第1話

文字数 3,755文字

 お通夜の帰りに、吉田と鷲見と山岸がそのチェーン店の居酒屋に入ったのは、午後9時を少し回った頃だった。
 奥の座敷に通され、3人は卓の前に敷かれた座布団にそれぞれ腰を下ろした。
 「ビールでいいかな。」と吉田が鷲見と山岸に聞いた。
 「俺、ウーロン茶。」と山岸が言った。「俺はビールでいい。」と鷲見が言った。
 生ビール2杯とウーロン茶1杯はすぐやってきた。乾杯するのはためらわれたので、3人は軽くジョッキを上げて、それぞれ飲み始めた。
 注文する料理のメニューを吉田が見ていると、山岸がおしぼりで手をふきながら、「辻本のお通夜に来ている人、意外に多かったなあ。」と言った。「ホント、それな。」と鷲見が答えた。
 吉田は「まあ、ネットニュースでもちょっと流れたしな。」と言った。
 みんなが黙ってしまったので、山岸が「とりあえず、食べ物頼まない?」と提案した。

 食べ物が何品か運ばれてきた後、鷲見が空揚げをつまみながら、吉田と山岸に尋ねた。「お棺の前に飾ってあったあの人体模型柄のタイツは何なの?」
 「何だ、鷲見、あれ知らないのかよ。」と山岸が驚いたように言った。
 「知らないよ。最近、辻本とは連絡を取ってなかったし、仕事が忙しくて舞台も行けてないし、テレビも見てないし。」と鷲見が答えた。
 「あの人体模型タイツを辻本が作ったのは、まだ吉田とコンビ組んでた時?」と山岸が吉田に尋ねた。
 「違う、あれは俺とのコンビを解散して、辻本がピンになってから。」と吉田が答えた。「ちょっと前に、裸芸が流行っていたじゃない。とにかく明るい安村さんとか、アキラ100%さんとか。それで辻本が「俺は、その更に上を行って筋肉や内臓が印刷された人体模型タイツを着て、ピン芸をやる、裸を超える」って言いだしたんだよ。」
 「どんなネタ?」と鷲見が尋ねた
 「基本的にはダジャレだな。覚えているのは「これからの私の「かつやく筋」に期待してくれ」とか。」と吉田が答えた。「あまりにつまらなかったので覚えている。」
 「ホント、最高につまらないな。」と鷲見が軽く笑った。
 「色々な筋肉のダジャレを考えてたみたいだけど、メチャクチャにマイナーな筋肉のダジャレも考えていて、「吉田、「しんそうがいせんろっ筋」のダジャレがどうしても思いつかないんだよ」って言ってたけど、誰が思いつくんだよ。それに、知らないよ、そんな筋肉。」と吉田が言うと、鷲見と山岸が笑った
 「あの人体模型タイツ、凄い金がかかってるんでしょ。」と山岸が吉田に尋ねた
 「親から10万円借りたらしい。」と吉田が答えた。「「スーツ」を作りたいので、金を貸してくれっていったら、親はお笑い芸人を止めて就職してくれるもんだと思って喜んで金を出してくれたんだと。」
 「「スーツ」じゃなくて、「タイツ」だろ、完全に詐欺だな。」と鷲見が言った。

 「最初にあのタイツを着た、ショッピングモールの営業で出禁になったって聞いたけど。」と山岸が吉田に尋ねた。
 「あれはひどかったなあ。」と吉田は笑いながら言った。
 「あの舞台は、客席で見ていたんだけど、とにかく人体模型タイツがよくできすぎちゃってて気持ち悪いんだよ。開演前に挨拶に行った時は、凄いよくできてるっていうんで、得意げに周りに自慢しまくってたんだけど、いざ舞台に出て行ったら、客席から悲鳴が上がっちゃって、「気持ち悪い。」って声も方々から聞こえてきて、ネタも全然受けないし、真っ青になって舞台から袖にはけていったよ。」それを聞いて、鷲見と山岸が大笑いした。吉田も笑いながら続けた。
 「それで、次はどうするのかと思って見ていたら、最初は脅かさないようにというんで、コートを着て出て行って、オチの時にバッとコートの前を開いて人体模型タイツを見せるんだけど、やってることはほとんど露出狂なんだよな。それにコートを開く度に泣いちゃう男の子がいて、それが面白いからって、辻本のやつ、途中からその子を標的にしてコートを開いたり閉じたりし始めちゃって。まあ、それは周りのお客さんには受けたんだけど、その子の親が怒っちゃって、ショッピングモールにクレーム入れたんだよ、それで、もう二度と来ないでくれって。」
 「ホント、最低だな。」と鷲見が笑いながら言った。

