕は海佳ちゃんと話すようになった。

初めの頃は実際海佳ちゃんとのコミニュケーションはうまくいかなかった。

「また薬を飲んでないですね?」
「ちょっと!何で気がつくのよ」
「当然でしょう。それが仕事なので」
「だって、苦いんだもん。ナナ先生にはその気持ちわかる?」

他の患者さまとはそもそもほとんど会話という会話はせず、事務的な仕事をすることが当然だったからだろう。一層、海佳ちゃんも言う「ナナ先生」という響きが自分を表していることにはじめのうちは慣れなかったものだ。

「わかりません。苦くはないので」
「そりゃナナ先生はそうかもだけど。海佳にとっては苦いんだもん」

そう言っては薬を飲むことを拒否する海佳ちゃんはかなりの問題児だったのだ。もしかしたら進藤さんなんかはそんなめんどくさい海佳ちゃんとのやりとりに疲れてしまったのかもしれないな、と憶測を立てつつも僕は彼女の頭をぽんぽんと叩いた。

「では、しっかりと飲めたらご褒美をあげましょう」
「え?ご褒美!?なに、なに?」
「なんでも。海佳ちゃんの望むものを」
「えーとね。じゃあ、ナナ先生のお手紙」
「お手紙ですか」
「そう、頑張れー!って海佳のこと応援してよ」

正直なところ手紙なんて書いたことがなかった。それでも海佳ちゃんが望むのなら仕方ない。僕が覚悟を決めて頷くと、嬉しそうに顔をくしゃりと綻ばせたその顔が僕にとってのはじめての宝物になった。

結局テンプレート通りに書いた手紙は「硬すぎる」と怒られてしまったけれど。そのあと、海佳ちゃんは僕に丁寧に手紙の書き方を教えてくれた。

他にも、不安で仕方ないと泣いている時には手を握ることや、頑張ったねと一緒に喜ぶときにはぎゅーっと言ってハグをすること。寝れない夜には小さな声で歌を歌うことや、綺麗な空は一緒に見上げること。秘密で食べるお菓子は分け合うと美味しいこと。

全部全部、彼女が教えてくれたのだ。

いつの日からか僕の日常や記憶は彼女で満たされるようになっていた。あれほど心配していた進藤さんも、

「ナナくん、コミニュケーションもちゃんとできるじゃん」

と言ってほっとしていたようだった。

だけど、彼女の命はあまりにも短かった。それは本当に。僕たちには想像もできない程に。

最期の日の彼女は昨日までみたいに物語のヒロインのような無邪気な笑顔は見せず、ただじっと外を見ていた。

まるでたった一日で残りの人生の全ての分、一気に歳をとってしまったようだとすら感じた。

そして彼女は僕が部屋に入ったことに気がつくと、一人で空を見上げたまま呟いたのだ。

「ナナ先生、私怖いんだ」
「……なにがですか?」
「死ぬこと。怖いのとてつもなく。変だよね、人間はいつか死ぬのにね」
「怖いと思うことが当然だと僕は思います」
「そうかな?でも、先生。私がなんで怖いかわかる?」

その質問は途方もなく遠いものに聞こえた。僕が分からず、その先を続けられずにいると、その日初めてくすっと海佳ちゃんは笑った。

「ぜーんぶ。消えちゃうから。私が。私の体とか心もそうだし。それに段々、みんなの中からも私の記憶とか消えてっちゃってさ。最後には私がいたことなんてぜーんぶなくなっちゃう。それが悲しいの」

そう言った君があまりにも美しく、もうすぐに壊れてしまうのだとわかったから。

「ねぇ、先生は私を忘れないでくれる?」

そう呟く儚い彼女を捨てて時を進めていく地球が恨めしく、この世の不条理が許せないと思えた気がした。

だから僕はその日決めたのだ。

何があっても僕だけは彼女の声や表情や、発した言葉の全てを覚え続けていようと。

それから病院での仕事をしていた僕は、やがてもう使いものにならないからと別の仕事をすることになった。

ビルの清掃員、工場の組み立て、道路の案内人、果ては壊れてしまった機械の処理をする廃棄場で働くことになっていった。

「お前、いいのか。確かにもう病院に戻すことはできないが、きちんとアップデートすればもう少しマシな仕事ができるんだぞ」

そう言われてきたことは何度もある。でも、それは嫌だった。

こんな、人の道具として生まれてきた僕が。
病院の医者ロボットの7代目として開発されたはずの僕が。人の苦しみも痛みも、薬の苦味すらもわかってやれなかった僕が。

唯一できることは彼女の記憶を忘れないことだけだったから。

機械はアップデートさえしなければ、広い容量の中に確かに彼女のことを仕舞い込んで置くことができた。

それこそ、僕が彼女から聞いた一言一句その全てまで。

だから僕は、僕が古くなり使えなくなっていくたびに、多くの機械が初期化をしてアップデートをしてできるだけ新しく使える状態になるように自分でレベルアップしていく姿を尻目に、ただひたすらに彼女の記憶を守ることだけに徹した。

小さな一つすらも忘れるのが嫌だったのだ。ただ。

きっともうすぐこの仕事すらも僕はできなくなる。そしたら今度はあのゴミの一部となって本当に壊れてしまうまでただじっと座り続けるだろう。

それでも、見上げた空が綺麗だから。

記憶の中の彼女と一緒に見ているように思えて、僕は幸せなアンドロイドなのだとそう感じずにはいられないのだ。

……keep going on
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