第12話
文字数 2,366文字
「疲れた……」
自宅のドアを開けて体をねじ込み、そのドアにもたれるようにしてズルズルと沈んだ。
鞄の中から茶封筒を取り出す。
「始業前は申し訳なかった」
謝罪と共に佐藤から手渡された次の職場の案内状。
それをボーッと見つめながら、全部夢なら良いのにと思った。
青葉の気持ちを踏みにじった事も、
佐藤の事を誤解して責め立てたことも、……雪江との喧嘩も。
人と妖怪の恋は、難しい。ただでさえ寿命が違うのだ。常識も感覚もお互いが歩み寄れている部分もあれば、全く相容れないところもある。それでも、雪江には幸せになってほしい。
鞄の中でスマホが震えている。
なんだか今は誰とも話したくない。
着信の主を確認せずに電源を切った。
「ご飯食べないと……」
そう声に出して自分を鼓舞してみるが体が動かない。トントンと控えめなノックの振動が背中に響いた。
「最悪」
何かの勧誘だろうか、どうして誰にも会いたくないときに限って人が訪ねてくるんだろう。
居留守を使うことも考えたが、ノックの音がしつこく響く。
「はい」ドアチェーンをかけたままドアを開ける。不機嫌を隠さずに視線を向けた先に彰さんがいた。
「仲直り無事にできたのでお礼です!」
手に持った近所のケーキ屋の箱を顔の辺りまで持ち上げて金色の目が笑った。
いつもの状態なら小躍りするようなその光景も今はただ煩わしい。帰ってほしいという気持ちをどう伝えたものかと迷っていると、
「泣いてるんですか?」
心配そうな彰さんの声が降ってきた。
慌てて自分の頬に手をやる。その手に涙がついていた。
「話を聞きましょうか?」
心配そうな声で彰さんが問いかけてくる。
「いいえ。大丈夫です」
どうせ彰さんには分からない。そう言って扉を閉じようとした時。
佐藤の「てめぇの物差しで見てるんじゃねぇよ」という怒声がフラッシュバックした。だけど、自分の物差し以外、何で見ればいいと言うのか。頭のなかにいる佐藤に反論する。
「そう? なら、ケーキでも食べて元気出してください」
彰さんがケーキの箱をドアの隙間から押し込もうと動いた。普通はここで、ほっとけませんとか言うものでしょ。
「やっぱり、話聞いてください」
自棄になった私はそう口を滑らせた。
「いいですよ」
彰さんは微笑んで私の申し出を受け入れ、ドアを開けてくださいと続ける。
「すぐ片付けます‼」
散らかった部屋をなんとか見えるように手早く整え迎え入れた。
「コーヒーか紅茶かどちらにしますか??……あ、安心してください、どちらも個包装の粉末のやつがあるので、ケトル持ってきますよ」
彰さんの持ってきたケーキを皿に移しながら聞いた。
「お構い無く。萌さん、何で泣いていたんですか?」
礼儀として言った言葉のあとに本題を続ける彰さん。
「泣いてる自覚なかったんです。もう、いろんな事がありすぎて」
返事をしながら、もらったケーキと紅茶、コーヒーのスティックを彰さんの前に置く。彰さんは紅茶を選んで、自分のカップに注いだ。
「入れましょうか?」
彰さんが私の前においてあるカップを指差す。
「いえ、ありがとうございます」
ケトルの方を受け取り、自分のカップにコーヒーをいれた。彰さんは紅茶派、覚えておこう。彰さんが紅茶を一口飲むのを待って、雪江と佐藤の話を聞いてもらう。
「これって私どうしたらいいんでしょうか?」
ズバリ直球で聞くと、
「うーん。なにもしないでいいんじゃないでしょうか??」
難解だという顔で彰さんが答えた。
「でも、きっと雪江は傷ついていると思うんです」
「えっと、泥酔した佐藤さんを介抱して、雪江さんに連絡しただけですよね?」
情報を整理するように彰さんがゆっくりと言った。