 「ただ、金がかかってるから、元を回収するまでは俺はこれを着続けると言っていて、1年間着ていたんだけど。」と吉田が言った。
 「まさか、ああいうことになるとはね。」と山岸が言った
 「何、それ。」と鷲見が山岸に尋ねた。
 「あ、鷲見は知らないのか。ユーチューブを見てみろよ。まだのっていると思うけど。」と山岸が答えた。
 「ユーチューブ?」と鷲見が尋ねた。
 山岸が鷲見に説明をした。「辻本が営業に行った地方の劇場で、ボヤ騒ぎがあって、その現場で出演者全員で消火の手伝いをしたんだけど、辻本は出番待ちだったから、人体模型タイツのまま消火活動をしたんだよ。」
 吉田がそれに付け加えて話を続けた。「一人だけ、筋肉丸出し男が、消火活動してるから目立っちゃって、それを撮影したやつがいて、ユーチューブにアップしたのがバズったんだんよ。誰なんだよ、あの筋肉丸出し男って。」
 「あの話って本当?」と山岸が吉田に尋ねた。 「辻本が、救急車に乗せられそうになって、「俺は大丈夫。」と言ったら、救急隊員の人が、「あんた大怪我してるよ、内臓見えちゃってる。」って言われたって聞いたけど。」
 「それは、たぶん、辻本の作り話だな。」と吉田はニヤニヤしながら言った。
 「ホント、くだらねえなあ。」と鷲見が笑った。
 「その姿がネットで話題になったから、テレビの出演が何本か決まってたらしいんだ。」と吉田が言った。
 「惜しかったな。」と鷲見が言った。「まさか、あいつが死んじゃうとはなあ。殺しても死なないようなやつが。」

 「でも、ホント、急だったな。」と鷲見がポツリと言った。
 「無理してたんだな、きっと。売れかかってたし。」と山岸も呟いた。
 「さっき、お通夜の席で、辻本のお母さんから聞いたんだけど、あいつが自分の部屋で脳血栓で亡くなる前日に電話で話をしたんだって。最後に話したのは「大丈夫、寝るときは厚着してるから。」だったって、泣き笑いしながら教えてくれたよ。」と吉田が二人に言った。
 「でも、あいつ、よく言ってたなあ。俺は死ぬまでお客さんを笑わせるって。」と山岸が懐かしそうに言った。
 「確かに。」と吉田が言った。「昔、あいつの部屋にライブの打ち合わせで集まった時、その言葉を書いた紙が貼ってあったな。「俺たちは死ぬまでお客さんを笑わせる。」って。それから、こうも言ってた。俺が死ぬときには、それまでに俺が考えた1兆個のギャグを式場に流してみんなを笑わせるって。」
 「ホント、あのバカ、早すぎんだよ。今日のお通夜では1個もギャグなんか流れなかったじゃねえか。」と鷲見が嘆息した。
 「あいつだけだったもんなあ。養成所の俺たちの同期でお笑いを続けていたのって。」と山岸が嘆息した。
 「ああ、あいつ、よく頑張ったよ。」と吉田が嘆息した。

 「吉田はなんで辻本と組んだの。」と山岸が吉田に尋ねた。
 「ホント、改めて聞いたことなかったな。」と鷲見が言った。
 「あいつは、性格も悪かったし、ケチだし、女にも持てなかったけど、とにかくお笑いが好きだったから。こいつなら、辞めないと思ったんだ。」と吉田が答えた。
 「と、思ってたら、」と鷲見がニヤニヤしながら言うと、
 「吉田が先に辞めることになった、と。」と山岸が落ちをつけた。
 「コンビを解散する時、あいつに言われたよ。俺の相方は辞めてもいいけど、俺のファンを続けてくれって。」と吉田が言った。
 「だから、俺は辻本を見続けてたんだ。舞台の上で滑りまくる辻本を見続けたんだ。俺がドMで本当に良かったよ。じゃなかったらこんなこと続けられないよ。でも、最近は受け始めてたんだよ。あれ、ひょっとしたら、こいつが受ける時代が来るかもしれない、って思い始めてたんだよ。」
 それを聞いて、鷲見と山岸は真面目な顔で深く頷いた。

 座敷の障子が開いて、店の店員が顔を出し、「ラストオーダーになりますが、追加はありますか。」と尋ねてきた。
 「ウーロン茶とビールだけでいいか」と吉田が鷲見と山岸に聞いた。二人は黙ってうなずいた。
 飲み物が届くと、吉田は二人に、「やっぱり、辻本に乾杯しようぜ。」と言った。二人はにやりと笑ってうなずいた。
 「辻本に。」と言って吉田がビールのジョッキを掲げた。
 「辻本に。」と言って鷲見がビールのジョッキを掲げた。
 「辻本に。」と言って山岸がウーロン茶のグラスを掲げた。
 ジョッキとグラスが派手にぶつかる音が、追悼の鐘の音のように、お客さんの大爆笑のように鳴り響いた。

 「そう言えば、ずっと訊きたかったんだけど」と、帰り道の駅へ向かう途中で山岸が吉田に尋ねた。「お前と辻本のコンビ名「ズーカラデル」ってどういう意味?」
 「ホント、変な名前だよなあ。」と鷲見がしみじみと言った。
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