文字数 3,513文字

 いつもよりもすっきりと目が覚めたあたしは、軽く伸びをして部屋の窓を開けた。昨日より少し湿気を含んだ風が部屋の中を通り抜けた。まぁ、いつも気持ちの良いものばかりではないと諦め、身支度を済ませてからキッチンへ。不機嫌な母親とにこにこの父親の対照的な顔を見ながらの朝食もすっかり慣れ、食べ終わったらすぐに後片付けをして庭の手入れへと向かった。手入れといっても昨日ある程度は済ませていたので、できることといえば見回る程度でしかなかった。だけど、これもおざなりにはできないという気持ちがあってか、すぐに終わるはずなのだが数十分時間をかけて見て回っていた。
 もう見るものもないという位に庭を見てから倉庫へ向かう途中、湿気を含んだ風が強く吹いた。びゅうという音と共にあたしの髪の間を通り抜け、地面にあった落ち葉をすくい上げた。はらはらと舞いながら落ちる葉が地面に付くか付かないかというタイミングでまたびゅうと音をたてて風が吹いた。蛇のようにうねるその風はまるで意思があるようにも思えたあたしは急に怖くなってバケツを放り出して家の中へと逃げ込んだよ。扉を閉める音が大きかったのか、それにびっくりした母親が怒鳴り声をあげるけど、それを無視してあたしは自分の部屋へと逃げるように入った。窓も扉もぴったりと閉めて音を遮断したつもりだったけど、その隙間から大音量の風の音が窓や玄関の扉、外壁を激しく叩いていた。

「おい開けろ!」
「中にいるのはわかってるんだ」
「出てこないならこんなちっぽけな家を壊してやろうか」

 と、風が不安に怯えている村の人たちを脅かしに来ていた。あたしも怖くてベッドの中で縮こまっていたそのとき、玄関の方からばきんという大きな音が聞こえた。何事かと思って様子を見に行くと、そこには大きな口を開けた玄関