「そりゃ、実際に起きた事として見ればそうだけれど……」
異性が食事を共にすることの解釈を伝えてみる。好意がないと食事はしないものだと。
「……それなら今、この状態も??」
彰さんが続けた言葉に初めて自分が遠回しに告白していたことに気付いた。
「これはその、イレギュラーと言いますか……」
私が言い淀むのを優しい目で見る彰さん。
「佐藤さんとの食事もイレギュラーには入りませんか?」
私が落ち着くのを待って彰さんが言った。
「……そうですね」
彰さんの言葉に頷く。
「なんて、某もryoに言われた言葉の受け売りですけれどね。”自分の価値観が相手と違っていることが相手を傷付けたとしても、それを謝る必要はない”」
ryoの口まねだろうか、一部声の調子を変えて彰さんは言い、こう続けた。
「だから、萌さんがするのは謝罪じゃなくて、現実とのすりあわせだと思いますよ」
「現実との擦り合わせ……」
考えたこともなかった視点に、呆然として答えた。
「相手の気持ちを推察して行動できる萌さんは素敵です。だけど”過ぎたら”それはただの独りよがりになってしまいます」
彰さんが気遣うような表情で、でもハッキリと言った。
「ありがとうございます。私、彰さんが隣に越して来てくれてうれしいです」
うだうだ考えるのをやめよう。どんな反応が返ってくるかはわからないけど。相手の気持ちや考えは聞かないとわからないのだ。
「いえ、某も萌さんの力になれて、仲良くなれたのがうれしいです」
ニッコリと細められた目と獣の耳が嬉しそうにピクピクと動く。この裏表のない感じ好きだなと改めて感じる。
「彰さんって変な人ですよね」
安心したせいだろうか、つい言葉が口をついてでる。
「見てる世界が私と全然違ってて。そこに惹かれます」
「某も、萌さんには笑っていてほしいなって思いますよ」
照れたように鼻の頭を掻いて彰さんが微笑む。
自宅のドアを開けて体をねじ込み、そのドアにもたれるようにしてズルズルと沈んだ。
鞄の中から茶封筒を取り出す。
「始業前は申し訳なかった」
謝罪と共に佐藤から手渡された次の職場の案内状。
それをボーッと見つめながら、全部夢なら良いのにと思った。
青葉の気持ちを踏みにじった事も、
佐藤の事を誤解して責め立てたことも、……雪江との喧嘩も。
人と妖怪の恋は、難しい。ただでさえ寿命が違うのだ。常識も感覚もお互いが歩み寄れている部分もあれば、全く相容れないところもある。それでも、雪江には幸せになってほしい。
鞄の中でスマホが震えている。
なんだか今は誰とも話したくない。
着信の主を確認せずに電源を切った。
「ご飯食べないと……」
そう声に出して自分を鼓舞してみるが体が動かない。トントンと控えめなノックの振動が背中に響いた。
「最悪」
何かの勧誘だろうか、どうして誰にも会いたくないときに限って人が訪ねてくるんだろう。
居留守を使うことも考えたが、ノックの音がしつこく響く。
「はい」ドアチェーンをかけたままドアを開ける。不機嫌を隠さずに視線を向けた先に彰さんがいた。
「仲直り無事にできたのでお礼です!」
手に持った近所のケーキ屋の箱を顔の辺りまで持ち上げて金色の目が笑った。
いつもの状態なら小躍りするようなその光景も今はただ煩わしい。帰ってほしいという気持ちをどう伝えたものかと迷っていると、
「泣いてるんですか?」
心配そうな彰さんの声が降ってきた。
慌てて自分の頬に手をやる。その手に涙がついていた。
「話を聞きましょうか?」
心配そうな声で彰さんが問いかけてくる。
「いいえ。大丈夫です」
どうせ彰さんには分からない。そう言って扉を閉じようとした時。
