いつか子猫を殺す毒

文字数 1,998文字

 キャプテンタイガーが死んだ。数多のヴィランをバッタバッタと華麗にそして痛烈に薙ぎ倒してきた屈強な男は、道路に飛び出した野良犬を助けるのと引き換えに、トレーラーに轢かれてあっさりと居なくなってしまった。
 私は墓前に花を供えて手を合わせ、彼の事を思い出す。彼の横に立ち、彼と共に悪と戦ったあのバラ色の日々を。
「キャンッ」
 と私の足元で犬が鳴く。あの日彼が助けた小さな子犬。今はもう野良犬ではない。茶色の毛並みはつややかに整えられている。
「あなたが助けた子は元気よ。私が飼うことにしたの。名前はチョコ。いい名前でしょう?」
 私はチョコを抱きかかえ、彼の墓へと顔を向けさせる。
「そろそろ時間ですよ。レディキティ」
 声をかけられ、私はマネージャーの待つ車に乗り込む。車はすぐに発車する。
「別れの挨拶は済ませられましたか?」
 マネージャーは運転しながら私に問う。
「ヒーローですもの。いつでも覚悟はしていたわ」
 窓の外、流れ去るビルの群れを眺めながら私は答える。私たちが守ってきた街。彼が守った街。
 ドグワシャーーーン!
 突然の豪音。続いて爆風。車体がガタガタと震える。
 マネージャーが車を止めるより先に私はドアを開け、外へ飛び出す。私たちがいるよりワンブロック北側、街の中央通りに煙が上がっている。一目散に私は駆けだす。
「ふはははは!タイガーは死んだ!死んだんだ!この街は俺のもんだ!」
 赤い鼠の頭をした6本腕の大男が道路の真ん中で叫んでいた。その脇ではトレーラーが横転し車体が燃え出している。
 私は懐からマスクを取り出し、装着する。キャプテンタイガーから貰った私のマスク。彼のサイドキックの証。そして鼠男の眼前に立つ。
 死闘が始まる。
 鼠男が繰り出す6つの腕から繰り出す拳はとてつもなく速い。空を割き、明確な殺意で私を襲う。それを私は紙一重でかわし続ける。
 右へ、左へ、本当に紙一枚入り込む余地もないほどギリギリに拳を避け続ける。とてもじゃないが反撃する余裕などない。
 タイガーが、タイガーがいてくれたら、私がヴィランの気を引いている隙に必殺の一撃を叩きこんでくれるのに。非力な私は一人では何もできない。
「キャンッ」
 と声がして、私と鼠男の間に茶色の影が入り込む。
「あっ」
 と気が付いてももう遅い。鼠男の拳は止まらない。私はとっさにチョコを抱き寄せ体を捻る。
 ボグッ。
 と鈍い音がして、背中に鋭い痛みが走る。私は道路を転がるが、抱えたチョコは決して離さない。
「悲しいなぁレディキティ。タイガーがいないと鼠一匹狩れない。哀れな哀れな子猫ちゃん」
 道路に転がる私に鼠男が拳を振り下ろしたその時、空からフクロウのマスクをつけた男が降ってきて鼠男へ覆いかぶさり潰してしまう。
「遅れてすまないサマータイムオウル只今参上だ。レディキティ無事か?」
 私はそこで気を失う。

 私は霧の中をさまよう。前も後ろも分からない真っ白の景色の中に見慣れたシルエットを見つけ、私は駆け寄る。キャプテンタイガーは私の体を受け止め大きな腕で包み込む。
「やあ久しぶり、でもないかな、元気だったかい?」
「ごめんなさい。私、ダメだった。一人じゃ何もできなかった」
「そんな事はない。君は十分戦った。子犬を守ったじゃないか」
 私の頬を流れる滴をタイガーはそっと指先で掬う。
「ええ、チョコって言うの。あなたが助けた犬よ。今は私の愛犬」
「チョコは役に立ってる?」
「ええとっても。毎朝7時に起こしてくれるの。もう遅刻してあなたに叱られることはないわ」
「それはいい。君の寝坊はひどかったからね。君の役に立ってくれたなら僕も助けたかいがある」
「もう私は遅刻はしない。できないのよ。もうあなたは叱ってくれない」
「僕がいなくても君はチョコを救った。一人でも大丈夫なんだ」
 タイガーが私の体から腕を外して私を見下ろす。
「チョコの事は好き?」
 私は質問には答えずタイガーを見つめる。
「ねえ、タイガー。チョコっていう名前はね、身体が茶色いからチョコではないのよ」
「違うのかい?」
「知らないなら教えてあげる。猫にとってチョコレートはね…」
「キャンッ」
 と声がして私は目を覚ます。
 見知らぬ天井。
 ゴワゴワしたベッド。
 ぼんやりした頭から私は完全に覚醒する。ここは病院のベッドの上だ。
「キャンッ」
 とまた声がして、私の体の上にチョコが乗っかっているのを見つける。
 体を起こそうとして、背中にビシャーンッと稲妻の様な痛みが走って諦める。
 首だけ回して、私は殺風景な壁に架けられた丸い時計を見つける。時刻はピッタリ7時を指している。
 まったく本当に優秀な目覚まし時計だこと。
 私は何とか手だけ持ち上げてチョコの頭をなでる。
 あなたはチョコレート。私の可愛い目覚まし時計。
 その甘い甘い毒で彼がいないこんな悪夢から、どうか私を目覚めさせてね。
 いつかあなたが彼にそうしたように。
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