ものがあった。さっき、庭の手入れをしていたとき、確かに取っ手を捻って開けて中に入った外と家を隔てる小さな木の板は暴れる風の波に飲み込まれていた。隔たりがなくなった家の中に砂と小石が混じった風が流れ込んできて、手や足、顔にびしびしと当たって痛かった。あたしは咄嗟にまな板で顔を守りながら外の様子を窺おうと風に吸い込まれないよう少しずつ少しずつ進んでいくと、何かに足首をがしっと掴まれた。それも凄まじい力で足を動かそうにも動かせないでいると、低くてくぐもった声が聞こえた。
「あんたが……あんたが悪いのよ……この……疫病神が……!!!」
 声の主は母親だった。何かがぶつかったのだろうか。頭からどくどくと出血をし、それが額へ伝っていた。足は捻ったのだろうか、まるで這うように動く母親を見て一瞬、小さな悲鳴は出たもののまずは手を放してとお願いをした。
「……あんたのせいで……あんたのせいで……こんな目に遭ったのよ……責任取りなさいよ」
 必死にお願いをするも聞く耳を持ってくれない母親が段々と怖くなり、あたしの声はそれに比例して震えていった。
「いや……離して! お願いだから……!」
「離す……ものか……あんたも……道連れにしてやるんだから……ね……」
 なんでそこまであたしに恨みを持っているのかわからない。外では暴風、家の中では母親から足首をがっしりと掴まれて動けないという二重の恐怖があたしを襲った。一人で暴風に吸い込まれていくのか、母親と共に暴風に吸い込まれるのか二つに一つという状況の中、奥の寝室から父親が現れ、暴風に気を付けながらあたしを母親から引き剥がした。
「あ……あんた! 裏切るつもりかい?」
「そんなつもりは……ないけど。でも、これ以上は黙って見てられないっ!」
「あ……ああああ……止めておくれ……お願いだ……あああああっ!!」
 父親はあたしと母親を遠ざけるのと同時に、母親を暴風の中へと放り出した。何度もぐるぐると回されながら空へと舞い上がっていく母親の声は次第に聞こえなくなっていた。聞こえるのは、外で暴れる風の音だけだった。
「だ……大丈夫だったか。もう大丈夫だから」
「で……でも……」
「気にするな。今はこの状況をどうにかする方が先だ。何としても生き延びよう」
 父親に言われ、あたしは小さく頷いた。でもどうしたらこの状況を脱するのかがわからないあたしは、ただ父親の腕をぎゅっと握っていた。その間にも暴風はあたしたちを嘲笑うかのように外で暴れ狂っていた。ずっと耐えてどのくらいの時間が経過したのか。吸い込む力が弱まったのを感じたあたしは父親に合図を送り、恐る恐る外の様子を窺った。
「なんてことだ……」
 その様子は今朝までに見た村ではなかった。まるで巨大な爪で引き裂かれたかのように抉れた地面、あちこちに転がる植木鉢の他にもどこかの家の屋根も転がっていたりと思わず目を疑ってしまうような光景が広がっていた。風が通り過ぎたあとはなんとも無残な現実しか残っていないということに頭の中が真っ白になった。
「どうしよう……」
 呆然と立ち尽くすあたし。あたしの胸の中に広がる虚無感がじわじわと広がり、足はがくがくと震えた。目には涙が溢れ声が漏れた。そんなあたしを優しく慰めてくれる父親も、声には出さないでいるけどあたしの頭に置いてる手は微かに震えていた。
 まだ落ち着きが取り戻せていないあたしの耳に何かが聞こえた。今にも消え入りそうな声だったから、最初は気のせいかと思ったけど注意して耳を傾けているとそれは女性の声にも聞こえた。微かな声を頼りに進んでいくと、そこはいつもお菓子をくれるおばちゃんの家だった。おばちゃんの家は風に耐え切れずにぺしゃんこになっていた。いつもお世話になっているおばちゃんの家が……という悲しみよりも先におばちゃんを助けなきゃという気持ちが先行してあたしは駆けた。
「おばちゃん! いるの? どこにいるの?? 返事をして!」
 あたしは出来る限り大きな声でおばちゃんを探した。もしかして瓦礫の中なのかもと思い、あたしは必死に瓦礫をどかし始めた。途中、手が切れて血が出ても、父親が何かを言っているけどそれも構わずにどかし続けた。やがて見慣れた衣服が見えてきて、もしかしてと思いまた声を張った。
「おばちゃん。大丈夫?」
 すると瓦礫の隙間から「ああ……大丈夫だよ……」と小さな声が聞こえた。よし、あともう少し瓦礫をどかせばと気合を入れて瓦礫を取り除こうとした。そこへ父親も駆けつけ手伝ってくれた。ものの数分で瓦礫を取り除くことができ、中からぐったりとしたおばちゃんを救出することができた。
「おばちゃん。もう大丈夫だからね」
「あと少しです」
 あたしと父親で肩を貸し、おばちゃんを被害が少ない近くの家の壁にもたれさせ、父親は家から水を持ってくると言いその場を離れた。あたしは出来る範囲でおばちゃんの手当をして、父親が戻ってくるのを待った。幸い、目立った外傷はなかったけどどこかで安静に休める場所が必要だった。ここではなく、安静に休める場所と言ったら……あの森を抜けた先にある町しか知らなかった。行けば助かるかもしれないけど、空はもう暗くなってきている。そんな中、森の中を進むのはどうだろうと考えていると、父親がコップ一杯の水を持って戻ってきた。
「さ、ゆっくり飲んでください」
 父親からコップを受け取り、ゆっくりこくこくと水を飲むおばちゃん。何回かに分けて飲んだおかげかさっきよりは顔色がよくなったようにも見えた。
「ふぅ。落ち着いたわ。ありがと」
「いえ。大した事ができなくてすみません……」
「いいえぇ。こうしてくれるだけでも有難いことよ。助からないかもって思ってたんですもの」
 そういえば、他の人を見かけないなと思いおばちゃんに聞いてみるとすごく重たい表情で首を横に振った。答えはそれだけで十分すぎるほどだった。だけど、いつまでもこうしているわけにはいかないと思い、あたしは父親とおばちゃんに森を抜けた先の町へ行くのはどうだろうと提案した。最初は反対していた父親だったが、あたしとおばちゃんの説得で仕方なくという雰囲気はあったけど納得してくれた。
「でも、もし行くのであれば最低限のものは持って行かないとな」
「わたしも何か力になれるものがあるか探してみるわ」
 そういってあたしたち必要最低限の荷物を準備するため、一時解散した。あたしは役に立ちそうな物を小さな鞄に詰め込み、父親は食料や水を詰め込み準備は終わった。おばちゃんもある程度持っていけそうな荷物を選んでいて、まとまるとそれらを父親に手渡しこれで準備が整った。まだ夕日が残っている間に急いで森を抜けてしまおうと父親がいうと、あたしとおばちゃんは頷き森の中へと入っていった。
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