佐藤の「てめぇの物差しで見てるんじゃねぇよ」という怒声がフラッシュバックした。だけど、自分の物差し以外、何で見ればいいと言うのか。頭のなかにいる佐藤に反論する。
「そう? なら、ケーキでも食べて元気出してください」
彰さんがケーキの箱をドアの隙間から押し込もうと動いた。普通はここで、ほっとけませんとか言うものでしょ。
「やっぱり、話聞いてください」
自棄になった私はそう口を滑らせた。
「いいですよ」
彰さんは微笑んで私の申し出を受け入れ、ドアを開けてくださいと続ける。
「すぐ片付けます‼」
散らかった部屋をなんとか見えるように手早く整え迎え入れた。
「コーヒーか紅茶かどちらにしますか??……あ、安心してください、どちらも個包装の粉末のやつがあるので、ケトル持ってきますよ」
彰さんの持ってきたケーキを皿に移しながら聞いた。
「お構い無く。萌さん、何で泣いていたんですか?」
礼儀として言った言葉のあとに本題を続ける彰さん。
「泣いてる自覚なかったんです。もう、いろんな事がありすぎて」
返事をしながら、もらったケーキと紅茶、コーヒーのスティックを彰さんの前に置く。彰さんは紅茶を選んで、自分のカップに注いだ。
「入れましょうか?」
彰さんが私の前においてあるカップを指差す。
「いえ、ありがとうございます」
ケトルの方を受け取り、自分のカップにコーヒーをいれた。彰さんは紅茶派、覚えておこう。彰さんが紅茶を一口飲むのを待って、雪江と佐藤の話を聞いてもらう。
「これって私どうしたらいいんでしょうか?」
ズバリ直球で聞くと、
「うーん。なにもしないでいいんじゃないでしょうか??」
難解だという顔で彰さんが答えた。
「でも、きっと雪江は傷ついていると思うんです」
「えっと、泥酔した佐藤さんを介抱して、雪江さんに連絡しただけですよね?」
情報を整理するように彰さんがゆっくりと言った。
「そりゃ、実際に起きた事として見ればそうだけれど……」
異性が食事を共にすることの解釈を伝えてみる。好意がないと食事はしないものだと。
「……それなら今、この状態も??」
彰さんが続けた言葉に初めて自分が遠回しに告白していたことに気付いた。
「これはその、イレギュラーと言いますか……」
私が言い淀むのを優しい目で見る彰さん。
「佐藤さんとの食事もイレギュラーには入りませんか?」
私が落ち着くのを待って彰さんが言った。
「……そうですね」
彰さんの言葉に頷く。
「なんて、某もryoに言われた言葉の受け売りですけれどね。”自分の価値観が相手と違っていることが相手を傷付けたとしても、それを謝る必要はない”」
ryoの口まねだろうか、一部声の調子を変えて彰さんは言い、こう続けた。
「だから、萌さんがするのは謝罪じゃなくて、現実とのすりあわせだと思いますよ」
「現実との擦り合わせ……」
考えたこともなかった視点に、呆然として答えた。
「相手の気持ちを推察して行動できる萌さんは素敵です。だけど”過ぎたら”それはただの独りよがりになってしまいます」
彰さんが気遣うような表情で、でもハッキリと言った。
「ありがとうございます。私、彰さんが隣に越して来てくれてうれしいです」
うだうだ考えるのをやめよう。どんな反応が返ってくるかはわからないけど。相手の気持ちや考えは聞かないとわからないのだ。
「いえ、某も萌さんの力になれて、仲良くなれたのがうれしいです」
ニッコリと細められた目と獣の耳が嬉しそうにピクピクと動く。この裏表のない感じ好きだなと改めて感じる。
「彰さんって変な人ですよね」
安心したせいだろうか、つい言葉が口をついてでる。
「見てる世界が私と全然違ってて。そこに惹かれます」
「某も、萌さんには笑っていてほしいなって思いますよ」
照れたように鼻の頭を掻いて彰さんが微笑む。